早川アキにタバコを教えてもらう話


東京に来て一番足を運んだ場所が公衆トイレだと言ったら田舎の両親は笑うだろうか。でもそんなのクソ喰らえだ。まぁ現在進行形で糞する場所に頭を突っ込んでるわけだけど。

「うぇー……」
「大丈夫か?」
「はい、何とか……」

滑り台とブランコくらいしかない公園には人っ子一人いない。もう日も暮れかけているから当然の光景でもある。そんな殺伐とした場所で早川先輩はいつも通り煙草をふかしていた。

「あんな気持ち悪い物見てよく平然としてられますね」

今日倒した悪魔、腹に一発喰らわせたら卵の様なものを吐き出した。それがすぐに孵化したわけだが昆虫の様な見た目が気持ち悪いのなんのって……思い出しただけでも吐き気が催してくる。

「悪魔なんてあんなもんだろ」

フー、と長い息が吐き出され紫煙が宙に描かれる。そしてまた人差し指と中指に挟んだ煙草を口元に覆うようにして運んだ。その時に僅かに震えた喉仏を見てふと口を開く。

「煙草って美味しいんですか?」
「は?」
「吐いた後なんで口の中がちょっと…だから吸ってみたいなぁなんて」
「寿命縮むからやめとけ」
「先輩は吸ってるじゃないですか!一本だけ!一本だけ!」
「……ったく」

内ポケットから取り出し底を叩けば煙草が一本飛び出てきた。それを受け取れば「ン、」と加え煙草のままライターをこちらに向けられる。そして揺らめく火種に先端を近付ければ細い煙が立ち上がった。

「おぉ!」
「ゆっくり吸えよ」
「ぅ、……ゲホゲホッォエ!」
「ゆっくりつったろ!」

思いっきり吸い込んで思いっきり咳き込んだ私に早川先輩も呆れるしかなかったらしい。でも背中を撫でる大きな手は優しかった。

「ちょっ、こんな不味いものよくクールフェイス決めて吸えますね」
「不味くねぇよ。あと決めてもない」
「イケメンの雰囲気作りでは?」
「何だよそれ」
「まぁ先輩は元よりイケ……っごほっゲホッ」
「学習しろよ!」

注意して吸ったのに二口目でもダメだった。そして吐き癖でもついたのか一度咳き込むと中々止まらない。終いには胃の中の酸まで迫り上がってきて食道がピリピリと痛んだ。

「うぅ……」
「もうやめろ」
「まだ二口しか吸ってないんですよ?ここから慣らしてくんで見ててください」
「煙草じゃない。デビルハンターの方」

携帯灰皿に自身の残り一.五センチを擦り潰す。それをジャケットの内側に仕舞い込んでから私へと視線を移した。

「任務行く度に便所で吐いてんの知ってんだよ。お前はデビルハンターに向いてない」

私は大きく息を吐き出してから背筋を正す。その拍子に手元から灰が散ったがすぐに風に飛ばされた。

「嫌ですよ。だってこの仕事が一番稼げるじゃないですか」
「そういう奴ほど早く死ぬんだよ。せめて民間にしとけ」
「それだと公務員じゃなくなっちゃいます」
「問題あるか?」
「あります!大アリですよ!」

田舎には未だに男尊女卑の風潮が色濃く残る。親は兄や弟ばかりに習い事をさせ十分な教育をさせた。片や私は高校すら行かせてもらえなかったのだ。

「公務員という肩書きを背負って誰よりも稼いでやるんです!それで家族が私に媚び諂う姿を見て笑ってやるんですよ!」
「性格悪りぃな」
「先輩こそ」

目を見開いて硬直した先輩には何のことか分からないらしい。鈍いのか天然なのか、それともこれも優しさなのだろうか。

「うちの親が私の居場所を聞き出そうと公安に連絡してきましたよね?でも先輩は嘘の情報を教えた」
「知ってたのかよ」

そのお陰で私の元へ直接の連絡が入って来なくなりストレスが軽減されている。この機会に感謝の言葉を述べれば「俺が勝手にやったことだ」と短く言われただけだった。しかしだからこそ私は辞めたくないのだ。

「兎に角私は辞めませんからね!それに吐くのは気持ち悪いものを見た時だけなので大丈夫です!」
「それが問題なんだが……まぁ実力があるのは認めてる」
「本当ですか?!」
「あぁ」
「当然のデレですね!」
「あ?」

サッと目を逸らして手元の煙草を口元へと運ぶ。しかし咥える前に横から伸びてきた手に掠め取られた。

「あっまだ二口しか吸えてないです!」
「もう短過ぎて吸えねぇよ」

そして手早く携帯灰皿の中に捨てられた。

「お前にはこれで十分」

私の前に差し出されたのは板ガムだった。それを有難く受け取って口の中に押し込む。爽やかなレモン味だった。

「美味しいです!」
「よかったな」
「先輩の分は?」
「それが最後の一枚」
「えっうそ?!今すぐ吐き出しますね」 
「やめろ!」

大慌てで口を抑えられたので、さすがに冗談ですよと笑ってみせる。そしたら一瞬だけ早川先輩が笑った。本当に一瞬。夕日の影のせいかもしれないけれど私にはそう見えたのだ。

「早く戻って書類まとめるぞ」
「はーい」

鼻に抜けるレモンの香りに気をよくして先輩の後を追いかけた。

「簡単に死ぬなよ」

空を舞う烏の鳴き声よりも小さな声でそう言われた。らしくないようで早川先輩らしい言葉にはやはり優しさを感じる。

「先輩こそ」
「俺はいいんだよ」
「なら背中の刀抜かせないくらいには強くなります」

だって先輩にはちゃんとした目的があるから。その為に少なからず力になりたいと思っているのだ。

「じゃあ俺はお前の為にエチケット袋用意しとくわ」

こちらが割と真剣に話していたというのに最後にふざけたのは先輩だった。らしいようでらしくない言葉に思わず笑ってしまった。

「それは有り難いですね」
「精々使わせないようにしてくれよ」

夕日に映された二つの影はどこまでも真っ直ぐ伸びていた。