君はヒーローになるんだって、そうやって聞かされて育ってきた。


私のお父さんとお母さんはそれなりに名の知れたヒーローだったらしい。
なんで”らしい”なのかって、私が物心ついた時にはもうこの世からいなくなっていたから、私の記憶の中に2人はいないから。
両親共それなりのヒーローであったということは、つまりそれなりの資産を所有していたということである。
元々築いていた資産に加えて、仕事中に殉職したということで2人の死によって協会からもそれなりの金額が支払われて、親族は私の両親の遺産を巡って随分と揉めていたらしい。
しかしそれらを受け取ると言うことは両親のいなくなったまだ幼い私を引き受けることがついてまわるわけで、それを重荷に感じた親族達は最終的には遺産だけ仲良く分与して私は施設に入れられた。


記憶の中の幼い自分は、いつも周りの大人達から”可哀想”だと言われていた。
まだ小さいのに可哀想だね、大変だね、でも強く生きるんだよって。
でもそれが当たり前の私からしたら、なんで私が可哀想で、世の中では何が普通なのかわからなかったから、なんでみんなそんなふうに言うんだろうってずっと不思議で仕方がなかった。


私に個性が芽生えたのは4歳の誕生日から少ししてからのことである。
「可哀想」って、そんな風に言われるのが幼いながらにいやだなあって思ってた。
そうしたら、ある時から周りの人達がぴったりとそう言うのをやめたんだ。
私はもう可哀想じゃないんだって思ったらとっても嬉しかった。
でもそれは私の個性の影響だってわかったのは、それからしばらくしてからのことだ。


小学生になる前に全員が一斉に個性の検査を受けさせられる。
その時に、みんなが私に可哀想だと言わなくなったのは、どうやら私の個性が影響してるからだって発覚した。
お母さん譲りらしい私の個性は結構珍しいものみたいで、使い方によってはちょっと危ない個性でもある。
当時の私はまだ自分自身で個性のコントロールもできなかったし、本来ならば個性の使い方の教育をする親の存在がいなかったから、それから私は協会の人間の保護観察下に置かれることになった。
それまでは私のことを可哀想って哀れむだけだった大人達が、その日を境に君はすごい、特別だ、ヒーローになる存在だってまるで洗脳するみたいに言い聞かせてもてはやしてくるものだから、子供ながらに不信感を感じて不快で仕方がなかった。
でも子供だった私は1人では何もできないし、不快な気持ちを感じながらもそのまま施設で暮らすことしかできなかった。


しかし保護観察とはいえ、小さな子供がそこまで大きな犯罪を起こすようなことはできないだろうと協会の人間達も判断したのか、定期的に協会の人間から個性について教育を受けたり、その個性を使ってヒーローになるための指導を受けたりする以外には、ごく普通の小学生・中学生をしてきたと思う。
そして、教育の甲斐あってか高校受験の進路を決める頃には十分個性を使いこなせるようになっていた私は、協会の推薦で雄英高校に進学することになったんだ。


まだ説明していなかったけれど、私の個性は”催眠”だ。
細かい制限はあるけれど、簡単に言えば私の思うように他人を動かすことができるということだ。
ヒーローになれば犯罪を起こした敵を食い止めることができるし、警察と協力して事情聴取なんかをする際にもスムーズに進められるからって、協会の人たちは私の個性をとっても欲しがっているのをひしひしと感じた。
でも彼らは私がヒーローになることを望んでいる以上に、私が敵になることを恐れていたんだなと高校生になる頃には私自身理解できていた。
まあ厄介な個性は敵に回したくないと思うのは、至極当然のことである。


雄英高校に進学したら、当然ながら周りは全員ヒーローを目指しているわけで。
親がヒーローだからとか、ヒーローが世間で人気の職業だからとか、理由はそれぞれあるだろうけど全員自分の意思でそこにいることに私とみんなは違うんだなぁってまざまざと感じさせられた。
もちろん当時の私もヒーローを目指していたことに違いはないんだけれど、協会の道具みたいに強制されてそこにいたのは私だけで、それがなんだかとっても虚しくて。
自分の意思で生きている誂え向けの個性に生まれた周りのみんなが輝いて見えて羨ましかったんだ。


成長するにつれて、この世の中についてわかったことがある。
この世の中では、平均を基準とした時に大多数派であることが”普通”と言われているのだということ。
そしてこの世の中では、その世の中が定めた”普通”の枠組みの中に収まることが正しいことであるとして教育をされること。
小学生の時からヒーローになるための教育を受けてくる中で、ただただ敵は悪い奴だって言う風に教えられてきた。
でも、高校生になってより具体的にヒーローになるための教育を受ける中で、職場体験やインターンを通して敵と接していて気がついた。
敵には敵の正義があるんだ、ってことに。
その時に、世の中ってくだらないなあって思っちゃったんだ。


そんな時に、彼に出会った。
弔君は彼のことを”先生”って呼ぶけれど、私にとって彼は”パパ"って言う方がなんだかしっくりくる。
物心ついた時から親がいない私には親ってあんまりよくわからないけど、彼は私が間違えば叱ってくれるし、頑張った時には優しい声でよく頑張ったねって言いながら大きくて冷たい手で頭を撫でてくれる。
”普通"に生きてきた周りの子達が親とそんな風に接しているのを見てきたから、きっと親子ってそういう関係なんだろうなって思うんだ。


私は別にヒーローが特段嫌いなわけではない。
自分たちの正義を押し付けてくるのはめんどくさいなって思うけど。
でもじゃあなんで、ヒーローと会敵するこの連合に身を置いているのかって?
それは、それまで敷かれたレールを歩いてきた私に、自由を与えてくれたパパのそばに居たいから。
敵連合は家族のいなかった私にとって、家族みたいなものだから。



ムラサキツユクサ
花言葉:淋しい思い出、尊敬しているが恋愛ではない



私がここにいるのは、世の中へのちょっとした反抗心と家族ごっこのおままごと。
ただ、1人の人間として自分の意思で生きていたいと思っただけ。



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