雨の日には、彼が必ず帰ってくる。



ーーーーー



「おい」
「…」
「おいって」
「私の名前は”おい”じゃないでーす」


世の中で正しいといわれているものを正しいと思えない、そんな逸れ者たちが集まる集団、それがこの敵連合だ。
ここに辿り着くまでにはそれぞれに背景があるけれど、この生きにくい世の中で己の正義を掲げて生きている連合の面々は私にとって家族みたいな存在である。
ここ最近はヒーロー殺しなんて輩の影響で”家族”になりたがる志願者達が現れて随分大所帯になってきたけど、その中に1人”家族”と呼ぶには腑に落ちない存在がいる。


勝手にふらっといなくなったかと思ったら、ふらっと帰ってくるこの男。
そう、荼毘だ。
荼毘という名前も自称している通り名だという彼は、自身の素性に触れる事は一切口にしないし、なんだかいけ好かない奴なのだ。
世の中から見放されてる敵連合からも見放されてるような奴って、それって結構、だいぶやばい奴だと思うんだけど。


自分の名前すら名乗らないこの男は、人の名前もろくに覚えていないのだろうか。
仮にも私の方が先輩なのに失礼な奴だ。
そう思ってじとりと扉の前に立つ荼毘に視線をやれば、佇む足元に小さな水溜りを作っている。
水溜りから視線を上にやると、漆黒の髪は濡れてぺしゃんこでまるで雨に濡れた野良猫みたいだった。


「タオル持ってないか」
「…タオル?」
「ああ、自分のは干してから出たんだが…この有様だ」


アジトのテレビではいつも黒霧さんがニュース番組を流してる。
日中は最低限しか外に出ない私はあまり世の中の事には興味がないけれど、自然と耳に入ってくる今朝の天気予報では今日は終日曇りと言っていた。
けれど夕方から雲行きが怪しくなってきて、窓の外がすっかりグレーの雲に覆われたかと思いきやあっという間に大粒の雨が降り出した。
あいも変わらず自宅警備員をしていた私は自分の干した洗濯物は慌てて取り込んだけれど、どうやら出かけていたらしいこの男の洗濯物は可哀想に雨に濡れてしまったらしい。


よく素性のわからない男にお気に入りの柔軟剤を入れて洗濯したふかふかのタオルを貸してあげるのはなんだかすごく不服だったけれど、このままびしょ濡れでアジトの中を歩き回られたら、留守にしている黒霧さんが帰ってきたら怒るのが目に浮かぶ。
その場で見ていた私も一緒にお小言を受けるのはまったなしだ。


「…ん」


私と同じく黒霧さんに怒られる事を思ってか一向に扉の前から動かない荼毘に、さっき畳んだままカウンターの上に放置されたちょっと大きめのフェイスタオルを差し出してやる。


「悪いな、助かる」
「お礼とか言えるんだ」
「そこまで人間捨てちゃいねーよ」


義爛が連れて来た時からろくに挨拶すらできない奴だと思ってたから、手短に述べられた礼にちょっと拍子抜けした。
つい口を出た皮肉な私の言葉に荼毘は特に気を悪くする様子もなく、羽織っていたビショビショの上着を脱いでから渡してやったタオルで淡々と濡れた四肢を拭っていく。
片手に持ってる濡れた上着がどうにも邪魔そうな様がなんとなく見ててもどかしい。


「ん」
「へぇ、優しいねえ」
「別に」


連合は最近急にメンバーが増えたものだからその分荷物も何かと増えてしまって、手狭なアジトはより窮屈になってしまった。
もともとこぢんまりしたバーの居抜きであったこの物件は満足に収納なんてものは誂えられているわけもなく、黒霧さんが入り口に応急処置程度に設置してくれたポールハンガーにその濡れた上着を引っ掛けてやる。


「どーも、苗字名前チャン」
「…名前、知ってんじゃん」


いつもは焦げ臭い彼の上着からは、今日は雨の匂いがした。



ーーーーー



「おーい、苗字ちゃん!雨だ!」
『晴れだぜ!』
「えぇー、今日降るって言ってなかったのに」


ボロボロな応接セットのソファで腰掛けて電波が悪いスマートフォンでヒーローニュースを眺めていたら、外で一服していたトゥワイスの言葉に窓の外へ視線を送る。
ぽつりぽつりと降り出した外の様子を確認して、はぁと小さくため息が溢れた。
山の天気は不安定だっていうけれど、どうやらそれは本当らしい。


本当は今日の家事当番はトガちゃんだけど、日用品を買いにお供のスピナーを連れて街に繰り出していった彼女がアジトに戻るのはきっと夜になるはずだ。
この天気じゃそう悠長なことも言ってられないし、仕方なしに重い腰を上げて外に干された洗濯物達を取り込みに行こうしたら、一足早く扉が開いた。


「戻った」
「あ、おかえり荼毘」


今は我らがお母さん黒霧さんは警察に捕まっちゃって留守にしている。
それに以前のアジトと違ってプレハブ小屋みたいなこのアジトでは入り口で水滴を拭わなくたって小言を言う人は誰もいないけど、雨に濡れて黒が漆黒になった髪が野良猫みたいな姿の荼毘は律儀に入り口の横に佇んでいつもみたいにこう言うんだ。


「タオルあるか」
「ん、取り込むからちょっと待ってね」
「悪いな、助かる」



オトギリソウ
花言葉:敵意、秘密



扉の前で擦れ違った彼は、やっぱり今日も雨の匂いがした。



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