「名前はいるか」
「まぁ煉獄さん、今日もお務めでいらっしゃいますか」
「うむ!少々物入りでな」


店前に植った染井吉野の花弁が春風にさらわれてひらりひらりと舞い落ちる小春日和の麗かな午後。
木造の空き家を改築して構えたという店の店頭には緋毛氈の敷かれた縁台に赤い番傘が咲いて、気立ての良い花のような看板娘が今日も客人を迎え入れます。


「ふふ、今日もお疲れ様です。さあ今日は何になさいますか?」
「そうだな、少し小腹が空いているのだが、何か腹にたまるものを頼めるか」
「まあ煉獄さん、うちは定食屋じゃないんですよ」
「よもや!すまない、そうであったな」
「ふふ、握り飯くらいなら用意出来ますから、ちょっと待ってくださいな」


彼女は名を苗字名前と申しました。


「うまい!うまい!」
「煉獄さん、そんなに急いで召し上がられたら身体に毒ですから…」
「いやはや、やはりこの店の食事は格別にうまいぞ!名前よ!」
「もう、お上手なんですから」
「いや、世辞ではない!此処の茶屋は隊士の間でも評判でな」


それは名もない小さな店でした。
人里離れた鬼殺隊本部から一番近くの小さな村に、ひっそり佇む水茶屋が一軒。
気付いた時にはまるで随分と前からそこにあったかの様に営み始めたこの店がどうにも、戦いに疲れた隊士達の心身を癒してくれるとここのところ隊士の間で評判なのです。
そしてその評判は、隊士の頂点に君臨する柱の者達の耳にも届いておりました。


「まぁ、本当ですか?ふふ、それは有り難いです。如何せんこんな古い店構えだから、中々お客様が寄り付かなくて」
「む!よもや名前、困り事か?」
「いいえ、お陰様で皆さんのおかげでこうしてなんとかなってますから」
「うむそうか、ならば良い!だがしかし名前よ、もし困り事の際はこの煉獄杏寿郎を何也と頼るが良い!」
「まぁ頼もしい。ふふ、ありがとうございます」
「なに、困った人を助けるのは我々の役目!何も遠慮することはないぞ!」


未ノ刻を回った丁度茶時の時間にも関わらず今は煉獄しか客人のいないその店はお世話にも決して流行っているとは言い難いものの、評判を聞きつけた鬼殺の隊士達が日々代わる代わる訪れるもので、こうして今日も何とか穏やかに商われております。


「よし、ではそろそろ行くとしよう」
「今日も有り難う御座いました。煉獄さん、道中くれぐれもお気をつけて下さいね」
「何、心配はいらぬ!また数日後に帰路につく際きっと此処を通るだろう。その際はまた握り飯を用意してくれるか」
「もう、品書きには載せてないのでこっそりですよ」
「よもや!それは格別に嬉しく感じるな。任務にも精が出るというものだ!」
「ふふ、ではまたのご来店お待ちしてます」


素朴でどこか懐かしさのある優しい食事と疲れた身体を癒す甘味、そして緊張を解くふわりと柔らかいその看板娘が目印のこの茶屋は、今日もまた鬼殺の隊士に束の間の癒しを与えます。
差し詰此処は、彼等の理想郷とでも言いましょうか。


「では行って参る!」


そう言って、どんどん小さくなる煉獄の背中が見えなくなるまでその娘は見送ります。
どうかまた無事で会えますように、と胸の内で祈りながら。