「あーあ、」


今日も今日とて7限までみっちり詰まった授業を受けて、教室の窓の外はすっかり夕焼けのオレンジに染まった頃。
我先にとハイツアライアンスに帰っていくクラスメイト達の背中を見送って、今日も1人教室で自席に項垂れる。


こうして過ごすのはここのところ毎日の事だ。
勝手に口から溢れる溜息を止める方法を知らない私は、近頃こうして1人ぼっちの教室で黄昏ていた。


憧れの雄英高校での生活は、描いていたそれよりずっとずっと私には厳しいものだった。
私の個性は、強い。…と、思う。
けれど、故に未だに使いこなすことができていない。


個性「毒」
名前のとおり物騒なその個性は、響からしてどちらかというと敵向きに捉えられてしまいがちで、幼い頃からずっとコンプレックスだった。
空気中の物質を変化させ毒素を発生させられるこの個性は、両親のどちらとも似たわけでなく突然変異で発生したもので、誰からも満足にコントロールの仕方を教わることができずに子供の頃から苦労してきた。
加減を間違えては周囲を危険な目に合わせる事は日常茶飯事。
子供の頃は勝手に個性が暴発してしまうことも多々あり、「あの子には近付かないほうがいい」なんて噂はあっという間に広がって、友達らしい友達なんてろくにできた事はなかった。


でも、ずっと憧れていたヒーローという夢は諦める事ができなかった。
決してヒーロー向けではない個性でも、そんな私だからこそ与えられる希望があると信じてた。
友達はいなくても、だからこそずっと1人で個性を使いこなせるように練習を重ねて、難関である雄英高校ヒーロー科の入試に合格し夢への切符を何とか掴んだのだ。
けれど、ここでの生活はより自分の非力さを感じるばかりで、想像以上に辛いものだった。


「…やっぱりむいてないのかなぁ」


雄英高校に入ってからは友達が沢山出来た。
幸い1-Aのクラスメイトは皆人が良くて、私の個性を褒めて認めてくれる人ばかりだったから、高校生にして初めて学生生活の楽しさを知った。
でもそんな友達を時に危険な目に合わせてしまう自分の力を、私は以前にも増して憎むようになった。


いくら敵相手に行使する技だとしても、殺してしまっては元も子もないため、この個性を使いこなすには微細な調節が肝になる。
相手に後遺症を与えない程度に、その場で軽度な麻痺を与える程度に力を調節する事がもっぱら今の私の課題だが、今の私はまだまだその加減が出来ていない。


今日だってそうだった。
必殺技を鍛える実習で自分の周囲の空気中の毒素濃度をコントロールする訓練をしていた時、近くにいる事に気付けなかった葉隠さんを危うく巻き込んでしまうところだったのだ。
不幸中の幸い、コントロールしたわけではないが個性が微弱化したおかげで葉隠さんは一時的な身体の痺れのみですぐに体調は回復したけれど、これが逆に作用していたらと考えると恐ろしさに寒気がする。
困っている人を救うはずの存在のヒーロー志望が、あろうことか周りの大切な人を傷つけてしまうなんて。


「ヒーロー、なりたかったな…」


私には向いていなかった

やっぱりヒーローになんてなれなかった


そんな風にしか考えられないくらいに、私の心はもう折れかけていた。


「こんな個性なら、いっそ無個性のがよかったかも…」


だってもしそうなら、無謀にもヒーローを目指すなんて淡い希望を持たなかっただろう。
誂え向きではないとはいえ、なまじ中途半端に強い個性を持ってしまったが故にこうして夢を持ってしまって苦しんでいるのだから。


「なんつーこと言ってんだ」


本日何度目かわからない溜息と共に心の声を吐き出して机に更に突っ伏すと、頭上からいきなり降ってきた聞き慣れた声に私は慌てて頭を上げる。
そこには、一番居合わせていてほしくない人の姿があった。


雄英に入って友達ができた。
そして好きな人も、できた。
その人は、平和の象徴と謳われるオールマイトみたいにアイコニックな存在とは相反していつも何を考えているのかわからないけれど、でも優しくて、強くて、温かい。
私の1番のヒーローであり、憧れの人。


「…相澤先生」
「悪いね。盗み聞きするつもりはなかったんだが、まだ教室に残ってる生徒がいるとは思わなかったもんでな」


それは、プロヒーローイレイザーヘッドこと、担任の相澤消太先生だ。


「…いつからですか?」
「あー…『ヒーローなりたかったな』あたりから、だな」
「あはは、聞かれちゃいましたか」


今日はやっぱり最悪の日だ。
まさかよりによって相澤先生にこんな姿を見られてしまうなんて。


「なんだ、悩んでるのか」
「んー、悩んでるというよりは、悟っちゃったって感じです」
「…悟ったねぇ、一体何を」


私が掛けている机の前に蹲み込んだ先生は、目線を合わせて私の目を見て問いかけてくる。
この人はいつだってそうだ。
その声色は相変わらず覇気がなくて気怠げなのに、案外こうやって面倒臭い事に向き合ってくれる優しさがある。


「…さっき盗み聞いてたじゃないですか」
「あー、そうだね」
「ねぇ先生、なんで先生は怒らないんですか?」
「怒るって、何を」
「私の事」


さっきの実習の時もそうだ。
相澤先生は未だに自分の個性をコントロールできずに危なっかしい私を、何も咎める事を言わずにただ保健室に付き添うようにと事務的に言うだけで終わった。
クラスメイトを危険な目に合わせたのに、だ。


「何でってねぇ…別に苗字を叱っても仕方ないだろ」


やっぱり、怒る事すら無駄な伸び代のないやつだって思われているのだろうか。
それもそうだ、一年生とはいえもう二学期。
最初こそ自分の個性で怪我ばかり負ってた緑谷君も、今となってはすっかり個性を使いこなしてクラスで上から数えた方がいいくらいの実力者になっている。
周りを見渡すほど、どんどん開いていく差に自分だけ取り残されたような気になって、焦れば焦るほど悪循環でコントロールが効かなくなる個性。
やっぱり、こんな個性なら無個性な方がよかったんだ。


「…怒る価値すらないですか?」


自分が惨めで、情けなくて、悔しくて悔しくて目尻に涙が滲む。
堪えようとするほどに反比例して込み上げてくる涙で私の視界はすっかり滲んで、目の前の相澤先生をぼやけて映す。
あーあ、泣いてる姿なんて可愛くないし、見られたくなかったのに。
情けない顔を見られたくなくて私は再び机に突っ伏す。
すると、頭の上に何かが触れる感覚と、降って来る優しい声。


「頑張ってる奴叱ってもしょうがないだろ」


それが相澤先生の手だという事はすぐに気がついた。


「苗字は見ていて危なっかしい無茶な個性の使い方もしないだろ。だから別に怒る必要ないと思ってるだけだ」
「で、でも…」


でも、だって、
吐き出したい言葉は沢山あるのに、くしゃりと髪を撫でる手はまるで私にそれを言うなというようで、私は大人しく口を噤んで先生の言葉の続きに耳を傾ける。


「確かに褒められた事もまだ出来てないけど、充分立派な個性だ。使いこなせたら1人で現場を統べるヒーローになるだろうな」


髪越しにもわかる、先生の手の温かい温度。
ああ、きっと今私は耳まで真っ赤に染まってるだろうけれど、それは涙のせいに出来るだろうか。


「…先生、私怖いんです」
「怖い?」
「ヒーローになりたいのに、人を傷つけてしまうかもしれない自分の個性が凄く恐ろしいものに感じて…もし取り返しがつかない事になってしまったら、って思うと上手くコントロール出来ないんです」
「…なるほどな」


誰かに個性の悩みを打ち明けたのは、いつぶりだろう。
個性だけで見たら強個性だ。
外野からは悩むなんておこがましいと言われ、親にすら手に負えないと言われるうちに、いつしか私は誰にも本音を口にしなくなっていた。


でも今なら、先生になら、話したいって思ったから。
この人ならきっと受け止めてくれるって思えたから。
そうしたら、やっぱり先生は私が欲しい以上の言葉をくれた。


「…なぁ苗字、お前自分の限界知らないだろ」
「限界…?」
「そう。知らないから怖いんだよ。それに限界知らないのにコントロールなんて出来ないだろ、加減がわからないんだから」
「で、でも、そんな事して、もし誰かに何かあったら…」
「俺がいれば大丈夫だろ」
「…あっ…」


はっ、とした。
ずっと抱え込んでた悩みが、炭酸がしゅわしゅわ水面に消えていくみたいに昇華される感覚。
あぁ私、なんでずっと1人で悩んでたんだろう、って。


「…先、生、私…」
「ん、なんだ」
「ヒーロー、なりたい…っ」


優しくて、強くて、温かい
私のヒーローみたいなヒーローに、なりたいってどうしたって思っちゃうんだ。


涙で濡れた事も忘れて机に突っ伏していた顔をぱっとあげれば、長い前髪の隙間から覗く目と視線が交わる。


「…大丈夫、なれるよお前なら」


相変わらず気怠そうだけど、無精髭に縁取られた口元が紡ぐ言葉は優しくて。
夕陽に照らされたその人は、やっぱり私のヒーローだ。