ハッピーバースデー(紆余さんへ/ダイゴ)



「いい加減にしてよ。」


かつてこれ程低い声を彼女に浴びせたことがあったろうか。あったなら、目の前の彼女は目をまん丸にはしていないだろう。


「ごめんね。」


彼女は丸かった目を伏せ、申し訳なさそうに謝る。

例えば今日が平日だったなら、いや、クリスマス、バレンタイン、もしくは僕の誕生日だったなら恐らく僕は何時も通り笑って許していたはずだ。

3ヶ月前からプレゼントを悩んで2ヶ月前にカレンダーを二枚捲って印をつけて1ヶ月前に待ち合わせを決めて、高すぎる所は嫌だという彼女に合わせてそこそこ良い位の流行りのレストランを予約して。それを待ち合わせ場所に五時間遅れてやってくる事によって丸潰れにされようと許す自信がある。僕は彼女に甘いから。

しかし、今日ばかりは許す事が出来そうにない。俯いた彼女から目を背けた。


「ご、めん。」

「今、何時だと思う?」

「じゅ、11時半過ぎ・・・。」

「待ち合わせは?」

「・・・6時半。」


夜とはいえ、3月にもなって吐く息は白かった。もしかしたら自分は思う以上に熱くなっているのかもしれない、とちらりと通り掛かりの誰かを伺ったが、その人もまた白い息を吐き出していたのでただ気温が低いだけのようだ。それを確認してから、やっぱり思う以上に冷静なのかもしれない、と不安になった。

まあ、それも気のせいだなんて分かっているけれど。

だって彼女の遅刻の理由は簡単に予想がついているから。


「で、誰とバトルしてたの。」

「・・・・・・。」

「誰と?」

「・・・・・・ルネ、ジム、です・・・。」


質問の答えはよりによってルネ。よりによってミクリ。よりによって、今日に限って、僕より先に会った男がいるなんて。僕はあからさまに溜め息を溢した。

バトルが大好きな彼女は四六時中東から西、南から北へと飛び回っている。その上バトル中はどうやっても連絡がつかない。今日連絡がつかなかったのもミクリや他のジムトレーナーとのバトルに夢中だったから。気持ちはわからないでもない。僕はこれでもチャンピオンなんだから。だけどやっぱり今日ばかりはそれはないだろう。


「ごめんなさい・・・」

「・・・・・・。」


ふるり、長い沈黙のあとの彼女の三度目になる謝罪は震えていた。

ぎくり、間髪を容れずに僕の心臓が跳ねた。


「ごめん、なさい・・・」


急速に、それでも音はなく怒りやら嫉妬やらが引っ込んでいく。

駄目だ、僕は怒っているんだ。今日ばかりは許す訳にはいかない。


───しかし、例えば今日が平日だったなら、いや、クリスマス、バレンタイン、もしくは僕の誕生日だったなら僕は彼女の涙が落ちるのをただ見ていたかもしれない。

3時間前に電話に出ず、2時間前に電話に出ず、1時間前に漸く電話に出た彼女が、待ち合わせ場所に五時間遅れてやって来たときに相当急いだ事によって冷たい夜風で鼻が真っ赤でも、謝る声が震えていても、彼女が泣くのを止めなかったかもしれない。

だけど今日ばかりは彼女を泣かせる訳にはいかない。

彼女から背けたままの視線の先にある時計台から現在時刻を知る。後10分で、去年から近所迷惑の為に控えめな音量にされた鐘が日付の変更を知らせる。


「ご、めなさ・・・」

「もう、いいよ。」


彼女に目を向けると、驚いたのだろう、彼女は顔を上げて僕を見返してきた。その目は薄い水の膜が張っていてきらりと光る。


「・・・そんなに僕が器の小さい男に見える?」

「・・・見え、ない・・・?」

「微妙に疑問符を付けないで欲しいなぁ。」


困った様に眉を寄せるものだからつられて苦笑してしまう。


「誕生日なんだから、泣かないで。ね。」

「・・・う、ん。」


彼女はあふれそうになっていた涙を拭い、ぎこちなく笑った。

笑った拍子に細くなった目尻からこぼれた涙は僕が拭った。


「ご飯は、悪いけど作ってほしいな。軽いのでいいから。」

「うん、」

「ケーキは、明日にして欲しい。買いにいこう。」

「うん、」

「お風呂は、一緒に入ってくれると嬉しい。」

「う、・・・それは、嫌だなあ。」

「お風呂は、一緒に入ってくれると嬉」

「わかり、ました。」

「寝るときは、僕に逆らわないで。」

「何するつもり。」

「寝るときは、」

「あーもうわかった!」

「プレゼントは、寝る前。」

「楽しみにしてる。」


笑う彼女の涙が拭い切れなくなったものだから、僕のスーツに彼女の頭を引き寄せる。


「あ、そうだ、」

「?」


時計台の長針が11を指していた。




ハッピーバースデー
(日付が変わる前に会えて、)
(よかった。)





100309

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