イタチごっこ
ミオの美しい海を背景に、ゲンさんが立っている。深い藍色の髪が、透き通る白い肌が、全身を覆う海色のスーツが、儚く海に溶けてしまいそう。いや、溶けると言う表現は間違えているかもしれない。海に還ってしまいそう。
ゲンさんは、海に似ている。
その儚い容姿や雰囲気に、初めて会ったときは"この人なんか死にそう。消えそう。"なんて物騒な事を思ったっけ。…まあ、今もまた別の意味で死にそうだと思っているし、消えそうだとも思っているけれども。「ゲンさん、」「ん?」ゲンさんが振り返る。
「ゲンさんって、海みたい」
「…え?」
「初めて会ったときに思ったの」
「海…?」
「あと、死にそう。と、消えそう。って」
「なんだか弱々しいイメージで嬉しくはないかな…」
顎に手をやって、それから力なく苦笑した。そう、初めはこんな笑い方の出来る人だとは思わなかったんだよね。
「弱々しいなんて思ってない。なんていうか、ええと、あ、薄幸の美青年、みたいな」
「薄幸って…、そんなに幸が薄そうに見えたのかい?」
「んー…、まあ、近い?」
「…酷いなあ」
ゲンさんが海への落下防止用の柵に腰掛ける。私もそれに習って右隣に腰掛けた。柵を掴む私達の手は、触れそうで触れない距離。
「でも、今も違う意味で死にそうとか消えそうとか思ってるけどね」
「違う意味?」
小首を傾げるゲンさんからわざと視線を逸らす。
「いい加減、食事くらいまともに作れるようにならないのかな、とか」
「………いいんだよ、君やトウガンさんがいるんだから」
ちらりと視線を戻してみると、今度はゲンさんが逸らした。言葉に詰まるゲンさんに追い打ちをかけてやろう。
「ルカリオが作ってるのも見た事あるんだけどなー」
「……き、君のを見て覚えてしまったんだよ…」
ゲンさんの顔を覗きこもうとすると、さらに視線が逃げる。
「それからふらーっとジョウトのバトルタワーとか行かれると、ああついに消えた?とか思っちゃうんだよね」
「………」
次は視線が泳ぐかな、と思ったが、予想に反して何故か視線は戻ってきた。その表情は、固い。吃驚して凝視していると、さっと視線に再び逃げられた。
偶にこういう事が起きると、私の不安はどうも煽られる。
だってゲンさんは、海に似ている。「ゲンさんって、やっぱり海みたい」「…何がだい?」また視線が戻ってきた気配がしたが、今度は私が顔ごと背けた。質問に答える気はない、そういう意味合いを込めて。案の定ゲンさんはそれをしっかり察して黙った。
ゲンさんと言う人間は、深い藍色の髪に透き通る白い肌、全身を覆う海色のスーツ、それらを抜きにしても海の様な人間だった。穏やかな瞳は包む様な安心をもたらすけれど、その穏やかさに安心しているとずぶずぶと深みに溺れてしまいそう。捕まえたと思った次の瞬間には本当に捕まえていたのか分からなくなる。寄せては返しを繰り返して、手応えがない。そして私だけのものにはどうしてもなりそうにないのだ。
生活能力皆無なゲンさんは、不思議と人に構われる。死にそうなゲンさんを死なせまいとする人間は私の他にもわらわらいて、ゲンさんからすれば大勢の中に紛れた一人が私なのだ。私でなければいけないことはない。そんな人間のもとに寄せては返す意味があるだろうか。「私からすれば、」ふいにゲンさんが沈黙を破った。
「名前の方がよっぽど海だと思うよ」
その言葉に、思わず背けていた顔を向ける。私が終わりにしようとした話題を掘り返すゲンさんなんて、初めてだ。
「今だってそうだ。明日にでも君が、ここに来なくなってしまうような気がして…」
「……なに、それ」
ゲンさんが複雑そうな表情で笑む。困ったようにも、悲しそうにも見えるそれに、口を噤んだ。
「私のものになったかな、と思ったら次はもう違うような気がしたり、私の面倒をみる延長で側にいてくれるのかな、と思ったり。寄せては返しの繰り返しで、手応えがない」
視線は逸らせない。穏やかな海に引きずり込まれている。
「ジョウトに行ってるときに一本も電話が来なかったりしたら、ああもうついに、なんて思うよね」
表情を一転させ、にっこり笑ったゲンさんを誤魔化す様に睨む。
「へえ、じゃあ少しは安心した?」
「勿論。不安だったのは私だけじゃなかったんだな、ってね」
するり、私の左手にゲンさんの手が絡むように重なった。思わず柵を握る力が強くなる。
「君がいる限り、私はここに帰ってくるよ」
ゲンさんの左手が私の頬を撫でた。とろりと細められる瞳はもう海ではない。抜けられない底なし沼のように深くて、海なんかよりずっと熱い。伝染するように私の頬が熱くなっていく。
「きっと、君が思う以上に私は名前のことを好きだよ」
イタチごっこのおわり
(…馬っ鹿みたい…!)
(よかった、両想いだね。)
(う、うるさい…!)
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