甘やかす



「おじゃましまーす」

「いらっしゃい」


出迎えてくれたゲンガーに連れられて勝手を知ったマツバさんの家を進むと、台所でエプロン姿のマツバさんを発見。エプロン姿可愛いんですけど。


「荷物いつものとこ置きますね」

「あ、うん」


隣の和室に荷物とコートを置き洗面所で手洗いうがいをすませ、台所に戻る。マツバさんがにこにこといつもの笑みを浮かべながらお玉を持って振り返った。


「今日は名前ちゃんの好きなおかずいっぱい作っちゃった」

「えっ!ありがとうございます!いい匂い〜!!」


すんすんと台所を満たす匂いを嗅げば、口内がきゅうっと音を立てて唾液が溢れる。何の匂いだろう。とってもおいしそう。


「ほらみてみて」


マツバさんがテーブルに並べられたラップ付きの皿達を指差す。


「わっ……?……えっ、…えーっと、………えっ?」


皿"達"。レンジでチンを待っているであろうもの、既にチンされたであろうもの、できたてほやほやのもの、冷えたまま出すであろうものが所狭しと並べられている。それはもう大量に。


「ゲンガー、和室のテーブル拭いてそこのおかず運んでおいてくれる?」

「ゲンガッ!」


台布巾を持ったゲンガーが隣の和室に飛んでいくのを見送りながら、恐る恐る疑問を口にしてみる。


「えっと…きょ、今日って、何か記念日でした、っけ…?」

「?違うよ?」


"ごちそう"、その言葉がぴったりであろう数々の料理達。だからもしかしたら今日は私が忘れている特別な日なんじゃないかと思ったのだが、どうやら見当違いだったようだ。


「じゃあ、これは…」

「今日は名前ちゃんを甘やかそうかなって」

「へ、へえ…」

「あ、お風呂も沸いてるけどどうする?」


甘やかすと決めるとここまで出来るのか、マツバさん恐るべし。普段だって十分過ぎるほど私を甘やかしているくせに(ちなみにミナキさんのお墨付き)、あれは彼にとって取るに足らない、当然あるべきするべきアクションだったのか。なにこの…


「なにこの尽男!!!」

「つくだん?」

「彼女に尽くす男子のことです」

「そうなんだ。新しい造語ってどんどん出来るね」

「ですね」


マツバさんがお鍋の中をお玉でくるくると回す。隣から覗きこむと、いい匂いがふわりと昇ってきた。おいしそう。


「お風呂どうする?」

「んー、あとでいいです。ゆっくり入りたいので」

「そう、じゃあご飯にしようか」

「手伝います!」

「ありがとう。じゃ、これレンジに」

「はーい」


受け取った唐揚げ入りの大皿をレンジに入れ、ボタンを押して温めスタート。新調したばかりのレンジのカリカリ設定のお手並み拝見だ。


「あのね、今日は挑戦者いなくて…」

「へー」


どうやら私はカリカリ設定を押すだけの仕事を与えられたらしい。他はもうほぼ完成していて、私にはやることがない。仕方なくからあげの見守りをしていると、コンロの火をマツバさんが消した。


「早めに帰ったんだけどゲンガーが邪魔ばかりしてね…」

「うんうん」


からあげを見詰める私の隣に、マツバさんが立つ。ちら、マツバさんを見ると、彼もまたからあげを見詰め、楽しそうに喋っていた。あれ、これなんか距離近くないか。そして何だか珍しく口数が多い。普段も無口な訳ではないけれど、こんなに日常をつらつら語るマツバさんは極々稀だ、多分。


「それで、」

「今日、マツバさんいつもよりしゃべりますね」

「あ、ご、ごめん…」


ぽつん。思った事を素直に零すと、マツバさんは目に見えてしょんぼりとして視線を落とした。慌ててマツバさんに向き直り、補足する。


「いえ!いいんです!…ただ珍しいなって…」

「……」

「それに、…ちょ、ちょっと嬉しいです」

「……!」


普段、脈絡なくとか気ままにとか、そういう話をしないマツバさんがそうしている事が珍しくて嬉しい。そう思っていたけれど、口に出すとこんなにも恥ずかしいのか。頬が熱くなる。


「あ、でも、何かあったとかではないですよね?」

「ないよ、大丈夫。……ただ、…」


言い淀むマツバさん。私が映った藤色の瞳に聞き返した。


「…ただ?」


♪〜〜♪♪〜♪


「あ、からあげあったまったね。カリカリ」


温め終了と同時、マツバさんは慌ててからあげを取り出し、チェックする。いやいや、今結構、あれえ。


「あの、」

「新しいレンジはやっぱり性能いいね」

「そうですね。…じゃなくて、」

「お味噌汁よそろっか」

「…マツバさん」

「……」


マツバさんのエプロンを引くと、止まる。背中を向けたままで表情は覗えないが、これは押せば零すパターンだ。私は続ける。


「ただ、…なんですか?」

「………」

「やっぱり何か、」

「違うよ。……あの、ちょっとね……、……」


後ろ姿のマツバさんは耳が真っ赤になっていた。見なくてもどんな顔かわかって、思わず苦笑する。ああもう、何でこの人は、


「甘えたくなったとか、言ってもいい、かな…」


可愛いんだろうか。


甘やかす
と、見せかけて

(どろどろに)
(溶けあう)


120209

  

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