噴水から絶えず聞こえてくる水音はひたすらに爽やかだ。まるでエースのようね、とアリスは隣を歩くハートの騎士を見上げる。
「うん? 俺の顔に何かついてる?」
「あっ、いえ。ただ何となく見てただけだから」
「ふぅん?」
エースは納得したのかしてないのか判別がつかない返事をして、噴水の縁に腰掛けた。
「ほら、アリスも座りなよ」
とんとん、とエースは自分の隣を軽く叩いて、アリスを呼び寄せる。
エースに付き合って散歩をしていたら思いの外歩き続けてしまっていたので、そろそろ座って休憩したいと思っていたところだ。アリスは遠慮なく、しかしスカートの裾に気をつけつつエースの隣に腰を下ろした。
背後で水が弾けているからか、少しだけ涼しさが伝わってくる。緩やかに吹いてくる風も相俟って、とても穏やかな気分だ。
「気持ちよくて、なんだか眠くなってきそう」
「ははっ、俺も眠気が……。でも珍しいな? アリスがこんな場所で気を緩めるの」
確かに、普段のアリスなら一歩間違えたら真っ逆様という場所で気を抜いたりなどしない。それでも今、こんな状態になっているのは麗らかな太陽と涼やかな風のせいだろう。
「なんだか似てるのよ。姉と過ごした時間に」
──穏やかで暖かな日曜日の午後に。
「へぇ? ……君のお姉さんってどんな人だったんだ?」
「え?」
エースの声が、少し低くなった気がした。
アリスは彼の顔を覗き込んでみるけれど、いつもと変わらず爽やかな笑みを浮かべている。僅かな声のトーンの違いなど、アリスの気のせいだと言ってしまいたくなるくらいに。
しかし、アリスは有耶無耶にはできなかった。
「……エース。あなた、私の姉のこと嫌いじゃなかった? なんで聞きたがるの?」
「理由が必要? ただ気になっただけだからなんだけどなぁ」
「そ、そう」
にっこりと笑いかけられてしまえば、アリスはもう何も言えなかった。
この癖の強すぎる騎士は本当に何を考えているのか分からない。笑顔の裏に、どんな感情を隠し持っているのかなんて、アリスには見当もつかなかった。
アリスはスカートの皺になんとなく目を落としながら、ぽつりぽつりと語っていく。
「姉さんは美人で、優しくて。私にないものを何でも持っていたわ。私の自慢の姉で……」
誰もが「素敵な人だ」と評する存在。そんな姉が誇らしかった。
けれども、羨ましくも感じていた。
これはアリスの自分勝手な感情だ。自分が情けなくなったアリスは、ぐっと奥歯を噛み締める。
卑屈でうじうじとした性格のアリスが悪いというのに、おこがましくも姉を自分と比べて勝手に羨んでいるのだから。
本当に自分が嫌になる。
「君は……お姉さんのことを憎んでたんだね」
「っ!? そんなことないわッ!」
エースの容赦ない言葉を、反射的に否定する。
憎んでなどいない。あの人が姉を選んだのだって当然の結果だと思っている。だから、恨みというのもない。
なんてこと言うの、とアリスがエースをきつく睨みつければ、彼はどこ吹く風といったふうにアリスを躱した。
「そんなことある。だけど、それと同時に愛してもいた。愛憎って言葉があるように、愛しさと憎さは同時に存在できるんだぜ」
エースの指がアリスの胸を、軽くつついた。
僅かに左寄りの胸。趣味ではないいつもの服の下には心臓がある。
エースが指し示したのは心臓ではない。心だということを、アリスはすぐに理解した。
「っ、私の気持ちを分かったように言わないで」
「図星だから?」
ぶわり、と体温が一気に上がって、目頭の奥が熱くなった。
本心を言い当てられることもつらい。それ以上に、図星をつかれたことを改めて口にされるのもつらかった。
「っ! ん、ひ……っ」
「泣かないでくれよ。泣かせるつもりはなかったんだ」
アリスだって、泣くつもりはなかった。しかし、あらゆる感情に襲われてキャパオーバーした身体は次から次へと涙を流させてくる。
エースは困ったように頬を掻いてから、優しくアリスの目尻に触れる。
アリスは泣かせた張本人に優しくされたくなくて、エースの手を振り払う。その時にちらりと見えたグレーの手袋は、アリスの涙を吸い取って濃い色にその身を変えていた。
「泣かせるつもり、なかったなんて、よく言うわ……っ! どうしてそんな意地悪言うの?」
「言っただろ? 忘れることは許さないって」
エースはアリスが避ける隙を与えることなく、涙で濡れる頬を舐め上げた。きっと、手を振り払われた腹いせだろう。
「くッ、酷い人ね……!」
やっぱり睨まずにはいられない。涙で滲む視界で、エースはうっそりと笑って唇を動かしたのが見えた。
しかし、エースが発した声は思ったよりも小さくて、噴水の音に掻き消されてしまう。それでも、アリスには彼が言いたかったことが分かったような気がした。
狂った不思議な世界にそういった概念があるとは思えないが、アリスがいた世界で言うのであれば、それはきっとこう言うはずだ。
愛しくて愛しくて憎い私のアマデウス、と。