──今日こそは、絶対降谷さんに言おう。
そう決めたのは今朝だった。この時からずっと、私の心はそわそわと落ち着きがなくなっていた。
しかし、プライベートのことが気になったせいで、仕事を疎かにするわけにはいかない。だから終業するまでずっと気を張り続けていて、いつになく疲れが出てしまっていた。
妙な疲労感と緊張感を抱いたままの私を、白い車は平然とタイヤを滑らせていた。幾度も角を曲がり、時には信号待ちをして、目的地までのルートを迷うことなく進んでいく。
そうして車が完全に止まったのは、私が住んでいるマンションの前だった。
「着いたぞ。遅くまで悪かったな」
「いえ。降谷さんこそ、車を出してくれてありがとうございます」
私はいつもよりも深く頭を下げた。降谷さんが仕事を上がる時に気持ちを伝えたくて残業していたなんて、本人には絶対言えない。
幸いなことに、公安の仕事は山ほどある。その中の一つに、各班から提出された調査報告書を元に資料を作成するというものがあった。
報告書を時系列に並べ替え、客観性のある文を抜き取り、一つの文書にまとめていく。こういった作業は嫌いではない。むしろ得意としていた。
だから時間も忘れて夢中で作業を進めていると、降谷さんが呆れながらも「もう遅いから車で送る」と言ってくれたのだ。
車の中は二人きり。こんなチャンスは滅多にない。しかし、数十分間もあったというのに、私の唇はただ他愛のない言葉を紡ぐだけだった。
つまり、何も言えないまま、目的地に着いてしまったというわけだ。
「ん? どうした?」
シートベルトに手をかけた状態で微動だにしなくなった私を、降谷さんは不思議そうに見つめる。
「シートベルトのボタン、そんなに硬かったか?」
「ち、違うんです。あの、っ」
言うなら、今しかない。勇気を出せ、と私はシートベルトをギュッと握りしめて、降谷さんに向き直った。
「あの、降谷さんっ! わたし、降谷さんのことが、んむッ!?」
かぽっと、降谷さんの手のひらが私の口周りを覆う。突然のことに、私は言葉を引っ込めて目を瞬かせた。
いったい、これは何だと言うのか。
「……僕の勘違いだったら思う存分笑ってくれ。今、僕に告白しようと、した?」
改めて言われると、少し照れくさい。この甘酸っぱさは恋特有のもので、いい大人な年齢になってもなかなか慣れない。
私が躊躇いがちに小さく頷けば、降谷さんは苦々しい顔をして「ごめん」と呟いた。
「それだけは駄目なんだ」
「……ッ」
チクリと胸が痛んだ。
この痛みは失恋の痛みなのかも、好きな人にこんな表情をさせているからなのかも分からない。だけど痛みを感じることさえ、失礼なような気がした。
好きだと告げる行為は、ただの自己満足にすぎないのだから。降谷さんにとっては迷惑なものだったのだろう。
「そ、そうですよね。ごめんなさい。ただ伝えたかっただけなので、忘れてください」
正確には、最後まで伝えさせてもらえなかったけれど仕方ない。
降谷さんが望むのなら、この想いはずっと胸に仕舞い込んでおくべきだ。それでも、明日からはまたいつもの部下役に徹するので、時折感傷に浸るくらいは許してほしい。
しかし、降谷さんはこの場の出来事を忘れてくれようとはしない。
「忘れろ、なんて無理な話だ。今抱えてるものが全て片付いたら、僕からちゃんと伝えようと思っていたんだから」
「……え?」
降谷さんの言葉を、脳が理解するまで時間がかかった。思わず空耳を疑ってしまうくらいに。
私の混乱をそのままに、降谷さんは自分勝手に話を進めていく。
「だから、それまでは君の気持ちに応えられない。酷い男でごめんな」
「それって、つまり……」
互いの気持ちを知りつつも、片思いをし続けろと言うこと。とんだ酷い話である。
しかも自分で「酷い男」だと評するのだから、なおタチが悪い。
「っああーもう! 早く組織ぶっ潰しましょうね!!」
「ああ、そうだな」
突然叫び出した私を、降谷さんはくつくつと笑いながら愛しげに目を細めた。