私の知らない貴方

 シングルベッドでは脚がはみ出るのか、秀一がシーツの中でゆったりと身動ぎする。大きな体をしているのに、動作は静かだ。布擦れの音もベッドの軋む音も、僅かにしか鳴らない。
 さすがはスナイパーだ、と私が感心していれば、秀一の脚が甘えるように私の脚にじゃれついてきた。
 先程までの行為のせいで、彼も私も汗ばんでいる。ふたりのしっとりとした肌が、磁石のようにくっついた。
 なんだか愛おしくて、思わず笑みが零れる。すると、短く強く吐いてしまった息が彼の厚い胸板を撫でたのがどうやらくすぐったかったらしく、目の前にある喉仏が上下した。
 その突起を、女は持ってないからかもしれない。興味と共に、ほんの少しだけ悪戯心が芽生える。
 彼の腰に回していた手を、喉元に当てた。小さな突起は私の手でもすっぽり収まる。
「どうしたんだ?」
 秀一が声を発すると、微弱な振動が手のひらに伝わってきた。むず痒いような振動に、とうとう私は声を出して笑ってしまう。
 どうして私がそうなっているのか理解できていない秀一は、珍しく目を丸くする。けれども、大きく開かれた目はだんだん優しく細まっていった。
「機嫌がいいようだな」
「んー、ふふっ……そうみたい」
 そんな答えでも秀一は満足したようで、ゆっくりと顔を近づけてくる。私はキスをされるのだと思って、軽く目を瞑った。
 しかし、いつまで経っても唇に柔らかい感触は訪れない。
「しゅ、いち?」
 そっと片目を開けて秀一を伺えば、彼の形のいい鼻先が私のそれと触れ合った。
「ん……」
「フッ、可愛いな」
 声の振動は鼻先であっても伝わってくる。くすぐったいような、妙な心地よさだった。それを彼も感じたのだろう。鼻先同士を緩やかに擦り合わされた。
 すりすりと行き交わせる可愛らしい仕草は、猫を連想させてくる。
 こんな可愛い人だったっけ、と私は昨日に引き続き首を傾げた。もしかしたら、日本での潜伏期間中に何かきっかけになったことがあったのかもしれない。
「……ねぇ、死んだフリしてた時ってどう過ごしてたの?」
「ああ、それか。別人になりすましていたんだ」
「別人……?」
 秀一の言葉を反芻してみても、いまいちピンと来ない。想像つかないことを無理に想像しようとしたせいで、眉間に皺がきゅっと寄る。そこに秀一はリップ音を立てて唇を落とした。
「沖矢昴という名前でな。写真見てみるか?」
「え、あるの!?」
「確か、キャンプに行った時のが……」
 秀一が私の体を通り越して、ベッド脇のサイドテーブルに手を伸ばした。そこに置いてあるスマートフォンを取りたいようで、背後で物が擦れる音が響く。
 けれども、私はそれどころではない。
「キャンプ!? 秀一がキャンプ!」
 全く想像できない。あの秀一がキャンプだなんて、本当に想像ができない。
 私は喉の奥をクックッと鳴らして笑う。
「そんなに笑うことか?」
「だって、似合わなくてっ……」
「まぁ、そう言うな。……っと、あったぞ。これだ」
 アルバムから例の写真を探し出した秀一に、スマートフォンの画面を見せられる。そこには、眼鏡をかけた優しそうな青年が小学生くらいの子どもたちとバーベキューをしている姿があった。
 色素の薄い肌と髪に、緩くつり上がった口角。中身は秀一なだけあってか、体型はしっかりしているものの、周りを取り囲む雰囲気は全くの別人だった。爽やか、という言葉が似合う。
「へぇ、オキヤスバルさんってこんな感じなんだ。ふぅん、そっかぁ……」
 秀一が別人として生きていた時に関わっていた人たちは優しそうだ。大変な任務をこなしつつも、穏やかな時間を少しは過ごせたに違いない。
 そして、今までとは全く違った人間関係を築くことによって得られたものも、きっとあるのだろう。
 いつか日本に帰ったら、彼らを紹介してもらいたい。彼らから見た秀一、もといスバルさんのことを聞くのも面白そうだ。
「……気に入ったのなら、この姿で抱いてやるが?」
 秀一が低い声で唸った。言っていることと、声色が全く合っていない。どうやら自分の変装した姿に嫉妬しているらしい。
 やっぱり彼には可愛いところがある。私は笑いを噛みしめながら彼のスマートフォンの電源ボタンを押して、画面を暗くした。
「ううん。スバルさんの顔は好みだけど、スバルさんは秀一じゃないからイヤ」
「……ホォー、これは強烈な口説き文句だな。ダーリン?」
「くど!? えっ、そんなつもりじゃ……」
 ただ思ったことを口にしただけだ。だというのに、秀一は意地悪そうに目を細める。
「冗談のつもりだったが、なかなか嬉しいことを聞けたな」
 悪戯な手でするりと裸の腰を柔らかく撫でられて、肌が粟立つ。
「ひゃっ! ん、もうっ!」
 冗談で終わらせるつもりなのだろう。もし私が「抱いてほしい」と答えていたら、どういう目に遭っていたか。おおよその見当が付いて、私は身震いしてしまう。
 すると、秀一が鼻先に軽い口づけを落としてくる。これは「からかって悪かった」と言っているのかもしれない。
 私には「嫉妬して悪かった」と言っているように感じられた。
「俺が君を、俺以外の奴に抱かせるわけないだろう?」
「……っ秀一こそ、すごい口説き文句ね!」
「そう、口説いてるんだ。……だから、もう一回抱かせてくれないか」
 そして、艶やかな声色で名前を呼ばれ、下腹部に情欲の火が灯った。
 どのみち彼に抱かれるしか、私に道は残されていないらしい。