憂鬱バースデーに祝福を

 人は声から忘れていく生き物だ。だからこそ、常に反芻して心に刻みこむ。


 今日は自分の誕生日だ。かといってそれほど浮かれてはいない。
 いや、幼馴染の家で盛大に祝ってくれるのは嬉しい。夕飯をご馳走になりながらワイワイ祝ってもらう。嬉しくないはずがない。
その後が嫌いだった。誰もいない静まり返った家には慣れているはずなのに、誰かといた後はどうしても寂しく感じてしまう。しかも自分が主役になれる一年に一度の誕生日なら、尚更だった。


 幼馴染の家に呼ばれた時間にはまだ余裕がある。どうせ彼女のことだから張り切って飾り付けでもしているのだろう。
 快斗は制服のままふらりと街に繰り出した。
 行き交う人々は帰路を急いでいるのか、足早に去っていく。それを他人事のように眺めながら行くあてもなく歩いていると、ある声が聞こえてきて耳を疑った。
「おや、じ……?」
 建物と建物の隙間、いわゆる裏路地と呼ばれている暗い細道。
 快斗はそっと伺うように覗きこむも、誰もいない。だが、忘れるはずのない声が確かに快斗の耳に届いたのだ。
 気のせいだとは思いたくない。
「……っ」
 身体能力の高い快斗はするりと路地裏に忍びこんだ。
 寂しそうに唸っている室外機や乱雑に置かれたダンボールなどのゴミを軽々と避けて突き進む。すると十字路にぶつかり、逡巡するように足を止めた。
 どこからなんだ、と耳をすませれば、コツリコツリと硬質な足音が古びたコンクリートに囲まれた空間に反響する。
 それに誘われるようにして右に曲がった。もちろん、こちらの足音は消して。
 そしてその時は来た。突然相手はピタリと動きを止め、こちらに声をかけてくる。
「誰かいるんですか?」
「……え」
 予想していたのとは、全く違う声。だが聞き覚えのあるそれにある人物を思い浮かべ、思わず感嘆が漏れる。
 すると再び動き出したその人物は、快斗から見てひとつめの左の曲がり角から顔を出した。
 もしかしなくても、その人物は沖矢昴だった。
「……っ」
 名探偵の家に住んでいる謎の大学院生。
 首に装着しているメカらしきものを相当隠したかったのか、あのトレイでの出来事はなかなかの衝撃だった。未だに忘れることができない。
「君は……?」
「っ、あっいや……。……知り合いの声が聞こえたと思って追ってきたはず、なんですけど。違ったみたいです! いや〜、すみません!」
 へらり、と上手く笑えただろうか。
 おちゃらけているように見せるため、頭に手を添えたが、それは微かに震えていた。
 この場から早く立ち去りたい。焦燥感が湧き上がってくるのを感じてしまっていると、ポケットに入れていたスマートフォンが陽気な音楽を奏でた。
 ナイスタイミングだ。
「青子? どうした? …………もう終わったから早く来いだぁ!?  …………ちょ、待て待て待てケーキは食べるな! オレの誕生日だぞ!」
 きゃんきゃんと高い声が鼓膜を直撃した快斗は顔を顰めてスマホを耳から遠ざけた。すぐにでも通話を終わらせたくて、ぶっきらぼうに返事をする。
「わぁーったよ、すぐ行くから!」
 軽くタップして画面を切り替え、それを再び制服のポケットにしまった。
 電話中、なぜか動かずにいた男にパッと笑顔を向け、手を挙げる。
「もう行くんで! じゃ、失礼しました〜!」
 まずは半歩だけ足を引く。警戒心を解いてはいけない。
 暗いのでお気をつけて、とだけ忠告してくれた沖矢は胡散臭く微笑んでいる。本当に心が読めない人だ。
 快斗は足裏を滑らせるようにして身体を回転させ、沖矢に背を向けて来た道を戻り始めた。
 最初の十字路まで歩みを進めると、後ろからピッという機械音が耳に届いた。その音になぜか引っかかりを覚えた快斗は首を傾げる。
 すると、コンクリートに囲まれていて淀んでしまった空気が言葉を伝えてきた。
「……誕生日、おめでとう」
「……っ!」
 その声は郷愁を感じさせるものなのに、記憶の中のそれとはどこか響きが違う。悲しいような、嬉しいような、混沌に包まれた快斗は振り返らずに角を曲がった。
 来た時同様、猫のようにスルスルと障害物を避け、暗い路地裏から出ようとする。
 その前に深呼吸をひとつ。そして、いつも心に刻んでいる言葉を口ずさんだ。
 快斗はポーカーフェイスをまとい、光へと足を踏み入れた。
 こんな誕生日も悪くないかもしれない。