哀、愛、逢い

 今日はこれぞ春、といった陽気だ。ポカポカと暖かい。穏やかな休日の昼下がり、阿笠邸に訪問者を告げるチャイムが響く。志保がインターホンで確認をすると、金色の髪がよく目立つ彼がモニターに映し出されていた。
 いつもは新一と一緒だが、今日はひとりで来たようだ。どうやら私用らしい。長袖の薄いシャツとチノパンといった出で立ちの彼を中へ促せば「ここで大丈夫だ」と片手を上げて止められる。
 その褐色の手が差し出しているのは、手紙を入れるようなサイズの白い封筒。
「これを、君に渡したくて……」
 僕が写っていて申し訳ないんだけど……、と照れくさそうに笑った。元々の幼顔に、その照れ笑いはさらに降谷を幼く見せた。
 本当に三十路かしら、と思いながらも、封筒を開けて中を確認する。出てきた物は、一枚の古い写真だった。
「……お姉ちゃん?」
 幼い明美と同じく幼い降谷が口喧嘩をしているような風景だ。そしてその幼いふたりの奥で、微笑みながら子どもたちを見守っている人物はエレーナだった。
 平凡で、平穏で、ありふれた日常がそこには存在していた――。
 目と鼻の奥がツンと痛くなって、志保は慌てて顔を伏せる。
「あなたにも、こんな可愛い時代があったのね」
 零れ落ちたのは涙ではなく、精一杯の強がり。きっと降谷は困った顔をしているに違いない。
「そこには、触れないでくれ……」
 案の定、呻くような声が上から降ってきて思わず笑ってしまった。日本屈指の捜査官のこんな姿を、彼の部下が見たらなんて思うだろうか。
 白衣を翻して室内へと向きを変えて、降谷に声をかけた。
「お茶を入れるわ。博士のとっておき、最高級の日本茶よ」
「あ、いや、僕は……」
「そのラフな格好、この後仕事って感じでもなさそうだし……。もちろん飲んで行くわよね?」
 志保が顔だけで振り返れば、降谷は一瞬だけ大きく目を見開く。そして、彼の唇はすぐさま緩やかに弧を描いた。


「それじゃあ、お邪魔します」
 降谷は少しだけ頭を下げて、阿笠邸に足を踏み入れる。肩越しに振り返った志保の顔に初恋の人を見てしまい、敵わないな、と思わされたのだ。
 どうやらお茶のお供は、恥ずかしくも愛おしい思い出話になりそうだ。
 その予感は当たり、いろんな事を彼女に話してしまった。手探りの会話がだんだんと滑らかになってきた頃、またもやチャイムが鳴る。
「どうせ工藤君でしょうね。見てくるわ」
 残された降谷は、目的は果たしたしそろそろ暇を告げるべきか、と日本茶を飲み干してテーブルを軽く片してから玄関へ向かう。
 そこでは既に志保が来客対応をしていた。やはり来訪者は新一のようだ。挨拶をしようと志保の隣まで来ると、ぬっと影が射す。
 降谷は現れた人物に目を見張った。
「……だから赤井さん連れてきた、んだけど、降谷さん、来てたんだ。……えっと、マズかったよな?」
 苦笑いした新一に、志保は肩を竦めていた。


 志保は円卓の内側に入ってコーヒーをカップに注ぐ。すると、コポコポと心地よい音がした。この音が志保は好きだった。なんだか、緩やかな時間を過ごしているような気がして。
 それとは対照的な声が、新一の上を通過していて、少し面白い。
「どうしてここにいるんだ、FBI」
「従妹の様子を見に、ね」
 大人ふたりに挟まれた形で、カウンター席に座っている新一は居心地悪そうにしている。
「あの……オレ、どきましょうか?」
「いや、新一君はここにいてくれ」
 降谷が新一の肩をガシッと掴んだ。
「ボウヤはそのままで問題ない」
 赤井も、反対側の肩を押さえる。
 ふたりに身動きできなくさせられた新一は困ったように眉根を寄せた。きっと、この人たちってちょいちょい可愛いんだよなぁ、と思っているに違いない。狡い大人たちを、彼はどうすることもできないらしい。
 彼らの力関係がとても面白い。志保は思わずクスリと笑ってしまった。
「なんだよ、宮野」
「なんでもないわ。……はい、コーヒー」
 憮然とした態度の赤井と怪訝な様子の新一にコーヒーを渡し、一枚の写真を掲げる。
「そういえば、とってもプリティーな降谷さんの写真があるのだけれど……、見る?」
 カウンター越しに手を伸ばす好奇心旺盛なシャーロキアンたちに、降谷は妨害を図る。
 そこから半歩下がった志保は再び笑みを浮かべる。この光景を焼き付けるように、心の中でシャッターを切った。
 平凡で、平穏で、ありふれた日常がここにもあったと、感じながら――。