窓から侵入してきた風に、新一はブルリと身体を震わせた。春になったとはいえ、夜は冷えこんでくる。
もう夜か、と自室で新作の推理小説にのめり込んでいた意識を現実に向けた。
白いカーテンが気持ちよさそうに、ふわりと揺れる。それはある人物を彷彿とさせた。
「……姿くらませやがって」
純白の衣装に身を包み、闇夜に浮かぶその姿はまさに大胆不敵。
感情を読み取らせないポーカーフェイスを振りまき、新一を翻弄していたキッドは最近パッタリと現れなくなった。
「死んでたり、しないよな……。いや、考えるのはよそう」
頭を振り、気持ちを切り替える。とにかく窓を閉めなければ。このまま寝てしまっては風邪を引いてしまう。
すると、その窓をコツリと叩かれた音がした。ある期待に心臓が苦しいほど跳ね上がった。
風に揺れるカーテンに、僅かな陰りが作られていた。
まさか、な。いや、きっと何かが風に飛ばされてきたんだろう、とため息を吐いてカーテンを開ける。
そこには白い鳩が佇んでいた。
「……は?」
その鳩は新一の間抜けな声をバカにするように、クルッポー、と鳴いた。
キッドの愛鳥だろう。その鳩は首から巾着袋をぶら下げていた。まるで取ってくれと言わんばかりに鳩胸を更に大きく見せている。
「……わぁったよ」
ふわふわの羽毛に指を埋めながら、紐の絞りを緩めて中身を取り出す。
出てきた物は、花の形をした透明なケース。手のひらにちょこんと乗っかるような可愛らしいサイズ感だった。
新一がそれを手にしたと確認した鳩はバサバサと飛び立ってしまった。
「あ、おい!……ったく、なんだコレ?」
プラスチック製のそれは五枚花を象っている。ある花弁の頂点にがま口のような突起があり、それを捻るとパカリと蓋が空いた。
「普通の、ケース……だよな。花形の……」
覗く角度を変えたり光に透かしたりしても、妙な所は見つからない。
それに、これは何かを入れる器だ。もしかしたら、また何かを持ってくるだろう。この中に入れる何かを。
そこまで考えた新一は机にケースを預け、寝る準備に入った。
――そして、次の日。新一の推測通り、白い鳩は今日もやってきた。
首から下げている物は昨日と同じ袋。その中には、一枚の花弁の形をした透明な硝子が入っていた。
手に渡ったと見ると、鳩はすぐさま帰ってしまう。躾の行き届いてることで、と新一は笑った。
「……さて、アレに入れてみるか」
ケースの蓋を開け、小さなそれを花弁の一部屋に嵌めるとピッタリと収まった。
新一は観察するように覗きこむ。硝子の薄さはケースの四分の一程度だ。
「……これをミッチリ埋め尽くすまで鳩が来るのか? ……あー! わかんねー!」
キッドの不可解な行動。手のひらでコロコロと転がされているようで癪に障った。
顎に手を当てて真意を探る。もちろん昼間の講義中であっても。
鳩が一枚ずつピースを届けてくれる。昨夜受け取った花芯で一輪の花が完成していた。
だが、それだけだ。これがなんだっていうのか。
「それにしても、この花の形……。どっかで見たような……?」
怪盗の意図と花の正体は相変わらず靄がかっている。
ひとまず花のことをスマホで調べようとすれば、翼が風を切る音がした。
「……来たな」
クルッポー、と鳩が親しげに鳴いた。
その首を優しく撫で、慣れた手つきで袋の中を漁る。すると長細い何かが指先に当たった。
それは透明な液体の入った硝子管だった。
鳩を見送った新一はすぐさまそれを観察し始める。
コルクで蓋がしてあり、簡単に外れるようになっていた。硝子管の側面にはドイツ語でキザなセリフが黒く書かれている。
「なーにが、ショーの始まりだ。これを流し込めってことかよ」
中身を零さないよう、慎重にコルクを引き抜いて注ぎ口を傾けた。若干とろみ帯びた液体がゆっくりと花を濡らしていく。すると、透明だった花弁が少しずつ色づき始めた。
「え……すげ……」
透明な液体に浸された花弁は、上品な青に染まっていく。花芯の硝子は、中心を避けて周りを縁取るように丸く黄色に色づいた。
「青い、花……」
何か引っかかる。顎に手を当てて、眉根を寄せる。
すると窓から入り込む風に煽られて、ふわりと花の甘い香りが立った。
「ん……?」
どうやら硝子と液体が合わさると香りが発生する仕掛けになっているようだ。
「なるほどな……。手の込んだことを」
この花の香りにも覚えがある。
ニッと少年のような笑みを浮かべた新一は、思い浮かべた花の名前が合っているかどうかスマホで調べ始めた。
「やっぱりな……」
答えはすぐにわかった。
キッドが贈ってきた花は勿忘草。その名前や花言葉の由来はドイツの悲しい伝説からだ。
あの硝子管に書いてあった文字がドイツ語だったことにも納得がいく。
そしてふと気づく。あれにも仕掛けがあるかもしれないと。
全て液体を注いでしまったので、もう役目は終わったと思っていたそれは机の上に転がしてある。逸る気持ちを抑え、それを拾い上げて文字を確認してみた。
「ん? 英語?」
そこに黒く書かれていたキザなセリフは、ドイツ語から英語へと変化していた。
「英語でも何かあるのか?」
そうして調べていくと、花言葉に行き当たった。
英語での花言葉は『真実の愛』と『思い出』だった。ちなみにドイツの伝説に出てくる言葉は『私を忘れないで』。
新一は深く息を吐き、ガシガシと頭を掻きむしる。
「あんにゃろ〜〜! これは記念にってことか!? ざけんな、ぜってぇ捕まえてやる」
こうして愛の追いかけっこは突然始まりを告げた。
本来の姿に戻ったふたりが相見える日は、そう遠くないのかもしれない。