まだまだ旅の途中

 たぷん、とグラスに入った赤ワインが揺れる。その液体はレンガ色をしていて、降谷好みの熟成具合だった。
「……赤井、何を企んでいる?」
 一日の終わりはゆったりと過ごしたい。そんな降谷の願いは、叶えられそうになかった。
 二人用のダイニングテーブルには、今日は記念日かと思ってしまうほどの豪華な夕飯が並んでいる。これを赤井ひとりで用意したのだ。そう思うと、ここ数年で随分成長したな、と感心した。
 だが、それとこれとは別の話だ。こういう時には必ず裏がある。
「零君、人聞きの悪いことを言わないでくれ。……明日帰国することになったから、今日は豪勢にと思っただけだ」
「……は?」
 あまりにも突然すぎる告白。降谷の唇から低い声が漏れた。
 それをよそに、赤井はゆったりとワイングラスに口づけた。
 降谷は彼のいつもの姿を見て、真っ白になっていた頭が冴えていく。
「はぁ……、そんなに急いで行かなきゃいけないのか?」
「ああ、そうらしい。警視庁に寄った足でそのまま帰る予定だ」
「……そう」
 お互いの立場は十分に承知している。
 こういうことは付き合い初めてから、何度もあった。だが、いつまで経っても赤井の言い方が変わらないことには少し腹が立つ。降谷はフォークを行儀悪く弄ぶ。くるくるとペン回しするように手遊びしてから、グサッとローストビーフに突き刺した。
「機嫌が悪いな。……寂しいのか?」
「不正解」
 それもあるが、大元ではない。
 第一そんなことは口が裂けても言ってやらない、と大口を開けて肉を放りこんだ。
 冷やしてあったローストビーフは控えめな味付けのおかけで、肉の味が引き立っている。降谷の好きな味だ。
 洋食も悪くはないと思い始めたのも、赤井と付き合い始めてからだった。
 もぐもぐと黙って咀嚼しながら赤井の様子を伺ってみると、彼は顎に手を当てて考えこんでいた。
「……『毎日電話越しに愛をささやいてほしい』?」
「は、……不正解」
 真面目な顔して何を言っているんだ、と眉根を寄せる。そしてグラスに揺蕩っているトロリとしたワインを口に含んだ。
 渋みが柔らかくなっているそれは、喉をキツく刺激することなく通り過ぎる。やはりこれも好みの味だ。
 教えたつもりはないのに、知られていることが少し照れくさい。これまで一緒に重ねてきた年月を告げられているようだった。
「ふむ……。『なるべく早く終わらせてくる』?」
「不正解。まったく……、いつまで『向こうに帰る』って言うんだ? 赤井が帰ってくる場所はここだろ!」
 食の好みは熟知してるクセにそういう所は鈍いな、とテーブルの下で長い脚を軽く蹴った。すると痛がる様子もなく、その脚がゆるりと絡んでくる。
 甘い毒を含んだような仕草は、夜の行為を思い出させる。
「おい、今は……」
 思わず声を荒らげるが、赤井の表情を見て言葉を引っこめた。
 こちらが恥ずかしくなるほどの甘ったるい顔。降谷は思わず前髪をくしゃりと掻き毟った。
「零君……。そうだな、すまなかった。『アメリカに行ってくるが、なるべく早く君の元に帰ってくるよ』」
「…………正解」
 無理矢理言わせてしまった感が否めないが、やはり少し心がむず痒い。降谷は照れ隠しのように口を開いた。
「ふん……。じゃあ、赤井が帰ってくるまでに一曲練習しておこうかな」
 忙しさから触れることが少なくなってきた愛用のギター。壁際に掛けられているそれが嬉しそうにつやりと光った。
「なんだ? ラブソングか?」
「さぁ? ……赤井の帰国が早いか、僕の仕上がりが早いか……」
「それはそれは……悩みどころだな」
 君に早く会いたいが君の歌も聞きたい、と赤井はゆるりとヴィンテージワインを味わった。
 ――そうやって時を重ね、ふたりの関係は熟成されていく。