桐の葉落ちて秋を知る

 暗く、暗く、深い海の底に堕ちていくようだ。
 冷たさだけが自分を支配している。何も見えず、何も聞こえない。
 ああ、死ぬのか。
 漠然とだけれども、これが『死』だということをどこかで理解していた。
 死にたくはない。自分にはまだ、やらなければいけないことがある。守らなければいけないものもある。
 それでもどうしようもなく、闇に沈んでいくばかりだ。
 迫りくる『死』に抵抗しようにも自分が前を向いているのか、後ろを向いているのか。目を開けているのか、閉じているのか。それさえも全くわからない。
 暗く、閉ざされた空間にひとりきりだった。
 ふ、と心を緩めてしまえば、意識は遠くなっていく。そのまま闇に身を任せようとした、その時だ。突如、漆黒の闇にポツンと浮かんだひとつの光。
 ほんのりと灯すような暖かさをまとった光から、何か音が聞こえてくる。そこに意識を向ければ、音はガッと大きくなった。
「……さん! 安室さんッ!」
 無音だった世界に、あの子どもの声がこだました。小さな背中を真っ直ぐに伸ばし、常に真実を追い求め続けている彼の声が。
 珍しくも、それは怒っているようで、どこか泣いているような響きを持っていた。
 そばに行かなければ、となぜか使命感に襲われた。そして不安定な声色に導かれるようにして、あるようでないような腕を光の中心へ伸ばしていく。
 そこに軽く触った気がした瞬間、光は大きく膨れ上がった。目の奥まで眩く照らしてくる輝きの中心に、見知ったシルエットが浮かんでいる。
「……っ、こな……く……?」
「あ、安室さ……!」
 ぼやけた視界で捉えたのは、コナンの瞳だった。それは揺らぐことなく、眼鏡のレンズ越しでもわかるほど強い青色を放っている。
 なんだ、泣いてないじゃないか。そう落胆すると同時に、安堵もした。
 いつも前だけを見据えて、真実に食らいつく姿。弱いところなんて一度も見たことがなかった。だからこそ、拝んだことのない彼の泣き顔に期待をしたのだ。ほんの少しだけ。
 そうやって残念がる気持ちと一緒に、安心感はやって来た。やはり彼はこうでなくては、とコナンの生き様が心をなだらかに落ち着かせる。
 すると不思議なことに、ぼんやりとしていた視界がクリアになっていった。続いて、腹部に尋常ではない激痛が襲いかかる。
「ぐ……ッ!?」
「っ、だめ、動かないで!! お腹に鉄骨が刺さってるんだ!!」
 なかなか衝撃的な言葉だった。ゆっくりと頭を持ちあげて視線を送れば、確かに右腹から黒い鉄の棒が突き出ている。
 灰色のスーツも、棒を固定しているコナンの青いジャケットも、それを押さえている小さな手も暗褐色に染まっていた。
「安室さんが爆発に巻き込まれたって聞いて! ボクも、たまたまココに来てたから……ッ。今、風見刑事に連絡取ったからもう少し頑張って!」
「う……くっ、ったく、君は……また、盗聴を……ッ」
 コナンの大まかな話を聞いて、気を失う直前までの記憶を取り戻した。


 追っていたカルト教団が隠れ蓑としている合資会社。そこは一見すると、ただの法人専門の保険会社だった。
 けれども、裏の顔は必ず存在する。風見が仕入れてきた情報は確かだ。
 それは、証拠を得るために、データ入力の短期アルバイトとして潜入している時に起きた。
 教団の被害者と思われる男によって、会社の入居するこの小さなビルが爆破されたのだ。
 交渉という話し合いなど、する時間もなかった。男は何食わぬ顔して、会社のある三階にエレベーターで上がってきた。
 『安室透』のデスクは窓際にあり、エレベーターからも距離があった。しかし、そこはオフィス全体が見渡せるベストポジションだ。
 降谷は鉄の箱からオフィスに足を踏み出した男を、見かけない顔だな、とデスクトップの影からこっそりと確かめた。
 大きな紙袋を持っているようだし、営業に来たのだろうか。そう思い、隣にいた社員に来客を告げようとした瞬間だった。
 男は狂気に満ちた絶叫をあげ、手に持っていた黒いリモコンのスイッチを押した。おそらく紙袋の中身は爆弾だったのだろう。
 エレベーターの扉が閉まってからほんの数秒。あっという間の出来事だった。
 爆破地点から離れていた自分にできることは、隣にいた女性社員を守ることだけだった。彼女を手荒く突き飛ばし、爆風によって飛んでくる何かから回避させた。
 だがその直後、自身の足元が崩れ去り、ふわりと身体が浮く。
「うあッ!?」
 そのまま簡単に落下していくが、伊達に場数は踏んでいない。焦るな、受け身を取れ、と思考を巡らせた。
 しかし、それは叶わない。後ろから降ってきた何かに背中を殴られ、そこで意識を失ってしまった。

 投げ出された場所が悪かった。
 まさか剥き出しになった鉄骨の上に落ちるなんて、夢にも思わなかった。運の悪さに辟易する。
 ため息を吐く代わりに頭の力を抜けば虚無感に襲われ、また意識が遠くなってきた。
「ちょ、安室さん! 安室さんッ! ……っおい! しっかりしろ、降谷零……ッ!!」
 自分の本名は限られた人間しか、口にしない。それをここで、この人物に呼ばれて、心の奥底がむず痒くなった。
 この少年に呼ばれるのも意外と嬉しいんだな、という気持ちが現れてしまったのだろう。
 瓦礫の隙間から差しこんだ秋の夕陽に、キラリと反射した彼の眼鏡。ほんのりとオレンジ色に輝くレンズはまるで、鏡のように自身の顔を映し出す。そこにはなんとも幸せそうに笑う自分がいた。
 ああ、そうか。この感情の名前は――。
 そこまで気づけば、上下の瞼はゆっくりと結合されていった。
「……ッ! ……くそっ、死なせるかよ!!」
 薄れていく意識の中、普段の彼とは違う何かを見つけられたような気がした。