論理的思考とは限らない

『君に、解いてほしい謎があるんだ』
 電話越しに、静かな声色で伝えられた依頼だった。
 珍しいこともあるもんだ、と新一は降谷の言葉に驚きを隠せない。こうも直球で頼まれると、なんだか背中がむず痒くなる。また何か、企みがあるのかもしれない。
 降谷は今、どんな顔をしているのか。それを見ることすらできない新一は、余計にそう思ってしまった。
 すると、彼はこちらの感情を読み取ったのか、喉の奥で小さく笑う。その僅かな響きが受話器を通って耳へと届けられ、新一の心臓がビクッと跳ねた。
 妙な色気を出すのは止めてほしい。
 それは、彼が『降谷零』に戻ってから顕著に現れている。
『……資料はもう、君の家のポストに入れてある。何か困ったことがあったら、電話でもメッセージでもいいから連絡してくれ。じゃあ、また』
「あ、ちょ……っ!」
 降谷は一方的に用件を告げると、新一の静止も聞かずに電話を切った。通話終了と表示されているディスプレイからはツー、ツーと無機質な電子音が流れるだけ。
「……ったく」
 彼にはもうひとつだけ、『安室透』と違うところがあった。それを彼の部下に愚痴を零したら、「降谷さんはだいたい言いたいことだけ言って、電話をぶち切りますよ。気にしないであげてください」とフォローになっていないフォローをされた。
 その時のげんなりとした顔を見て、相当苦労してるんだなと苦笑した。それと同時に、降谷に気を許されているような気がして、嬉しく感じた覚えがある。
 諦めにも似たため息を吐いた新一はソファーに放り出していたカーディガンを羽織り、しぶしぶ郵便受けに向かう。少しの距離といっても、もう日はとっくに暮れていて、だいぶ冷え込んでいた。
「うー……さむ。……っと、これか」
 工藤邸の郵便受けに入っていたのは、一通のハトメ付き封筒だった。A4サイズといった大きさの割には薄っぺらい。本当に捜査資料が入っているのかと疑いたくなる。
 くるりと表に返してみると、サラリとした字で『工藤新一様』としか書かれていない。郵便局を一切介さず、直接投函されたのだと言わしめていた。
 それを家の中へと持ち帰り、リビングで開封する。しゅるしゅると紐が解かれるにつれて、新一の口角は上がっていく。なんだかんだ言いつつも、降谷が持ち込んできた事件にワクワクしていた。
 そして、一枚の白い紙が封筒の中から躍り出る。
「ん? なんだこれ」
 それには縦に十個、横に五個、合計五十個のマス目が描かれていた。
 パッと目につくのは、それぞれのマスの中に記載されている二桁の数字だ。数字でないものも所々あるが、ほとんどが数字で埋められている。
 暗号めいたそれは、捜査資料というより謎解きゲームに近い。むしろ、後者だろう。確かに降谷は事件の捜査とは言っていなかったと思い出す。
 なんにせよ、あの降谷が送ってきたのだから何かしら意味があるはずだ。新一はぺろりと舌で唇を潤し、謎解きにかかった。
 こういう暗号は大体、何かの規則によって文字が変換されている。それさえ見つけてしまえば、後は変換された数字を言葉に直していくだけだ。
 ひとまず、一番右の欄の上から順番に視線を走らせる。
「二二、七二、五二、二五、九四、六一、二一、零三、四一、零三……。んで、二行目が三三、二二……んだこれ、濁点か?」
 二行目の、上から二番目。そこに書かれている数字の右斜め上には、点がふたつ付いていた。印刷ミスかとも思ったが、他の場所にもそれがあることを確認した新一は濁点だと仮定して先に進んでいった。
一行目は『二二、七二、五二、二五、九四、六一、二一、零三、四一、零三』。
二行目は『三三、濁点二二、四一、五四、小さな丸、四三、濁点二二、五五、五一、濁点三五』。
三行目は『濁点二一、六五、三二、二一、小さな四三、四一、九一、小さな点、八一、三三』。
四行目は『七二、五五、六二、零二、一五、三二、一四、四四、小さな丸、黒で塗りつぶし』。
そして、最後の五行目は『二二、七二、五二、一一、十二、四一、一二、零三、濁点四一、小さな丸』。
 小さな丸や小さな点は句読点だろう。ご丁寧にも、マスの右上に書いてある。加えて、小さな四三もマスの右上に位置していた。これは縦読みの暗号だということを意味している。
「それで……どんな法則なんだ?」
 一桁目は、一から五までしかない。きっと、母音を示しているのだろう。
 問題は二桁目だ。零から九まであるそれに、どの子音を当てはめるかが鍵となる。ヒントといえば、濁点が付いているものが比較的絞り込みやすそうだが、五十音の中に濁点が付くものは三行も存在する。
「他に手掛かりは……」
 封筒を覗いてみても、何も入っていない。けれども、降谷のことだ。きっとどこかに何かを残しているはず。
 そこで、先ほどの電話で彼に言われたことを思い出した。
『何か困ったことがあったら、電話でもメッセージでもいいから連絡してくれ』
 だからといって、すぐに連絡はしたくない。これは探偵としてのプライドだ。
 新一はぐっと唇を引き結んで、テーブルに放置していたスマートフォンを見つめた。すると突然、画面が光り、メッセージの到着を知らせるバイブレーションがテーブルを震わせる。
「……っと、誰だ?」
 タップして開いてみると、メッセージの相手は服部からだった。今度東京に行くから飲みに行こうというもの。
「へいへい、わぁーったよ」
 張り詰めていた気が抜けた新一は、小さく息を吐いて彼に返事を打つ。
 フリック入力で打ち込む動作は慣れたものだ。このシステムになって何年も経つ。何回も連打して目的の文字を入力していた頃が懐かしい。
 フッと口元を綻ばせたところで、新一の脳内に衝撃が走る。
「あっ! そうか、これって……」
 ようやく、求めていた法則がわかった。それは携帯電話の入力方法だった。
 降谷の『連絡してくれ』はそれに気づかせるためのヒントだったのだろう。新一の思考がスマートフォンにまでたどり着けるように。
 二桁目の零にも納得がいく。零のところは、わ行を担っている。
 新一は紙の余白に、数字からひらがなへ変換した文字を書き始めた。
「えっと……二二だから、『き』だろ」
 そうして浮かび上がってきた文章に、新一は顔を覆った。若干火照っているようで、じんわりと熱が手のひらにも伝わってくる。
「なんだよこれ……」
 愕然と呟き、そこに書かれていた文字をもう一度目で追う。間違って解いていないかの確認も含めて。

きみにこれはかんたん
すぎたね。つぎのなぞ
がほしかったら、やす
みのひをおしえて。
きみにあいたいんだ。

 恋愛に鈍いと散々言われている新一にでもわかる。
「デートのお誘いじゃねーか!」
 回りくどいだの照れくさいだの、様々な感情が入り混じった。どうしようもなくなった気持ちをぶつけるように、バンッとテーブルに手を着く。テーブルと手に板挟みになった紙が少しだけ拠れてしまった。
 ジンジンとした痛みが手のひらを通って、冷静さを伝えてくる。
 誘われて嬉しくないはずがない。新一も少なからず降谷を想っているのだから。
「あーもう、あの人は本当に……ん?」
 手を着いたところは、新一が暗号をひらがなに直した場所だった。丁度、下の方は手のひらに隠れていて、一番上の段だけが隠れもせずに全て見える。
 左から読むと、『きみがすき』。
「……っ」
 弾かれたように、新一はすぐさま降谷に電話をかけた。
 無機質なコール音が一回、二回……。そこでプツッと途切れ、先ほど話したばかりの声が耳に届けられた。
『答えはわかったかい?』
「……あれって縦読み? それとも、横読み?」
『…………さぁ、どっちだと思う?』
 クツリと低く笑った降谷は意地の悪い言い方をする。
 このラブレターとは大違いだ、と新一も密かに笑い、口を開いた。
「……あのさ――」