偽りの月は空には浮かばぬ
「学校、いってらっしゃい」
「ん。律もまたな」
「うん」
キャリーを片手に靴を履いて、制服に身を包んだ彼の方に向き直る。
「また、来てよ。俺が溜まらないうちに」
「男子高校生の性欲って結構ヤバくない?」
「バレた?」
米屋君はケラケラと楽しそうに笑って俺の首に腕を回す。
「いってらっしゃいのチュー、いる?」
「冗談?」
「と、思うじゃん?」
目を閉じた彼が俺の唇に彼の唇を重ねる。
カチューシャで上げられた髪を崩さないように彼の頭に手を回せば待ってましたと言わんばかりに唇を薄く開いた。
そこに舌を滑り込ませれば彼の舌が絡み付く。
鼻を抜ける吐息と玄関に響く水音。
彼の足が震えてきたところで唇を離せば銀糸が伸びて、ぷつりと切れた。
「またね、米屋君」
仄かに赤い彼の頬にキスをして微笑めば彼は頷いた。
「次は、勉強も教えてよ」
「うん、わかった」
「じゃあ、またな」
1つの場所に留まらないと決めた。
それは、自分が弱いから。
でもどうしても…何度繰り返したって別れを告げたあとの寂しそうな表情は慣れない。
「んー…高校生か…」
高校に行きたかったわけじゃない。
けどまぁ、やっぱり制服を着てる姿を見ると自分にもそんな今があったんじゃないかと思ってしまう。
俺にも訪れる筈だった未来。
それを拒んだのは俺だけど。
「さてと、今日の仕事は…」
▽
「おっはよー」
「朝からうっせぇよ、槍馬鹿。てか、遅くね?」
「弾馬鹿には言われたくねぇ。遅刻じゃなくてよかったわ」
自分の席に座って鞄を机の横にかける。
「お前、なんかあった?」
出水は不思議そうに首を傾げた。
「なんで?」
「なんか、いつもよりテンション高くね?」
「ちょっと、イイコトがあっただけ」
なんだそりゃ、と彼は不思議そうに首を傾げた。
「そういや、数学の宿題やった?見せろ」
「やってねぇよ。つーか、やってると思ったか?」
「だよなー…」
数学の教科書を鞄から出してペラペラとページを捲る。
やっぱり昨日、宿題だけでも教えて貰うべきだったな。
「こういうとき三輪と同じクラスじゃねぇと辛いよな」
「秀二、真面目だからな」
「そういや、今日はなんで一緒じゃねぇの?普段なら俺より先に来て秀二ここに引き留めて駄弁ってんだろ?」
首を傾げた彼に今日は特別、と言えばはぁ?と怪訝そうに見られた。
「家出るの遅くなりそうだったから先に行ってもらっただけだよ」
「寝坊?」
「いや、」
律と朝からあんなキスしたせいで起ったから動けなかった…なんて、言えるわけねぇよなぁ…
「あーあれだ。…テレビ観てたら時間ヤバくて」
「うわ、ダサ…」
「はい、黙れー」
折り目を付けていた宿題のページに四角い付箋が貼ってあって首を傾げる。
「どうした?」
「…もしかしたら、宿題終わるかも」
「は?」
付箋には《ここが宿題かな?教えてあげられなかったからこの範囲の類題の解説だけ、書いておいたよ》と書かれていた。
ノートを開けば付箋と同じ字で宿題の範囲の類題の解き方が書いてあった。
「これの通り解けばいいんじゃね?多分」
「お?マジで?ナイス。…てか、これ誰の字?」
「ナイショ」
なんとか授業前に宿題が終わり安堵の息を吐く。
そんな俺の横、出水は眉を寄せてノートの字を凝視していた。
「…なんだよ」
「いや、綺麗な字書く人だなって。もしかしてお前、彼女できた?」
「と、思うじゃん?残念、これ書いたの男」
…お前の知り合いにこんな字書く男いたか?と首を傾げる彼に最近できた知り合いだと答える。
「…ふぅん。で、お前はその人にご執心ってわけか?」
「まぁ…否定はしねぇけど」
「……太刀川さんも最近男にご執心なんだよなー…」
出水の言葉に首を傾げる。
「どんな男?」
「さぁ?俺、会ったことねぇし。けど、料理が凄い上手」
もしかして、律?
まぁ、可能性がないわけじゃないか。
誰のところにも泊まるみたいだったし…
「コロッケ、マジで旨そうだった」
「へぇ…」
「居候して貰おうとして断られたってこの間ガチ凹みしてた」
なんだよそれ、と笑ったが多分相手は律だ。
どうして、と言われると困るけどそうだとしか思えなかった。
「まぁ、出水も会ってみたらわかると思うぜ」
「は?俺が男にハマるってことか?そりゃねぇわ」
「俺もそう思ってたけどさ。あの人は例外だろ」
彼は理解できない、という顔をしていた。
俺だってこんな風になる予定なんてなかった。
けど、話してみておかしなくらい引き込まれた。
「世の中、すげぇ人もいるんだよ。マジで」
「わけわかんねー…」
▽
仕事を終えて、今日の宿探しをしようと暗くなった街中を歩いていればすぐ近くの危険区域で警報が鳴った。
足を止めて現れたトリオン兵を見上げる。
本部の方からボーダー隊員が駆けつけてそれを倒す様子を眺めていた。
少し前には、映画の中の話みたいに思っていた。
宇宙人の侵攻とそれを倒すヒーローの話。
それは今、この街では現実で当たり前のことになってる。
けど、その当たり前は俺にはやはり受け入れがたいものだった。
「…今日は、隣街に行こう」
ガラガラと音をさせて歩き出す。
別にこの街が嫌いなわけじゃないし、アンチボーダーなわけでもない。
ボーダーの人とも関係は持っているし。
それでも、4年前とは姿を変えてしまったこの街は居心地が悪い。
生きにくいのだ。
あと少しで街を出る、と言うときだった。
自分の隣で車が止まった。
窓を下ろして、中から顔を出したのは見覚えのある人だった。
「律君」
「唐沢さん!!久しぶりだね」
「久しぶり」
ふっと口元を緩めた彼。
いつも以上にピシッとしたスーツを着ているところを見ると、これから仕事なのだろう。
「これから、何か用事あるかな?」
「特にないよ。宿を探すだけ」
「そうか。ちょうどよかった」
彼は仕事の手伝いを頼めるかい?と首を傾げた。
「手伝い?」
「接待だよ。相手方の娘さんも今日は同伴らしくてね」
「その娘さんの相手、してほしいってこと?いいよ」
その代わり泊めて、と言えば当たり前だろと彼は言った。
「キャリーはトランクに入れてくれて構わないよ」
「ん、了解」
キャリーをしまってから後部座席に乗り込む。
「ドレスコードがあるんだけど、スーツは?」
「持ってるよ。けど、知り合いの店に預けてるからそこに寄って貰ってもいい?」
「わかった」
運転手に行き先を告げて、背凭れに体を預ける。
「急に悪いね」
「いやいや、全然平気。女の人の相手が本職みたいなものだし」
「私の周りは堅い人が多くてね。隊員をそんなところに連れていくわけにもいかない」
苦労してるね、と言えば彼は苦笑を溢した。
着替えを置いてくれているお店の奥で久々にスーツに袖を通す。
「律君は何を着ても似合うな」
「そう?唐沢さんの方が似合ってると思うけど」
ネクタイをして、ワックスで髪を上げる。
「これで大丈夫?」
「よく似合ってるよ」
腕時計を確認した彼はそろそろ時間だと、彼は立ち上がる。
香水を少しだけ付けて彼の隣に並ぶ。
「長い夜になるだろうけど、よろしく頼むよ。今回の相手は上手くいけば大口スポンサーになれるんだ」
「いかに気に入られるか、ってことね」
そういうことは慣れてるよ、と言って滅多に行くことのない高級レストランへ足を踏み入れた。
個室に案内されて、ぐるりと部屋を見渡す。
大きな窓の向こうには綺麗な夜景が広がっている。
「夜景が見れるテラス、あったよね。このレストラン」
「あぁ、詳しいね」
「女の人の機嫌を取るのはそういうとこが大事になるし」
少しして、少し歳のいった男と綺麗なドレスに身を包んだ若い女性が入ってきた。
「本日はお忙しいなかご足労頂きまして、誠にありがとうございます」
椅子を引いて、小さく頭を下げて自分の席につく。
「ボーダー外務・営業部長の唐沢克己です。こちらが私の補佐官をしている」
「律と申します」
いつから補佐官になったのだろう、と思わずにはいられなかったが俺は向かい側に座る女の人に微笑みかける。
「補佐官か。初めて会うな」
「優秀な男ですよ」
「唐沢さんにはまだまだ劣りますよ」
普段どんな仕事をなさっているんですか、と向かい側の女性が落ち着いた口調で尋ねた。
「基本的に本部での事務仕事です。時々、このように唐沢さんのお供をさせていただいてます」
「若いのに凄いんですね」
「そんなことないですよ」
コース料理が運ばれてきて、赤ワインが開けられる。
本題に入る前の他愛ない話を聞きながら、時々こちらに向けられる彼女の視線に微笑みを返していた。
人を、特に女の人を相手にする仕事をしているからそこまで苦痛ではないけれど。
本当に大事な契約の為の接待となると少しだけ肩に力が入る。
長い夜になりそうだな、と内心ため息をついてグラスに口をつけた。
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