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「五十嵐」

昼休み。
アイツのところに行こうとした俺を呼び止めたのは女バスのキャプテンだった。

「聞きたいんだけど」
「なんだよ」
「苗字さんってなんなの?」

俺は視線を彼女に向けた。

「何が?」
「なんで頑なにバスケ部に入りたがらないの?」
「アイツは入らねぇよ」

その理由を聞きたいの、と彼女は言った。

「理由なんてアンタには関係ねぇだろ」
「ちゃんとした理由がないと納得できない」

キャプテンの顔は真剣で、どうやったら逃げれるかと頭のなかで考える。
苗字だったらきっと何パターンも逃げる方法が浮かぶんだろうな。

「あの子がいたら私達はもっと強くなれる。攻撃パターンも増えるし。あの子が入ったら、もしかしたら本当に…」
「アイツがいねぇとできねぇの?…苗字が入れば強くなるってのはわかるけど。いなくても強くなれんじゃん」
「それはそうだけど…」

この間の球技大会。
素人4人をうまく操りアイツは優勝に導いた。
アイツがいれば強くなるし、インハイだって夢じゃねぇかもしれない。

「…最初から人任せかよ」
「そうじゃない!!」
「だったらアイツのことは諦めたら?」

彼女は不服そうに眉を寄せた。

「…つーか、諦めろよ。アイツはバスケ部には入らない」
「なんでよ。だって、あの技術は一朝一夕で身に付くものじゃないでしょ?それを無駄にするの?」

彼女は真剣な眼差しで俺を見て、口を開く。

「1日練習しないだけで感覚は失われる。あの子が何年も積み重ねてきたものはたった数ヵ月、もしかしたら数週間でなくなるんだよ」
「それはそうだけど」
「彼女の今までの努力を、身に付けた技術を溝に捨てようとしてるのをみすみす見逃せっていうの!?」

そんなの絶対に嫌だと彼女は言った。

「私はあの子が欲しい」
「アイツは入らねぇって言ってんだろ。勧誘してる暇があったら練習しろよ」
「じゃあアンタは、あの子の今までの努力を、身に付けた技術を溝に捨てるのを黙って見てんの!?そんなの間違ってんでしょ!!」

俺は自分の髪を乱暴にかき乱して、溜め息をつく。

「アイツは、そんなことしねぇ」
「今してるじゃない!!」
「してねぇっつってんだろ!?苗字のこと何も知らねぇ癖に好き勝手言うなよ!!」

相手が先輩だとか関係なく、俺は怒鳴っていた。
聞いてられない。

「…五十嵐?」

聞こえた声は苗字のもので。
振り返ればどこか困った顔をした彼女がいた。

「苗字…お前、いつから…」
「溝に捨てるのを黙って見てんの、って辺りから」
「気にしなくていいからな。お前は別に…」

苗字はありがと、と微笑んでキャプテンに視線を向けた。

「…勧誘はお断りしたはずです。五十嵐まで巻き込むのはやめてもらえますか?」
「納得できないのよ。貴女はあれだけの技術を身に付けておきながら、バスケ部には入らないなんて。今までの努力を溝に捨ててるようなもんじゃない」

その言葉に苗字は静かに微笑んだ。

「だったら、なんですか?」
「え?」
「今までの努力も、身に付けた技術も、費やした時間も…溝にだろうがゴミ箱にだろうが捨ててやる」

キャプテンは目を見開いて、苗字は笑顔を消して彼女を見つめた。

「それよりも大事なものが私にはあります。それのためなら、バスケなんてやめてやる」
「なによ、それ。何がそんな大事なわけ?そんな愚かな選択をして、貴女は満足なの?」
「愚かですか?そうですね、確かに愚かかもしれません」

段々苗字の表情が暗くなっていく。
影を帯びたその表情に俺は後ずさる。

「だったら」
「貴女には、バスケより大事なものありますか?」
「は?」

その質問に目を丸くしたキャプテンに苗字は言葉を続ける。

「私にはありますよ。何かわかりますか?」
「わかるわけないでしょ。わかんないから聞いてるんじゃない」
「…そうですか。なら貴女は私より愚かな人だ。…それでいて、可哀想な人」

苗字はそう言って微笑んだ。
明らかな拒絶を含んだ笑顔。

「きっと私は先輩とは分かり合えない。まぁ、分かり合えたところで部活には入りませんけど」
「…何がそんなに気に入らないのよ。レベルは低いかもしれないけど!!私達は本気でインハイを目指してる!!」
「そんなのどうでもいいですよ。私には関係ない」

彼女の言葉で大きく高い壁ができた、気がした。

「今はバスケよりも優先することがあります。何度誘われようが何を言われようが…私はバスケ部には入りません」
「…その技術は…」
「技術はいくらでも身に付けられる。また、一から努力すればいい」

苗字の言葉に迷いはなかった。

「私なんかを必要としてくれてありがとうごさいました。けど、もう迷惑です」

丁寧に頭を下げた苗字は俺の腕を掴んで校舎の外へ歩き出す。

「苗字…」
「ごめんね、巻き込んで。…早くご飯食べよ?」

もう時間、ないならと笑った彼女はどこか痛々しい。

「さっさと食って、少しでもバスケやろうぜ」
「うん」

微笑んだ彼女はいつもみたいにカロリーメイトをかじった。

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