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綺麗なフォームで放たれてリングをくぐったボール。
凛とした背中を見ながら、弟との会話を思い出す。

帰ろうとした俺に言った。

「姉ちゃんは俺のためにはいくらでもご飯作ってくれるんです。けど、自分の分だけならきっと作らない。それも心配なんです」

確かに、1度も弁当持ってきてない。
いつもカロリーメイト、だよな。

「苗字」
「ん?どうしたの?」
「食えないから半分、食って」

差し出したパンを見て目を瞬かせた。

「珍しいね。いいよ」

苗字は俺の横に腰を下ろして、半分にちぎったパンを受けとる。

「あ、美味しい」

彼女はそう言って微笑んだ。
彼女が食べ終わるまでその姿を眺めて、口を開いた。

「お前さ…」
「ん?」
「辛くねぇの?」

彼女は首を傾げた。

「何が?」
「一人で、辛くねぇ?あんなこと先輩に言われて。…辛くねぇの?」

真っ直ぐ彼女を見つめればどこか困ったように笑った。

「どうしたの?急に」
「俺ってお前の特別なんだろ?お前のこと、支えることさえさせてくんねぇの」
「え、あ…」

苗字は目を逸らした。

「バスケが出来ねぇこと、弟が家にいねぇこと。学校でも猫かぶり続けて、本当の姿でいられねぇこと。志望校を変えなきゃなんなかったこと。先輩にあんなこと言われたこと。…1つも辛くねぇの?」
「いや、うん…辛く、ないよ。別に仕方ないし」

微笑んだ彼女。
こんなときだってお前の笑顔は崩れない。

パンの入った袋をコンビニの袋に戻して彼女の肩を引き寄せる。

「え…」
「…別に、強がんなくたって…俺は怒らねぇから」

自分の胸に彼女の顔を押し付けて、両腕でぎゅっと抱き締める。

「…辛いなら、辛いって言え」

普段凛として、大きく見える彼女はこの腕にすっぽりと収まるくらいに小さい。

「い、五十嵐?な、に言って…」
「もう、いいだろ。もう…俺がいんだろ。…1人で、背負い込むなよ」

お前の支えになれるなら、俺はお前の支えになりたい。
俺の前では強がんねぇで弱さを見せてほしい。
それを、全部受け止められるくらいに…俺にとってこいつは特別だ。
その特別は、世に言う好きと言うものだなんて…今気づいたけど。

「馬鹿、じゃない?」
「馬鹿でいい」
「甘えたら…失えない」

これで五十嵐がいなくなったら…

彼女の声は震えていた。

姉ちゃんは誰も信じない。
何にも期待しない。
子供の頃、両親にした期待は全て裏切られてきたから。

弟はよくこいつを見ている。
…俺は、お前が砂の城の一部だとは思わない。
本物なのに、こいつが気づいていないだけだ。

「失わなきゃいいだろ」
「そんなの、無理だ」
「無理じゃねぇ、勝手に決めんな」

俺の制服を遠慮がちに彼女が掴んで、彼女を抱き締める腕を強くする。

「俺のモノになれよ。そしたら、俺も、お前のモノになる」
「なに、言って…」
「お前の背負うモノも辛さも悲しさも。嬉しいことも全部…俺も一緒に…持ってやるから」

一人で、背負うんじゃねぇ。

彼女は何も言わなかった。
けど、変わりに控えめな嗚咽が聞こえてきた。

彼女の髪を撫でながら、空を見上げた。

次の授業はサボリ、だな…





彼女はただ、ただ泣き続けた。
この日ほど自分の学校に不良が多くて助かった。
授業をサボるくらいで誰も心配しない。

「苗字…」

さらりと指が通り抜ける彼女の髪。
甘い香りが鼻孔を擽る。

そっと彼女の肩に顔を埋めて、小さな彼女の背中を撫でる。

「…よく、頑張ったな」

小さく呟いた言葉。
彼女は静かになっていた嗚咽をまた大きくした。

「これ、以上…泣かせ、ないでよ」

震える彼女の声に俺は溜め息をついた。

「今まで溜めた分全部泣け…全部、受け止めるから」
「…馬鹿。馬鹿…なんで、」
「……お前が、特別だから」

抱き締めた彼女は何も言わず俺の背中に控えめに手を回した。

「…ごめん、」
「そこはありがとうだろ」
「うん、ありがと…」

彼女はまた嗚咽を噛み殺しながら泣いた。
それをただただ抱き締めて。

遠くで聞こえたチャイムが休み時間を終えたことを知らせた。

「サボるからな、授業」
「…今のまま、行けるわけ…ないじゃん」
「知ってる」

暖かい風が地面に転がっていたボールを少しは転がして。
こんな日が来るなんて思っていなかったと、内心呟いた。

俺とこいつとバスケ。
それだけの空間に別の感情が入り込んでいたのはいつからか。
俺の特別はいつから好きになったのか。
考えてもわからなくて。

もしかしたら初めから、こいつが好きだったのかもしれねぇななんて笑った。

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