08
朝、下駄箱で苗字と話していたのは女バスのキャプテンだった。どこか困り顔の苗字。
無視するわけにもいかなくて彼女に近寄っていく。
「苗字」
「あ、五十嵐?おはよう」
「はよ」
キャプテンはこちらを見て、何か言いたげで。
それに気づかないふりをする。
「英語の予習やった?」
「やったけど」
「見せろ。途中で諦めた」
苗字は目を瞬かせてからいいよと微笑んだ。
「すいません、それじゃあ」
頭を下げた苗字は俺の隣に並んで大きく溜め息をついた。
「ありがと、助けてくれて」
「別に。…勧誘?」
「勧誘。少し前から、ね」
きっと球技大会からだろう。
苗字の表情は少し暗い。
「…別にお前は悪くねぇだろ」
少し乱暴に彼女の頭を撫でれば苗字は目を丸くして。
「…弟、放っておけってほうが間違ってる」
「…ありがと」
苗字は少し恥ずかしそうに笑った。
「別に」
2人で教室に入れば少し教室の中がざわついた。
苗字は気にした様子もなくて、自分の席に鞄を置いてノートを持って俺の前の席に座る。
「はい」
「ん、サンキュ」
写しながら聞いてくれる?と苗字が言うから別にいいけどと答えれば、ありがとうと言って口を開いた。
「昨日、弟がね。五十嵐の話してた」
「は?」
「まぁ、話をふったのは私だったんだけど」
固まって彼女を見れば長い髪が窓から吹き込んだ風に揺れて甘い香りが鼻孔を擽った。
「五十嵐って覚えてる?って聞いたらスッゴい勢いで語り出して。シュートのフォームがとかドリブルの技術がとか。もう散々語り尽くして」
「…なんでそんな俺のこと知ってんの?」
「試合、見に行ってたみたい。私は知らなかったんだけど」
英語の予習を写しながら、俺も知らなかったと呟いて。
「同じ学校って言ったら…」
「言ったら?」
「連れてきて欲しいって言われて…」
苗字が眉を下げて、両手を顔の前で合わせる。
「お願いっ!!アイツに会ってくれない?」
「…いいけど」
断る理由もなくてそう言えば彼女は目を丸くして。
「え、いいの?」
「部活のあととかでよければ別に」
「本当?よかった」
苗字が嬉しそうに笑うから俺も少しだけ口元を緩めた。
「いつ?」
「五十嵐に時間がある日でいいよ。私はどうせ毎日バイトであの辺りに…」
途中で苗字が口を閉ざすから顔を上げて首を傾げる。
「花屋のバイトだろ」
「何で知ってんの!?」
「内緒」
最悪だって呟きながら苗字は視線を逸らす。
「別に隠すことじゃねぇだろ」
不服そうな苗字に俺は溜め息をついて。
「似合わねぇとは、思わねぇけど」
「は?」
「…けど、やっぱりお前はコートの中にいるほうが似合う」
似合わないって言われると思った、と苗字が言うから俺はペンを止める。
「お前、俺のことなんだと思ってんだよ」
「口悪い、我儘?」
「最悪だな、おい」
けど、と苗字は目を細めて微笑む。
「優しい人」
ドキリと心臓が音をたてた。
「バスケに向き合う姿勢とか、私は結構尊敬してるし」
「…馬鹿じゃねぇの」
「それが照れ隠しだってことはもうわかってるよ」
クスクスと苗字が笑うから俺は自分の髪を乱暴にかき乱して。
「お前、性格悪い」
「誰もいいなんて言ってないし」
「猫被ってんじゃん」
被ってない、と苗字は言って少し不機嫌そうな顔。
「勝手にみんなが押し付けるだけ」
「…お前、そんな風に思ってたのかよ」
「あ、これは内緒」
唇に人差し指を添えて、微笑んだ。
「…お前、なんつーか…自分の使い方よくわかってるよな」
「え、それ褒めてる?」
「一応」
世渡り上手っつーのか、こういうの。
悪く言えば常に相手を騙してる。
こいつ自身あんまり相手を信じてねぇんだろうな。
この間までみたいな表立って見える壁じゃなくて。
相手に気付かれないうちに一線引いてる。
彼女を見ながらそんなことを考えていれば不思議そうに首を傾げる。
「五十嵐?」
「お前、本性だして付き合える友達いんのかよ」
「え?」
突然の問いかけだったからか苗字は目を瞬かせて固まる。
「…どういうこと?」
「猫被られねぇで付き合える奴いんの?ずっとそれって疲れんだろ」
苗字はそういうことか、と言って、少し考える素振りを見せて。
「弟」
「家族は友達じゃねぇだろ」
「あ、そっか」
じゃあ、と呟いて彼女は真っ直ぐ俺をみた。
「五十嵐かな」
「は?」
五十嵐の前では猫被ってないし、と彼女は笑った。
「一緒にいて楽だし。バスケやってるの楽しいし」
「お、おう…」
思ってもいなかった言葉に俺は息を詰まらせて。
心臓の音が速くなって逸らした視線。
「昔から五十嵐は特別だからね」
苗字はクスクスと笑って。
特別ってどういう意味だって言おうとしてチャイムが鳴った。
「あ、ノート。授業までに返してね」
「わかってるよ」
彼女は席に戻って俺は溜め息をつく。
なんだよ、特別って。
俺は速くなる鼓動に舌打ちをして、ノートに意識を向けた。
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