09
「苗字」
「あ、いらっしゃいませ?」

数日後、花屋に行けばエプロンを着けた苗字が首を傾げながら微笑んだ。

「ちょっと待っててね」
「おう」

苗字は他の店員に声をかけて奥に入っていく。
少しして制服姿の彼女が出てきた。

「花…」
「あぁ、これ?」

彼女の手には小さな花束があって。

「私が作ってんの」
「へぇ」
「アイツ待ってるから行こう」

彼女の隣を歩きながら、花束に視線を向ける。

「毎日持ってくのか?それ」
「毎日じゃないよ。部屋の花がダメになるくらいを見計らって」

病院に入って看護師と少し会話をした苗字は階段を上っていく。
それを後ろから追いかけて、なぁと声をかける。

「なに?」
「俺、なに話せばいいんだよ」
「心配しなくてもアイツが好き勝手話すよ」

マシンガントークだから気を付けてねと振り返りながら彼女は言った。

病室には苗字の弟の名前だけ。
どうやら個室みたいで、苗字は入るよと声をかけてドアを開けた。
中を覗き込めば記憶の中の彼より随分と大人びた横顔が見えた。

「あ、姉ちゃん!!あーーっ、五十嵐さん!!こんちはっ」

俺に気付いた彼の笑顔は昔とそう変わらない。

「大声出さない。五十嵐、入っていいよ」
「ん」

キラキラと輝く彼の目は苗字と違い全てを信じきっている、そんな気がした。

「五十嵐さん座ってください」

ベッドサイドの椅子に座って見えていなかった彼の右手がずっとボールを弄っていることに気付く。
視線は俺の方に向けられているのにそのボールが落ちることはない。

「喋るならボール置きなよ、失礼」
「あ、そうだった!!」

ボールを止めて布団の上に置いて、にこりと笑った。

「俺のこと覚えてますか?」
「苗字と練習してるとき何度か来て、一緒にやった記憶はある」
「それだけ覚えてれば十分です」

苗字は花瓶を持って、何も言わずに部屋を出ていく。

「突然来て貰っちゃってすみません」
「…別に」
「姉ちゃんが五十嵐さんと同じ学校だって聞いてどうしても会いたくて」

視線をボールに向けて。
どこか楽しそうに口元を緩める。

「今、こんななんすけど。高校、姉ちゃんと同じとこ行こうと思ってるんです」
「え?」
「たった1年ですけど五十嵐さんの後輩になるつもりなんで、宜しくお願いします」

ボールから視線をこちらに向けて笑顔を見せた。

「そっか。頑張れよ」
「はいっ!!絶対高校入るまでに今までよりもレベルアップします」

怪我をしてもバスケが好きって気持ちは全く変わってないんだな。
そういうとこは苗字によく似てる。

「えっと、あの…ここからが本題なんですけど」

彼の表情に影ができた。

「姉ちゃん…最近、どうっすか?」
「苗字?」
「俺のせいで進学先も変えて。バスケもやめて。毎日ここに来てくれるのは嬉しいんすけど…なんか、」

申し訳なくて、と言って顔を伏せた。

「姉ちゃん、俺の前だと気丈っていうか…姉の顔っていうか…弱味は見せてくれないから」
「入学当初は変だった。けど、最近は昔の感じ。バスケも昼休み俺とやってるし。ここに来ることも進学先を変えたこともアイツの中じゃそこまで大きな問題じゃねぇと思う」
「え、五十嵐さん姉ちゃんとバスケやってるんすか?」

いいなー、と頬を膨らませた彼の表情に影はもうなかった。

「けど、よかったです。姉ちゃんバスケやめてなかった」
「治ったら練習相手になるって約束したからって言ってた」
「え、そうだったんすか?あのときは我儘とか言ってたのに」

やっぱり姉ちゃん優しいなって笑う彼は相変わらずシスコンなようで。
けど、目を細めて寂しそうに微笑む。

「…けど、多分ですけど。俺の約束よりも五十嵐さんがいるからだと思いますよ」
「は?」
「五十嵐さんは昔から姉ちゃんの特別っすから」

特別…。
苗字にも、言われたばかりの言葉にどういう意味と聞けば首を傾げる。

「姉ちゃん、昔よく五十嵐さんのこと話してたんすよ。綺麗なプレーをするんだって。一緒に練習してるとつい見とれちゃうって」
「は…?そんなの、初耳だけど」
「姉ちゃんが俺に人のこと話すの初めてだった。しかもスッゲェ優しい顔してるから妬いちゃって」

それで迎えに行くとか言って見に行ったんですよ。
苦笑しながら頬をかく彼。

それが俺とこいつの初めて出会った日ってことか。

「体育館にいって、すぐに思ったんです。あぁ、姉ちゃんはこの人が特別なんだって。…纏ってる雰囲気とか表情とかいつもと違いすぎて。けど、本当に五十嵐さんのプレーはカッコよかったから五十嵐さんならいいかなって」

クスクスと笑って、ベッドの上で頭を下げた。

「姉ちゃんのこと、宜しくお願いします」
「いや、は…?よろしくって…」
「…姉ちゃんの傍にいてあげて欲しいんです。姉ちゃん強いけど、溜め込むとこあるし…」

支えてくれたら、嬉しいですと微笑んだ。
そんなときガラッと音をたてて開いたドア。

「あれ、来ないほうがよかった?」
「いや、平気だけど」
「姉ちゃん、五十嵐さんとバスケしてたなんて聞いてねぇ!!」

彼のそんな言葉に花瓶を窓際の棚に置きながら眉を寄せた。

「アンタがそうなるのわかってたから言わなかったに決まってるじゃない」

窓際の花瓶に生けられた花と彼女の髪が揺れる。

姉ちゃんを宜しくお願いします。
彼の言葉が頭のなかで流れた。

「付き合ってくれてありがとね、五十嵐」
「別に。また、来るよ」

彼にそう言えば目を瞬かせてから笑った。

「是非お待ちしてます!!姉ちゃんいなくても好きに来てください」
「おう。じゃあな」
「じゃあ、リハビリ頑張るんだよ?」

わかってるよ、と答えた彼はちょっと照れくさそうで。
じゃあね、と手を振った。

病室を出てから苗字は俺を見て、微笑む。

「ありがとね」
「別に」

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