階段


ずっと前だけを見て走ってきた。
足を止めることも、振り返ることもなく。
ただ自分の為だけに、前だけを見て、階段を駆け上っていた。
ゴールなんて見えない。
まずゴールなんてあるのかもわからない。
ただ延々と続く階段を、駆け上っていた。
それが間違っていたとは思わない。
間違ってはいなかったと、思いたい。

「お世話になりました」

監督に手渡した封筒。
俺の今までを全て詰め込んだその封筒を、監督は相変わらず険しい顔をして受け取った。
それが両手から離れた時、ふっと体が軽くなった。
解放された、そんな気がした。
解放されるほど拘束されていた気はなかったけど。

「本当にいいのか?」

初めて、足を止めた。
自分を追い抜いて行く人達の流れに逆らって、俺は初めて後ろを振り返った。
延々と続く階段。
一番下は、見えなかった。
俺を追い抜いて行く人たちの顔はよく知ったものばかりだった。
抜かされる、そんな恐怖はもうなかった。

けど、所々俺と同じように背を向ける人がいた。
足を止め、俯く人がいた。
悔しそうに涙を流す人がいた。
それが、今まで俺が蹴落として来た人達であると初めて知った。

この階段は、この下へと延びていく階段は過去の栄光だ。
そして、また振り返り前を見て上を目指せば過去の栄光はまた多く積み重なっていくんだろう。
ゆっくりと後ろを振り返れば相変わらず上へと続く階段があった。
ゴールは見えない。
暗闇の中に続くその階段に初めて、恐怖を抱いた。
どうしてだろう。
少し前まで、この階段を上ることに恐怖なんてなかったのに。
踏み出そうとした1歩が今いる場所から動くことはなかった。
足が、竦んだ。

「いいんです」

俺はもう、進めないのだと分かった。

「お世話になりました。失礼します」

監督室から出て、寮までの道をいつもよりゆっくりとした足取りで歩く。
グラウンドから聞こえる声は、自分が少し前までそこにいたのだと思うと少し笑えた。
我武者羅だった。
無我夢中だった。
だから、怖くなかった。
冷静になってしまった。
いや、覚めてしまったんだ。
周りが見えて、初めて理解した。
自分がとんでもない場所にいることに。
ゴールもスタートもないその階段の本当の姿に。
今まで、俺が蹴落としてきた彼らは今もまだ踏み出せずにいるのだろうか。
それとも、新しい何かを見つけたのだろうか。
わからないけど、多分きっとそうだろう。

悔しいとは、思わなかった。
悲しいとも、思わなかった。
ただ、虚しいと思った。
けど、それと同じくらい興味深いと思った。

「なまえさんっ!!!」

聞こえた声に足を止める。
俺よりも幾分か低いところにある白っぽい髪が揺れた。

「どうした、鳴」
「やめるって…どういうこと?退部って、なんで!?」
「…もう、野球が出来る体じゃない」

鳴は唇を噛んだ。
その後ろ、見慣れた同級生と後輩たちが駆け寄ってくる。

「おい、なまえ!!聞いてねぇぞ!!」
「やめる必要なんてないでしょ?」

自分を追い抜いて行った彼らの顔を見ながら俺は笑う。

「頑張れよ」
「そんなのが聞きたいんじゃない!!」

俺の胸倉を掴んだ鳴の瞳には涙が浮かぶ。
また泣いてんのかって、彼の涙を指で拭えば彼は眉を寄せその瞳に大きな雫を生む。
今拭ってやったばっかなのに、なんて思いながら彼の涙を掬って笑った。

「次泣くのは、優勝した時な」

ぐしゃぐしゃと彼の髪をかき混ぜて、俺の胸倉を掴む手をそっと離させた。

「実家に帰らないといけないから、またな」
「出てくのかよ!!」
「そりゃそうだろ。あそこは野球部の寮なんだから」

本格的に泣き始めてしまった後輩にどうしたものか、と苦笑を零す。
鳴に胸倉を掴まれて、地面に落ちた鞄に視線を向けてその中から見つけたものを彼の頭にかぶせた。

「あれ、ちょっとデカいか」

俺がずっとプレー中に使っていた帽子を彼の頭に被せて、泣き顔を隠すようにつばを下げてやる。

「頑張れよ、エース」

彼が1番を背負ってマウンドに上がる姿を想像して、少し頬を緩める。
俺よりもきっと、似合っているだろう。

「じゃ、またな。応援してる」

彼らに背中を向ける。
彼らはまた、階段を上がっていくだろう。
その中に1番を背負った、可愛い後輩の姿があるだろう。

あぁ、そうだ。
もしかしたら彼には見えているのかもしれない。

「鳴」

足を止め、振り返り彼の名前を呼ぶ。
帽子のつばを手が白くなるほど握りしめた彼は涙でどろどろになった顔を俺に向けた。

「その階段を上った先には、何が見える?」
「、え?」

ぱちくりと、目を瞬かせる彼に俺はクスクスと笑った。
突然こんなこと聞いても、分かるわけないか。

「いつか、教えてね」

君にはきっと、見えているんだろうな。
そんなことを思いながら1人、彼らとは違う道に足を踏み入れた。





シニアにいた時から憧れていた先輩の背中に、もう1という数字はなかった。
遠く離れて行くその背中を見ながら、少しばかり緩い帽子を脱いで頭を下げた。

涙は止まらない。
止め方は、わからなかった。
つばに書かれた百折不撓の文字。
どんな意味だったかは、昔教えて貰ったのに思い出せなかった。

「鳴、」
「…わかってる」

涙を拭い、彼に背を向けた。
俺の背には、多分彼が背負っていた1という数字があるんだろう。

こんな風に貰いたかったわけじゃなかった。
そりゃ、ずっと欲しいと思っていた数字だったけど。
彼が背負っているからこそ、その数字は俺にとって何十倍もの価値を持っていた。
俺はこれを背負うには未熟すぎる。
認めたくなんてないけど、なまえさんを見ていればそう思わざるを得なかった。
1度だって、彼に勝てたことはない。
1つだって、彼に勝てることはない。
いつだって、彼は俺の目標であった。

その背中を追いかけるのが、俺は好きだったのに。
いつか、肩を並べたいと思っていたのに。
何だよこれ。
なんで、アンタがいないんだ。

「教えてよ、」

俺の進む道は、どこにあるの?
俺の行く先は、間違ってない?
アンタがいたから、俺は迷わず進んでこれたのに。

「……なんで、勝手にいなくなるんだよ…」





あの日からまともに練習なんて出来なかった。
監督も分かってはいるんだろう。
今は何も咎めては来ない。
けど、ずっとこのままでいいはずなんてないんだ。
彼の代わりに、背負わなければならない数字がある。
シニアで彼が卒業してから譲り受けたその数字よりも、酷く重たかった。

ベッドに横になって、彼から貰った帽子を見つめる。
言葉の意味は、思い出せなかった。
調べようとも、思えなかった。
多分これは、俺が思い出さなくちゃいけない。
そんな気がした。

それを被って目を閉じる。
彼を想って泣くのは、何度目だろうか。
まるでフラれた女みたいだ。

次の日の朝。
俺の目は見事に腫れていた。
普段だったらからかいに来るだろうカルロスも何も言わなかった。
学校に行けばどうしたの、と女の子の声がかかったがなんでもないと伝えて机に突っ伏した。

聞こえない。
見えない。
彼は今、どこにいる?
部活がないと、こんなにも彼に会えないのか。
同じ学校にいるはずなのに、彼はいない。

「鳴」

聞こえた声に顔を上げれば白河が眉を寄せて俺を見ていた。

「…何?」
「保健室、行ってきたらどうだ」

珍しい。
彼まで、俺を心配している。
普段だったら、笑ってやっただろうけど俺はそれにただ頷いた。

チャイムが鳴って静かになった校舎。
1人廊下を歩きながら、保健室に向かう。
保健室のドアに手をかけたとき聞こえてきた声に手を止めた。

「みょうじ君、これからどうするの?」
「どうするって何がですか?」
「野球、やめちゃったんでしょう?」

なまえさんが、この扉の向こうにいる。
この扉を開ければ彼に会える。
分かってるのに、俺の手は動かなかった。

「これからのことはあんまり考えてないですね」
「…そう」
「けど、自分の出来そうなものが見つかったので。それのために頑張ろうかなって思ってます」

出来そうなものってなに?
頑張るって、何を?
野球じゃないの?
俺達と、一緒に頑張ってくれるんじゃないの?

「…まぁ、まずは受験勉強ですね」
「そう。ねぇみょうじ君…教室、戻らなくていいの?」

保健室の先生の言葉に、彼の笑い声が聞こえた。

「会う度会う度泣きそうな顔されちゃ、ちょっと…」
「…そう。私、これから出張だから。あとはよろしくね」
「はい」

目の前のドアが開いて、先生が目を瞬かせる。

「どうぞ?体調悪い?」

先生の問いかけに頷けば、ベット使っていいわよと微笑まれた。
離れて行く足音を聞きながら、俺の足は動かなかった。
ドアが閉まらないことを不審に思ったのか、彼は顔を上げて俺を見た。

「…鳴?」

聞きたかった声が聞こえた。
見たかった姿が見えた。
なのに、凄く泣きたくなった。

頬を生暖かいものが伝って、彼は目を丸くする。

「ちょ、鳴!?どうした?」

駆け寄ってきた彼は左腕を俺に伸ばそうとして、止めた。
反対の手が俺の伸びてきて、そっと頬の涙を拭う。

あぁ、本当に。
彼の左肩はもう上がらないんだと。
また、目の前で突き付けられた。

「どうした?」

優しい声。
彼に抱き着いて唇を噛む。
少しの沈黙の後、体がふわりと浮かぶ。

「ちょ、何!!?」
「暴れんなって」

俺を右手だけで抱き上げた彼はドアを閉めて、俺をベッドまで運んでいく。
柔らかい布団に降ろされて、彼は俺に背を向ける。
咄嗟に彼の制服を掴めばすぐ戻ってくるからと、彼はその手を解いた。

すぐに戻ってきた彼は保冷剤にタオルを巻いて俺に差し出した。

「目、凄いことになってる」

隣に腰かけた彼は困ったように笑った。
それを目に押し当てて、唇を噛む。
そう言えば、こういう風に保冷剤を渡されたのは初めてではなかった。

「…なまえさん」
「ん?」

1年の甲子園。
俺の暴投で負けた。
あの時も、彼は俺の隣に腰かけて俺にこれを手渡した。
あぁ、そうだその時に彼は言っていた。

「百折不撓…」

読み方さえ忘れていたのに、思い出した。

「何度失敗しても、挫けることがないこと…」
「それ、俺の座右の銘」

大きな手が俺の頭を撫でた。
彼がいた時は普通だったその行為が、酷く特別なものに感じた。

「…挫けないんじゃ、ないのかよ」
「俺は、これを挫折だとは思ってないよ」
「なんで!!?」

目に押し当てた保冷剤を離して彼を見れば、彼はいつもと変わらず笑っていた。

「初めて、野球から離れた。初めて、世界を見た。俺の目には野球しか映ってなかったから、初めてこの世界の大きさを知った。だからこそ、怖いとも思った」





1本しかなかったあの階段。
進めなくなったのは世界を知ったから。
隣にも、そのまた隣にも沢山の階段があって。
それはぐちゃぐちゃに入り乱れていた。
俺に見えていたのが本当に小さなものだったのだと、気付いた。
恐怖で足が竦んだ。
この道が正しいのだと盲信して、あのまま階段を上ることが怖かった。
だから野球が出来なくなって、初めて…他の道を見つけた。

挫折だとは思っていない。
そりゃ、傍から見れば俺は中途半端に諦めたように見えるかもしれない。
けど、俺は諦めたとは思っていない。
この怪我は、ほんの小さなきっかけでしかなかった。
もしあの時他の道を見つけていなければきっと俺はまた、その階段を駆け上っていた。
それも悪くはないな、と思うけれど。

「やりたいことがある。見たい景色がある。だから、俺は野球をやめるよ」
「っ、なんで…野球より、何が大事なの!?」
「なんだろうな」

俺のこれから登ろうとしてる階段も、先は見えない。
途中から足を踏み入れたのだから下も見えない。
けど、間違ってるとは思わなかった。

「百折不撓。…お互い、頑張ろう?」
「…ふざけんな、ふざけんな…馬鹿なまえ…」

鳴の涙はやっぱり、好きじゃないなと思いながら頬を撫でた。

「…待ってて、鳴」
「なまえさん?」
「俺は、決して…諦めたりしないから」





「…懐かしい夢、」

高卒後ドラフト1位でプロ入りして今年で5年目。
初めての故障を味わった。
左肘靭帯の炎症。
治るまで、少し時間がかかるだろう。
今まで幾度となく挫折してきた。
それでも何度も諦めずにこの舞台で戦い続けたのは彼に今でも憧れているからだろう。

「百折不撓…」

部屋の片隅、そっと置かれた彼から貰った帽子に歩み寄ってそれをくるりとひっくり返す。
彼の書いた文字がそこにはハッキリと刻まれていた。
彼がケガ部活をやめてから会ったのは両手で数えられるほど。
彼が卒業してからは1度として会っていない。
何処にいるのか、今何しているのか。
俺だけじゃなく他のみんなも知らなかった。

なまえという男が俺達の記憶にだけ、深く刻まれ、彼は跡形もなく消えた。

今日から専属のトレーナーがついて治療とリハビリが始まる。
辛いと思うし、早くチームに戻りたいとも思う。
迷惑かけてしまう事にも、ファンに悲しい思いをさせてしまう事にも申し訳なさがあった。

「よしっ…さっさと復活して試合に戻るぞ」

帽子をいつもの場所に戻して、準備を始めた。

トレーナーとの顔合わせ、と言われてどんな人?とコーチに尋ねてみる。
コーチは少し首を傾げた。

「あーそうだな。どこかお前に似ている気がする」
「俺に?」
「あぁ。元々野球をしていたらしくてな。よくアイツに相談に行く選手もいるよ。新任なんだけどな」

連れて行かれた先、ドアを開ければ見たこともないような器具が並び中にはこちらに背中を向ける人の姿があった。

「待ってたよ」

くるりと、椅子を回して振り返ったその人は俺を見て綺麗な笑顔を見せた。
その笑顔に、彼の…俺の追いかけてきたその人の顔が重なった。

「……なまえ、さん…?」
「おいおい、なんだよ。その幽霊でも見た顔。久しぶりだな、鳴」

何も言えなくなった。
だって、ずっとずっと待っていたから。

プロ入りしても、1軍に入っても、沢村賞を獲っても、彼は俺の前になんて現れてくれなかったのに。

「なんで…」
「ここまでマジで長かったんだからな?」

コーチは知り合いか?なんて言って部屋を出て行く。
2人きりになった部屋で、彼はクスクス笑っていた。

「あ、泣くなよ?いい大人が泣くとか流石にダメだからな」

ほら座れ、と椅子を叩いた彼に俺は言葉を探す。
会ったら言ってやろうって思ってたことは何も言葉にはならなかった。

「…色々、説明してやるから。まず座れ。な?」

やっと、言う事を聞き始めた足を動かして椅子に腰かける。
彼は何かを見ながら口を開いた。

「まぁ、まずさ…野球ができなくなって、まず思ったことはさ。同じようなコトをお前も味わうのかもなってことだった」
「は?」
「いや、まぁ俺は事故だったから全く同じってことは本当に稀だけど。これからずっと野球をやるならお前にだって故障がある。お前だけじゃなく雅とかにもな。そうやって考えた時に」

野球が出来なくなった俺の出来ることってそれだなって思った。

彼の言葉の意味は俺には分からなかった。

「マネージャー、もいいかなとは思ったんだけど。それってその時のことしか考えてなくてお前らにも気を使わせるからやめて。じゃあ、プロ入りしたりしてからのお前らに出来ることを今から頑張ろうって思ったんだよ」

昔と比べて細くなった指が、俺の肘に触れる。

「だから、スポーツトレーナーになろうと思って。そっちの大学に進んで。資格勉強しながら色々なとこで体験とかして。なんとか、ここのスポーツトレーナーになった」

野球は諦めたって、思われるかもしれないけど。
それ以上にやるべきことを見つけた。

彼はそう言いながら、笑っていた。

「…連絡とか、くれてもよかったじゃん。皆、心配してるのに。俺、頑張ったんだよ!?ドラフト1位で、沢村賞とか、最多勝利とか…」
「知ってるよ。雅ももうキャプテンだもんな。貫録出ててちょっと笑った。樹も実業団の方で頑張ってるみたいだし今年はプロ入りかもって話だよな。翼とか秀明も頑張ってるの知ってるし」

全部見てたよ、と彼は言って俺の頭を撫でた。
あの頃と変わらない大きな手は、少しばかり頼りなくなった気がした。

「…野球、もうやってないの」
「リハビリの手伝いでちょっとやるくらい。あの怪我以来真面目に野球はやってないよ」

リハビリ長引きそうだなと彼は言って、ゆっくりと俺の腕を動かしていく。

「まぁ、焦る気持ちはあるだろうけど。気長に頑張れよ」
「…なまえさんの、見たい景色って…なんだったの?」

今日、夢で見た。
彼との会話を思いだしてそう言えば彼は目を瞬かせた。

「そんなのまだ憶えてたのか?」
「…別に、」
「あの時は、お前が1番を背負ってチームを引っ張って、甲子園で優勝する姿が見たいって意味を込めて言ってたよ」

お前には良く似合ってた。
彼は優しく目を細めて笑った。
あぁ、この人は変わってない。
あの頃から何も、変わっていない。
俺よりも細くなった体も、繊細になった指も、かけていなかった黒縁の眼鏡も。
沢山変わったところがあるのに、彼は彼の中身は何も何1つ変わっていなかった。

「…ずっと、憧れてた」
「俺に?」
「そうだよ。ずっと、ずっとその背中を追ってきた。シニアでも高校でも。なのに突然いなくなって、どこに行けばいいかわからなくなった」

間違ってなかった?俺の進む道は。

俺の言葉に彼は俺の腕から手を離して、俺の体を抱きしめた。
親が子供を慰めるみたいに、優しく背中を叩かれる。

「…それは、俺が決めることじゃないな」

目の前が霞んできて、ぎゅっと目を閉じる。

「けど、鳴が進んできた道なら…きっと間違ってなかったと思うよ。過去に、胸を張れ。敗戦だってそれがあるからの今だって信じて疑うな」
「…うん」

お前の過去に無駄なものは1つでもあったか?

彼のその言葉になかった、と伝えた。
じゃあ間違ってなんかなかったよと彼は言ってくれた。

「俺も、今までの自分を恥じたことはないよ。あの時野球をやめたこと、お前を突き放してまで自分の道に進んだこと。無駄な事だったとは思ってない。それがあるから、今があるって俺は思ってる」

ゆっくりと俺を離した彼は昔みたいに、頬に伝う涙を指先で掬い上げた。

「泣くなって言ったのに」
「…うるさい」
「なぁ、鳴。遅くなってごめんな。これからは、お前を支えてやるから。だからさ、教えてくれないか?」

何を?と首を傾げれば彼は微笑んだ。

「お前があの頃から上り続けてるその階段の先に何があるのか」
「…階段?」

前にも言われたことのある言葉だった。
階段って何のことだ、とあの時も思った気がする。

「今まで進んできた道。今立っている場所。これから進んでいく道。それは多分果てしなく続く1本の階段だ。そのずっと先にあるゴールを俺に見せて欲しい」
「…ゴール?」
「俺には見えなかったから。きっと、まだまだ辛いこともあるし故障もスランプもきっとある。けど、止まるなよ」

お前なら、きっと頂上まで行けるから。

彼の言葉に俺は頷いた。

「てかさ、今度こそ消えないでよね!?次いなくなったら、テレビで探すからね!!」
「ちょ、それは勘弁しろよ」

さてと、じゃあやるかと彼は立ち上がった。

「さっさとチームに戻るぞ」
「うん」



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