共犯



俺を抱く、彼の手はいつも優しい。
後ろから俺を抱きしめて、ない胸を揉んで、濡れもしない穴に突っ込んで。
慣れてしまったその行為。
だが、一度だって キスをしたことはないし 彼が俺の名を呼んだこともない。
それでも体は彼を受け入れる為に変わっていく。
触れられれば熱を持ち、胸を触られれば女みたいに快楽を感じ、後ろの穴は彼の熱を待ちわびて ヒクつく。

「っ、」

彼は耳元で姉さんの名前を呼ぶ。
そして、俺は声を押し殺して押し寄せる絶頂を受け入れた。

「大丈夫か」

彼はそう問うて、ずるりと俺の後ろから 彼のものを引き抜く。
その瞬間に声が出そうになるのを堪えて こくりと頷いた。
これはsexじゃない。
ただの自慰行為。
そして、自傷行為だ。

「風呂、連れてく」
「…いい、自分でいける」
「そうか」

彼は姉さんの恋人だった。
そして結婚も考えている、とハニカミながら話した姉さんは、その翌日に帰らぬ人となった。
なまえさんは葬式の最中、涙を流すことはなかった。
ただ、悔しそうに唇を噛んで 血が滲むほどに両手を握りしめていた。

彼はよく笑う、聡明な人だった。
子供が好きで、動物が好きで、俺にも良くしてくれていた それこそ兄のように慕っていた人。

重たい体をシャワーで濡らしながら溜息をつく。

彼が初めて俺を抱いたのは、葬式の日の夜だった。
どちらから、なんて覚えていない。
気づいたらそうなっていて。
俺を抱きながらなまえさんは 泣いていた。
泣きながら 姉さんの名前を呼んでいた。
その日から、あの人が泣いた姿は一度も見ていない。

風呂から出ればいつの間にか用意されていたふかふかのバスタオル。
それをありがたく使って、同じく用意されていた部屋着に身を包む。
部屋に戻ればキッチンに立っていた彼がこちらを見て微笑んだ。

「ココアとコーヒー、どっちがいい?」
「…カフェオレ」

選択肢にないものを伝えても、了解とすぐに答えて彼は冷蔵庫を開いた。

彼が俺を抱くのは姉さんの月命日の日だけ。
だから、次は来月の今日だろう。
それ以外の時は、ただの優しい兄になる。

湯気立つマグカップを差し出した彼は熱いから火傷するなよと言った。
それを受け取って、熱を冷ましながら一口飲み込む。
俺が飲んだのを確認すると彼は風呂の方に歩いていった。

「いつまで、やるんだ…こんなこと」

どちらかが、やめようと言えば終わるのかもしれない。
だが、俺はそれを伝えることができなかった。
好きとか そういう感情ではない。多分。
ただ、あの人を放っておいてはいけないと、思っていた。
せめて来月までは、そう思い続けて もう馬鹿みたいに時間だけが過ぎたのだ。





「秀次、ご飯どうする?」

風呂から上がって彼に声をかけるが返事はない。
ソファに蹲る彼に近づけばすーすーと寝息が聞こえた。
濡れたままの黒髪。
彼の姉によく似た艶のある綺麗な髪だ。

「秀次。寝るならベッド行こう」

肩を揺らし声をかければ、「姉さん、ごめんなさい」と彼は小さな声で呟いた。
そして、閉じた目の端から涙が落ちる。

「…ごめん、」

ごめんな、秀次。
彼を抱きしめたくなった。
けど、それが許されないことは誰よりもわかっていた。
起きないようにそっと彼を抱き上げて、彼がお風呂に行っているあいだに整えたベッドに寝かせる。
クマのある彼の目の下をそっと撫でて、もう一度だけごめんなと呟いた。

自分がやっていることがどれだけ最低なことなのかは、わかってる。
ベランダで煙草を吸いながら、頭を抱える。
恋人だった彼の姉が亡くなった日。
秀次が彼女に重なって見えた。
そして、秀次とわかっていながら 抱いたのだ。
その一回で終わるつもりだったのに、どうしてなのか 彼を求めた。

最低だ。
いっそのこと、死んでしまった方がいい。
そんな風に思いながらも、いつも死ねなくて。
結局またこの日を迎える。
いっそのこと秀次に殺されたい。
いい加減にしろ、と殺してくれたら。
そんな風に 毎回終わるたびに思うのだ。

「…あー…何やってんだよ…本当に」

涙が出た。
彼女が死んでもう随分と経つのに、忘れることなんかできやしない。
そして、彼を抱いて 懺悔する時だけ カッコ悪く泣くことができる。
ただ、俺が弱いだけ。
その弱さに秀次を、巻き込んでしまっているだけだと 本当はもうずっと前からわかっていた。
それでも俺は、彼女を忘れることなんてできないのだ。
彼女の面影に縋って生きることしか 出来ないのだ。

「…また、煙草ですか」

振り返ったらいつの間にか彼がいた。
朝まで起きないと思っていたのに、珍しい。
夢で泣いたのか、彼の頬には少しだけ涙の痕があった。

「もう消すよ」
「…別に、」
「秀次の体に良くないから」

自分はいいんですか、と言う言葉には 曖昧に笑うことしかできなかった。

「…秀次、」
「はい」
「今日で、最後にしよう」

秀次は目を丸くさせたけど「はい」と静かに答えた。

これでいい。
最初から、こうするべきだった。
言葉に出来るとは思っていなかったことが、自然と言葉になったのは 多分彼の涙を見たからだ。

「今までありがとう」
「…はい」

彼は何も言わなかった。





翌月の月命日。
何故かいつもと同じように翌日に休暇を入れてしまっていた。
なまえさんは大丈夫だろうか。
そんなこと考えながら 気付けば彼のマンションにいた。

やっと終わったとあの時思ったはずなのに、何故か少し胸が痛んだ。
良いことのはずなのに、なぜだろう。
その答えを俺にはわからなかった。

彼の部屋に明かりはない。
けど姉さんの月命日は必ず仕事を休んでいたからきっと、部屋にはいるはず。
返しそびれた合鍵を見つめて、ちょっと様子を見に行くだけ。そう言い訳をしてエントランスを抜けた。

彼の部屋の鍵を開けて気付く。
いつもより淀んで煙たい部屋。
まさか、と思って中に入れば 大量のお酒の空き缶と無数の吸殻。
虚ろな目は何を写しているのか、俺には気づいていない。

「なまえさん!」

やめてください、と彼の手から煙草を奪って灰皿に押し付ける。
何も言わず、彼の両腕が背中に回された。

やっぱりやめるなんて、無理だったんだ。
彼のことは放っておいては、いけない。
姉さんの代わりでも良いから、抱かれていいから。
もう 誰かを失うのは嫌だ。

「秀次、」

彼の声が俺を呼んだ。
酒のせいかとろんとした目で俺を見つめ、頬を撫でた。
いつもの行為の時みたいだったのに、何故か彼は何度も何度も俺を呼んで。
涙交じりに謝罪の言葉を吐き出す。
そして、彼の目から あの日以来の涙が流れるのを見た。

「なまえ、さん。いいですよ、俺。受け入れますよ」

そう言って、ムードもなく服を脱ごうとすれば彼は首を横に振った。

「わかってんだ、何度名前呼んだって アイツは帰ってこない。俺が抱いてるのは秀次だって、わかってる」
「っ、」
「わかってた、ごめんな」

いつもより弱々しい声だった。
俺を抱きしめる手は震えてて、らしくない。
けどほんとはずっと、こんな弱さを隠して生きてたんだと思った。

「…何で、今更」

そんな姿を晒すんだ。
いつもみたいに姉さんに重ねて抱いていればよかったのに。
俺はその、弱さとの向き合い方を知らない。
アンタの涙の拭い方も知らないんだ。
行き場のない両手を少し躊躇ってから彼の背に回して、彼の肩に顔を埋めた。

「…謝る、必要はない…受け入れた俺も…共犯だ」

秀次は被害者だよ、と彼は言う。
けど俺はそうは思わなかった。
来月までの生きる理由を 確かに彼はくれていた。
決して 正しいやり方ではなかったけれど。
俺の寂しさを確かに彼は埋めてくれていたのだから。

姉さんが亡くなってから、初めて彼は俺を抱かなかった。
代わりに一晩中、彼は俺を抱きしめて眠った。





酷い痛みに目を覚ましたら 秀次が腕の中にいた。
またやったのか、と思ったが自分の服は昨日のまま。
腕の中で身動いだ彼が ぎゅっと背中に回してた手に力を入れた。

「秀次、」

彼を抱きしめ直して、目を閉じる。

「ごめんな」

許されない。
だから、手放す覚悟を決めたはずだったのに。
また俺は彼に縋って、利用したんだろう。

「謝らないで、なまえさん」

秀次は俺を見て、眠たそうな目を細めた。

「俺も、アンタと共犯だから」

また寝息が聞こえた。
寝言だったのかもしれない。
ただ、彼の言葉に少し 胸が軽くなった。

「…ありがとう、」






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