春よ来い



「あー、ミスった」

画面とにらめっこしながらキーボードを叩く彼は舌打ちを零す。
自然と伸びた手はノールックで煙草を取り出し、口に咥える。
左手がキーボードを叩いたまま右手がライターを探して机の上を彷徨った。
相変わらず器用なことしとるなぁ、なんて彼の背を眺めていれば ライター知らね?と視線をこちらに投げることなく彼は尋ねて来た。

「…資料の下やろ。さっきまでそこにあったで」
「ま?あ、ほんとだ」

ここまで全てノールック。
彼の視線は画面に釘付け。
火を点けた煙草からゆらゆらと灰色の煙が上がる。

別に、今更文句を言う気もない。
なまえさんはいつもこうや。
これはこれで居心地が良くて気に入っとるし。

「飯、どーするん?」
「あー…」

続く返答はない。
これだってもう、慣れたこと。
あぁ、春巻き食べたいな。
なまえさん行きつけの中華料理屋さん連れてってくれへんかな。
あそこの春巻きめっちゃ美味い。
と、話が逸れたが。
なまえさんはA級ソロ隊員でありながら、うちの高校の先生をしている。
出会いは俺の地元。
スカウト部隊として来てた彼に声をかけられボーダーへ。
そして、彼を勝手に師匠と呼び師事しとった。
先生しとることは全然知らなくて、俺のクラスに黒縁メガネかけてやる気なさそうに現れたとき 物凄く驚いて叫んだことをカゲとかには未だにネタにされる。
あの時はめっちゃ驚いたけど、何だかんだ教え方も上手いし人気あるしモテる。
クラスの女子もカッコいいとか話してたし、ちょいちょい告白もそれとるなら間違いない。

「なぁ、」
「んー…」
「灰落ちんで」

言うのが遅かったのか言ってる途中に灰が落ち、彼の手の甲へ。
熱ッ、と手を払って彼はやっと煙草を灰皿へ運んだ。
長くなった灰が落とされ、彼の視線がこちらに向く。
メガネの向こう 茶色い目がすっと細められた。

あぁ、あかん。
この目、めっちゃ好きや。

「中華食べたい」
「急やな」
「さっき飯の話してなかったか?」

あんな適当に返事してたくせにちゃんと拾って記憶してるからなぁ、この人。
だからあんな状態でも言葉を投げることを嫌だとは思ってなかった。

「春巻き食べたくなる頃だろ、お前も」
「何でバレてるん」
「顔に書いてある」

嘘こけ、て思うけど。
当てられてるから何も言えへん。

「仕事は?終わったん?」
「集中力切れたからいいや」
「何の仕事やってたん?今更やけど」

メガネを外して、ペタペタと脱衣所に向かう彼に質問を投げる。
言ってなかった?と振り返りながら彼はシャツを脱いだ。

無防備。
ちゃうわ、この人に使う言葉やないなこれ。
なんちゅーか、ずるい。
薄く割れた腹筋。
しっかりとした肩周りから腕。
鍛えてるん?って最初の頃聞いたら 水泳が趣味なんだと彼は答えた。
昔は有名な選手やった、とか誰かが言っとったけど 彼の所属していたスイミングスクールのプールは第一次侵攻で壊されてしまって直されることはなかった。
代わりに大学で泳いでたって話は東さんから聞いた。
今も休みがあれば泳ぎに行ってるって話も。

「ボーダーに出す報告書」
「なんの?」
「お前らの成績の」

え、と固まった俺にお前は優秀で良かったよと彼は笑った。

「そんなん出してるん?」
「出してるぞ。うちの高校所属のB級以上のボーダー隊員全員な。任務に入れる判断材料として」
「…大変やな」

どうにかしてくれよ、と彼が言う。
恐らく俺の友人達のことだろう。
荒船が手を焼く彼らを俺にどうこうできるわけないやろ、と思いながらも口にはしなかった。

「じゃ、行くか。腹減ったー」
「あ、待ってや。荷物しまうから」
「携帯だけでいいだろ」

暇潰しにやってた課題を慌てて鞄にしまおうとした俺の手が止まる。
心底不思議そうな目が向けられ、彼は首を傾げた。

「泊まってくだろ」
「…そーいうとこやで、ほんま」
「何が?」

何度でも言おう。
ずるい。

「別に」
「怒ってんの?」
「怒ってへんわ」

コートを羽織り携帯と財布だけ持って玄関に向かう彼の後を携帯とコート片手に追う。
当たり前のように奢ってくれるから財布を持てとは言わんし、当たり前のように俺を泊めてくれる。
俺の感情知らずにやっとんのかなって思うけど、この人自分でもわかるくらい溢れ出すこの感情に気付かないようなアホやない。

「うわ、寒っ」
「そらそーやろ。もう冬やで」
「冬かぁ…」

吐いた息は白い。
煙草吸ってる時に吐き出す煙に少しだけ似てる。
彼の整った横顔は冬が似合う、と白い息を子供みたいに吐き出す彼を見つめた。

「冬休み貰えっかなぁ…」
「2、3日は貰えるんちゃう?学生もシフト増えるやん毎年」
「けどランク戦だろ?お前」

だからどうした、と彼を見れば 不思議そうに首を傾げた。

「何?」
「いや、何はこっちのセリフやろ。ランク戦関係ないやん、なまえさん」
「お前んとこは出るだろ」

そりゃB級だし。
なんとなく噛み合わない会話に俺も首を傾げる。

「行きたいって言ってなかった?旅行」
「うぇ!?」

変な声出た。
いや、いつの話しとるん?
確かにそんな話したことあるで。
なんか美味いもん特集かなんかの番組観ながら。

「寒いの嫌だし北はやめような。暖かいとこ行きたいよな。オーストラリアとかグアム…ハワイもありだなぁ…」
「…海外は無理やろ」
「やっぱ?じゃ、妥協して沖縄か九州」

あー、ずるい。
当たり前のように俺と過ごすと思ってるんがずるい。
俺の独り言みたいな言葉もしっかり拾って覚えてるんがずるい。
顔が一気に熱くなるのを感じて 顔を背ける。

「…沖縄がええ」
「今から申請出したら行けっかな…」
「…どうやろうな。行けて、大阪ちゃう?」

飛行機はやっぱダメか、と彼の笑う声が聞こえた。

「けど、大阪もいいよな。お前スカウトしに行って以来だし。あの時観光できてないし」
「…美味しい店、連れてったるわ」
「そりゃ、ありがてぇ。お前を預かってる身だし、お前の親御さんにも元気な姿見せてやらないとだし…大阪行くかぁ」

好きや。
やっぱ、どうしようもなく。
彼にスカウトされ、師事し、共に過ごすようになり芽生えた感情。
それは共に過ごす日々が積み重なるほど大きくなっていった。
弟子と名乗ることを許してくれた、隣を歩くことを許してくれた、共に過ごすことを許してくれた。
それだけで幸せやったのに、彼はそれが当たり前だと思ってくれとるから尚更。
けど彼にとって俺はなんなんやろって思うことも増えた。

「ええの?」
「何が?」
「生徒と出かけるん、流石にあかんやろ」

そんな今更なこと言う?と彼は笑った。

「家泊まってる癖に何を今更」
「せやけど。旅行はあかんのちゃう?」
「なんで?」

俺がお前と行きたいんだからいいだろと彼の手が俺の頭を撫でた。

「必要なら書類出してやるよ。ボーダーにも学校にも。大阪に行くってなりゃ 付き添いって名目でいけんだろ」
「…そうかもしらんけど」

話の途中で彼の行きつけのお店に着いた。
店に入れば暖かい空気が冷えた肌を温める。
とりあえずいつもの、と頼みながら席に着いた彼の向かいに座れば 「水上くんもいつもの?」と店主に聞かれてお願いします、と頷いた。





外の寒さのせいか赤くなった鼻を彼が少しだけ擦る。
耳が赤いのは寒さのせいかさっきの話のせいか。

「はい、お待ちどうさま」

彼の前に置かれた春巻きと山盛りの白米。
そして俺の前に置かれた回鍋肉と普通盛りの白米。
俺と彼の真ん中には麻婆豆腐とエビチリ。
いただきます、と両手を合わせた彼につられて自分も両手を合わせる。

「うま…いつ来ても美味いやん、ここ」

何度食べてもその反応だよなぁ、と春巻きを頬張る彼を見ながら思う。
幸せそうに目を細め、白米も口に運ぶ彼はまぁ年相応って感じだ。
普段は比較的 大人びている。
同年代の子らといる時は普通の高校生しているが、俺の前では物分かりのいい青年。
初めて会った時からしっかりとしていたし頭の回転も早く聡明な子だったが、大人ぶるのが上手くなったのか俺の前では尚更年相応な姿を見せなくなった。
だから時々見るこの表情はお気に入りだったりするわけだが、それをわざわざ伝えてやることはしない。

「食べへんの?」
「ん?食べるよ」

けどもう冬か。
長かったなぁ、ここまで。
冬が来たとなれば後は春が来るだけ。
俺がその春を待ちわびてることは聡明な彼はまだ気づいてはいないらしい。
いや、気付かせないように上手く立ち回れているだけかもしれないが。

「付いてんぞ、」
「ん?」

口の端に付いたエビチリのソースを人差し指で掬い、自分の口に運ぶ。
ぶわっと赤くなった彼につい、笑みが零れる。

「どした?」
「、な…なんでもない」
「そ?」

その日が来たら彼はどんな表情を見せてくれるんだろうか。
いい大人がずるいことしてる自覚はある。
彼が自分に好意を持ち始めたことには気付いていた。
それに応えることも拒むこともせず、気づかぬふりをしたまま 自分の隣にいさせたのはこれから迎えるその日の為。
俺の隣に当たり前のように彼の居場所を作ったのは俺から離れられなくする為だ。
離れるなんて、考えさせるつもりはない。
それが当たり前だと刷り込んで 何手先をも読める棋士だったこの男が気付かぬように、過ごしてきたのだから。
欲しいものは手に入れる性分なのだ、どんな手段を使っても。

「早く春が来るといいなぁ」
「どしたん、急に」
「何でもないよ」

早く春が来るといい。
そして、高校を卒業して その制服を脱いでくれ。
いや、俺が脱がしてしまおう。
その日を迎えれば 合法的に、お前に触れていいんだから。




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