左04
GWの合宿に向かうバスの中。流れる景色を眺めながら、雑音をかき消すためにイヤホンを耳に差し込んだ。
夢を見た。
兄が俺の傍にいてくれた頃の。
バレーの練習が終わると迎えに来てくれていた。
「今日はどうだった?」と優しい声が落ちてきて、それに答える俺の頭を撫でてくれた優しい手。
けど、気づけば送り迎えは母親の仕事になっていた。
地元のバレーチームから、数駅先の強いチームに所属するようになったから。
兄は、迎えには来てくれなくなった。
その頃からだろうか。
兄が、児童館に行き始めたのは。
母親が俺の練習に付きっ切りになって、家を空けるようになったから兄は放課後を児童館で過ごすようになったのだとあの頃は気付きもしなかったな。
中学生になっても、ボランティアとして児童館に行くようになった兄の周りにはいつも年下の子供たちがいた。兄ちゃん、兄ちゃんとついて回る子供たちに向けられる目は、頭を撫でるその手は間違いなく俺のものであったはずなのに。
その頃には俺に向けられることはなくなっていた。
どうして、どうして。どうして!!
そんな、子供たちが俺よりも大事だっていうのか。
「左京?」
肩を揺すられた。
閉じていた目を開ければ「大丈夫か」と瀬見さんが俺の顔を覗き込んでいた。
「何が、すか」
「魘されてた」
彼の声を拾うために外したイヤホン。
押し寄せてくる雑音にまた眉を寄せれば、「酔ったか?」と彼の手が俺を気遣うように米神の辺りを撫でた。
「大丈夫、っす」
結局、既読がつかなかった。
握りしめていたバキバキに割れた携帯を見下ろして一度大きく息を吐く。
「すんません、いつも」
「何が?」
「俺の世話、させられてんスよね?」
は?と彼は言って、「誰がそんなこと言ったんだよ」と俺の頭を軽く小突いた。
「誰って…」
「俺が好きでやってるだけだ。気にすんな」
俺のことを放っておけないと言いながら頭を撫でた手はどこか、兄に似ている気がした。
「お人よしって言われません?」
「どうだかな、」
「なんで、自分の弟妹でもないのに世話やくんすか」
俺の質問に彼は不思議そうに首を傾げた。
「本当の弟妹よりも、大事ですか」
「何の話してんだ、お前」
「あ…いや、すんません。寝ぼけてます」
この人に聞いたって答えは出ない。
俺よりも、どうしで。他人の子供を可愛がったんだ?
朝早く家を出て、夜遅くに帰ってきて。
俺と母さんと同じ食卓につかなくなったし、俺と目を合わせてくれなくなった。
声をかけても、すぐに終わらせられた。
「兄弟いんのか?お前」
「…そっすね。兄が」
「お前のこと、可愛がってくれなかったのか?」
そうっすね、と答えれば「理由があったんじゃないか」と彼は言った。
「理由って?どんな?俺を捨てて、家を出て行くような理由って、なんすか」
「え、」
あぁ、この話をしたの天童さんだっけ。
まぁいいか。別に隠しているわけでもない。
▽
ぽつり、ぽつりと話し始めた左京の話には何というか驚いた。
彼がそこまで誰かを大切に想っているのが少し意外だったから。
家を出て行った兄と、行き先を教えてくれない周囲の人間。
兄は最初からいなかった、と言った両親。
普通に考えりゃ、おかしいのは両親だ。
自分の子供の存在をなかったことにするって相当だろ。
追い出したのか、自ら出て行ったのかはわからないけど。
左京の兄と両親の間に何らかの軋轢は存在する。
けど、そんなことにすら気づけない左京も怖い。
俯いている彼を見て、溜息が出そうになるのを何とか飲み込み自分の額に手を当てた。
かける言葉が、見つからない。
「すいません、忘れてくれていいっすよ」
「え、あ…いや、」
丁度よくバスがPAに止まった。
もう一度すいません、と言って彼はバスを降りてく。
その姿を見送り飲み込んだ溜息が零れた。
「おかしいよね」
通路を挟んで隣の席に座っていた天童がにっこりと笑う。
「お前も、知ってたのか」
「この間聞いたんだよネ。ちょっと、外出よ」
財布片手にバスを降りる彼を追いかける。
「普通に考えて、自分の子供をないもの扱いするのが変だろ」
「その通り!けど、左京はそれに気づかない」
「…兄貴って、」
家族を捨てたんだよ、と天童は飲み物を買いながら呟いた。
「捨てさせられたのか、自分の意志かはわからないけど。捨てる事を受け入れた。きっと、これから先 左京がどれだけ有名な選手になろうとも…兄は、剣持右京は左京の前には現れない」
「右京?」
「て、名前らしいヨ」
プシュッとプルタブを引いた缶から今の空気に似合わぬ爽やかな音がする。
「右京の同級生がクラスにいるんだよネ。詳しくは教えてくれなかったけど、その学年では有名だったみたい。母親の毒親っぷり」
「毒親…」
「左京に事は蝶よ花よと甘やかして育ててたみたいだけど、右京は悪く言えば…ネグレクト」
喉が引き攣った。
はく、と唇だけ震えて声が出ない。
「同じ家の中にいて、それに気づけないほど…左京と右京は別々に生活してた」
「歪すぎるだろ…」
「本当にネ」
そんな状態に左京はなぜ、疑問を持たなかったんだろうか。
兄を失うその日まで、なぜ。
普通に考えりゃ、そんな状態なのはおかしいだろ。
普通に考えりゃ、親が子をいないものにするのもおかしいだろ。
普通に考えりゃ…?
「今の左京を見ててもちょっと、わかるよね。普通には育ってないって」
天童が悲しそうに笑った。
「神童故に、奪われた人間らしさってか?それを奪ったのが、両親ってか?…おいおい、ふざけんなよ」
「今が最後のチャンスかもネ。親元を離れて過ごしてる今が」
今、あいつが変わらないなら。
きっと、一生兄に会う機会はなくなるだろう。
「どうしよっか、英太君」
「勘弁してくれ…本当に」
笑った天童に項垂れた俺。
「放っておく?」
「…無理だろ」
「だと思った」
天童は「合宿中に作戦会議だね」と言って空き缶をゴミ箱に放り投げた。
「ひとまず、神童を人間に戻すところからかなぁ」
「簡単に言ってくれるな」
「あとは、どうにか…剣持右京とコンタクトをとること」
天童の言葉に俺は頷いた。
「先輩が一肌脱いでやるよ」
「かっこいー、英太君」
「お前もやんだからな!」
×End
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