右05
「休憩してっか?」

バイト先の店長が教材を広げていた俺の前にアイスコーヒーを置いた。

「すいません」
「いいって。GW全部シフト入ってくれてるし」

会長がGWは休みたい、と言った為去年までGWに行っていた作業が前後に振り分けられた。放課後デイのボランティアは行っているが、人数は揃っているからと会長は俺を休みにしてくれた。
そのお陰でGWは通しでバイトに入れていた。

「留学するんだろ?」
「はい、その予定です」
「なんでまた…」

ディナー営業に向けての仕込みが終わったのか、店長もコーヒーをすする。

「少しでも、遠くへ逃げたいから…ですかね」
「逃げたい…」
「日本にいる限り、剣持が俺を縛るので」

親は選べねぇよな、と彼は言った。
そう、その通りなのだ。
子供は親を選べない。

「そうですね。…その代わり、沢山の人に恵まれましたよ」
「それでも、この国を捨てたいのか」
「はい」

留学をすると決めたのは、高校に入ってすぐだった。
地元を離れても俺の顔を見て、剣持左京と呼ぶ人はいた。
双子のように似ているのだから仕方ないとは思う。
目も悪くないのに眼鏡をかけたり、髪形を変えたり色々やったけど結局ダメだった。
それだけ、神童 左京は有名だった。
逃げたかった。これ以上、苦しみたくなかった。
神童 剣持左京の兄ではなく、出来損ないの可哀そうな剣持の長男でなく、ただの右京になりたかった。
誰の後ろ指も指されず平和に、普通に生きたかった。
憐みも同情ももう、欲しくはなかった。
それから逃れるには、留学という選択肢しか残っていない気がした。
まぁ、それだけではないんだけど。

「色んな人に手を借りて、ここまで逃げ果せた。けど、まだ…後をついて回るんですよね」
「そうか…どこに、行く予定なんだ?」
「フランスに」

へぇ、と彼は少し驚いているようだった。

「意外ですか?」
「まぁな。何を学ぶんだ?」
「最終的には製菓を。ひとまずは、言語学校に行く予定ですけどね」

お前らしくていいと思うよ、と彼は微笑んだ。

「お前の作るデザート、人気だしな」
「ありがたいです」
「そうか。うん。いいんじゃないか。俺は応援するよ。何かあれば頼ってくれ」

ありがとうございます、と答えて解きかけだった問題に視線を落とす。

「向こうに行くまでは、お世話になります」
「行ってからも。困ったことがありゃいつでも言え。俺は、お前の親のようにお前を捨てないよ」
「…はい、」

子供は親を選べない。
だから、選ぶしかない。
親を、家族を捨てるという選択肢を、全てを捨ててでも選ぶしか。





北さんは右京さんと上手くいかなかったらしい。
あの日電話をしてから戻ってきた北さんは今まで見たことないくらい、落ち込んでいた。
聞き耳を立てていたけど、留学のことはすんなり認めたらしい。
だが、お金の心配をすれば「大丈夫だ」の一点張りで、それ以上踏み込ませてはくれなかったそうだ。

先生に対しても自分でなんとかします、と突っぱねていたし。
職員室で話す姿的に親にも頼れないような言い方だった。
弟である左京があれだけ悠々とバレーをしているのに、その違いはなんなんだろうか。
その疑問をぶつける相手がいなかった。

そんなことを考えながら過ごしたからかGWが終わり学校が始まると、自然と自分の目は彼を探していた。
彼のことはすぐに見つけられた。
彼はいつも周りに人がいて、朗らかに穏やかに笑っていた。

「あ、の…」
「ん?あぁ…バレー部の」
「宮治です」

治君ね、と彼は微笑んだ。

「よく会うね」
「あ、そうっすね…」

どうしたの?と彼は首を傾げた。
その優しい眼差しに何故か居た堪れなくなって目を伏せる。
見えた彼の抱えているプリントは何かの課題なのだろうか。
数学の問題が所せましと並んでいた。

「俺、アホやから…」
「うん?」
「不快にさせてしまったら、すんません」

目を瞬かせた彼はすぐにいいよって言ってまた笑った。

「どうして、右京さんは自分でお金稼いでここまで来たんですか?…左京はあんな、自由に金のことなんか気にせんでやってるのに…」
「治君って植物って育てたことある?」
「え?」

急に変わった話に何も言葉が返せずにいれば彼は「例え話をしようか」と呟いた。

「世話をすれば必ず美味しい実がなる植物と育てても何がなるかもわからない。まず実がなるかもわからない植物。どっちを育てたい?」
「え、と…美味しい実がなる…植物…?」
「そういうこと」

彼はすっと伸ばしていた姿勢を崩して、窓枠に凭れ掛かる。
その姿を見た瞬間、彼がとてもやつれているように見えた。

「左京は金をかけて育てれば、金になる。けど俺は金をかけたって何になるかもわからない。だから、親は俺に金はかけない。わざわざ危ない橋を渡る必要もないだろ」
「こ、子供は植物ちゃうやん…」
「普通はね」

彼は困った顔して笑う。
よく見れば目の下にはくっきりとクマがある。
制服から覗く腕だって、細くないか?
背筋を伸ばしていると凛としている印象しか抱かないのに、よく見れば今にも壊れてしまいそうに見える。

「普通じゃない家族も、いるんだよ」
「左京から、そんなの…聞いたこと、」
「そりゃないでしょう。気づいてないんだもん」

北さん達はこれを知っているのか。
だから、あんなに彼を心配していたんだ。

「隠しは、しないんすね…」
「え、俺が隠す必要ある?もう家族じゃないのに」
「え、」

最初に聞いてたよね、と彼は言った。
落とした視線を手元のプリントに向けて、たぶん意味もなく紙を捲る。

「どうして稲荷崎に、って。中学卒業のタイミングで、追い出されたからだよ。もう二度と、俺は剣持の家の敷居は跨がない」
「っ!!!」
「驚いた?」

彼は穏やかに笑う。
何、笑ってんねん。
笑うとこなんか、どこにもないやん。

「残ったのは剣持って苗字と戸籍くらいじゃない?2年前に俺と家族は破綻してる。本当は九州とかまで離れるつもりだったんだけど。稲荷崎って特待生制度が他の学校より充実しててね」

なんて返せばいいかわからない。
声が出なくなるのなんて、初めてだ。
彼は「忘れちゃっていいよ」と俺の頭を撫でた。

「北さん、たちは…」
「知ってるよ。だからあんな過保護なの」

ありがたいけどね、と彼は姿勢を正して「治君」と俺を呼んだ。

「左京には内緒ね」
「…知らないんですか」
「多分ね。あいつの親が言うとは思えないから」

貴方の親でもあるのに。
まるで、他人のように言うんだな。

「まぁ、そういうことだから。俺のことは気にしなくていいよ。剣持左京と血は繋がってるけど、正式にはもう左京の兄じゃないから。俺はただの剣持右京。稲荷崎の副会長で、信介たちのお友達で、子供が大好きなただの人」

普通、そんな風に割り切れるのか。
親に捨てられたんやろ?
家族を失ったんやろ?
なんで、笑ってんねんこの人。
ちゃうわ。多分、何も感じないくらいに…寧ろせいせいするくらいに思ってしまうようなことをされてきたんや。

「もう大丈夫そう?聞きたいことは」
「あ、はい。すんません…」
「いいよ、バレー部の子にはよく聞かれるから」

じゃあね、と歩き出した彼の手を思わず掴んでしまった。
驚いた顔をした彼に、また言葉が出てこなくなった。

「どうした?怒ってないし、信介にも別に言わないけど」
「あ、ちゃいます。そういうんやなくて…」

自分はこんなに喋れなかったっけ。
そう思いながら、優しい彼の目を見つめ返す。

「もっと、右京さんのこと知りたいって言うたら…迷惑ですか」
「俺に近づいても、治君が得るものなんてないと思うよ?……なんて、ちょっと意地悪だった?」

彼は俺で良ければいつでも、と俺の方を向きなおしまた頭を撫でた。
自分より背の低い人に頭を撫でられるくすぐったさを感じながら、こくりと頷けば彼はじゃあまたねと背を向けた。

怒られなくてよかった、て気持ちとなんだか消化できないもやもやが燻る。

「なに廊下に突っ立ってんねん」
「ツム…」

だって、俺のおかんとおとんがツムだけを愛して俺が捨てられるってことやろ?
お金の支援もなく、きっと食事だってままならず。
帰る家を奪われたってことやろ。
きっと、俺なら笑えない。あんな風に他人に優しくなんてできない。

「サム?」
「なんでもない。腹減っただけや」
「…いや、いつもやん」

×End

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