心臓を染めろ2



彼がここへ訪れて1ヶ月弱。
未だに口を開くことはない。
与えた本を読み食事をし 時折ウロウロと部屋の中を歩き回る。

「外へ行きましょうか」

彼はこちらを見て、読んでいた本を閉じる。
言葉は一方的にだが、通じているのは間違いないのに。
なぜ喋らないのかわからない。
さぁ行きますよ、と手を差し出してみたが 彼はその手を取ることはなかった。
警戒心は薄れては来たが、消えはしないってことだろう。

「離れてはいけませんよ。ここは危ないんです」

彼は私の言葉の通り、隣を歩く。
外に通じるドアを開けば風が吹き込んだ。
髪を揺らした風を、目を細めて彼は受け止める。

「…ここはツイステッドワンダーランドの魔法士を育成するナイトイレブンカレッジという学校です」
「魔法って何」

いつものように返事はないと思っていた。
だが、彼はこちらをじっと見つめ口を開いた。

「アンタがくれる本には 魔法って言葉が沢山出てきた。それは、何?」

拙い英語だった。
だが、綺麗な発音をする。
生活する姿を見てて思っていた あのボロ雑巾のような姿とはかけ離れた所作。
本当はいいとこの育ちなのだろうか。

「魔法は魔法です。火や水、木を操ったり 姿を変えたり。使い方は様々ですね」
「それは、生まれもったもの?」
「え?」

予想外の質問だった。

「そうですねぇ〜…魔力を持たない人もいますし、魔力の強い弱いもあります。けど、弱くとも 訓練や勉強でどうにかなりますし…初めから持たない人も…方法は少ないですが、手に入れる方法はゼロではないですね」
「ふぅん…」

彼の目がすっと細められた。
その目は子供がするにはあまりにも、絶望を知りすぎている気がした。

「…魔法について知りたいなら教えてあげますよ。私、優しいので」

彼は教えてほしい、と呟いて 歩き出す。

「代わりに、貴方の名前を教えてくれませんかね?」
「……無個性の出来損ないの失敗作」

彼は緩く首を傾げ、微笑んだ。
その表情に息が詰まった。

「そ、れは……」
「俺の親は、そう呼んでた」

親は、いたのだな。
だが無個性、出来損ない、失敗作…?
子供に投げるにはあまりにも残酷な言葉。
もしや、彼は親に捨てられたのではないか?

「グルナ」
「え?」
「それが今日から貴方の名前です」

グルナ、と噛み砕くように何度か呟いて ありがとうと笑った。

「人から与えられたのは、初めてだ」

吹き抜けた風が腕のない右袖を揺らした。





何故、口を開いたのか。
それは1ヶ月過ごしてみて このクロウリーという男が俺に悪意や敵意を向けなかったからだ。
正直信頼しきれたわけではないが、それでも今まで出会ってきた人に比べればマシな気がした。

「へぇ、随分と見れる姿になったな」

魔法を学びたい、と言った俺の前に現れた白黒のもふもふしたコートを着た男の人。

「クルーウェルだ。名前は言えるか?仔犬」
「……グルナ。俺は犬じゃないけど」

クルーウェル、クロウリー、そして与えられたグルナという名前。
やはり、ここは日本ではないらしい。
それだけじゃない。
個性、という言葉が持つ意味がここでは違っていた。

個性はなく、魔法がある世界。
やはり1度死んでいたのだろうか。
それとも、俺が知らないだけで外の世界はこうなのか?

「今日から魔法を教えてやる。感謝しろよ」
「………どうも」
「……可愛げがないな」

ぞわり、と背筋に冷たいものが触れた気がした。
アイツらもよく可愛げがないと、俺を殴っていた。
目を瞑り、痛みを待つ。
だがいつまで経っても痛みは襲ってこなくて、顔を上げたら彼は顔を顰めていた。

「……あの、」
「始めるぞ」

勉強することは嫌いではないな、と思った。
出来損ないの無個性が唯一出来たことは、これだけだった。
魔法は自分の理解の外側にあるものだが、結局個性とて理解の外側にあった。
個性よりも理論があるだけ、マシな気もする。
ただ、問題があるとすれば与えられる教材が全て英語であることだ。
英語を習ったと言えど、レベルはたかが知れてる。
教科書を読むだけで、一苦労だった。

「……疲れた」

理論と実技、実験その他諸々。
クルーウェルとトレイン、バルガスに教えこまれた。
クロウリーは時々見に来て、すぐに帰っていくだけ。
まぁ、別に 教えてくれるなら誰でも良い。

歴史や現代社会について学ぶ中で知った。
この世界に日本はない。
歴史上にも、日本という言葉も個性も 出てこなかった。

「……ここはどこなんだろうな」

わからないけど。
帰りたいわけではなかった。
この世界は、思いの外気に入っている。
あの両親にやり返すことができないことだけが、唯一の心残りだけど。

「授業を始める」

開いたドア。
相変わらず猫を抱えたトレインが分厚い教科書を机に置いた。

「まずは、前回の復習からー」





「あ、やべ」

気付いた時にはもう遅く、凄まじい爆発音が部屋の中に響き渡る。

「また!ですか!?!!!」
「げ。来んの早くねクロウリー」
「いつもより飛ばして来ましたから…って、違ーう!!!何回、この部屋を吹き飛ばせば気が済むんですか!?!!」

そして、あれから数年が過ぎた。
魔法にも慣れ、クルーウェル達から学ぶ時間も減った。
その代わり自分で魔法の練習や開発をする時間が増えた。
それに伴い、与えられた実験室だったが 時々吹き飛ばして 怒られる。

「直すからいいだろ。うるさいな」
「貴方は!!年々可愛げが無くなりますね!?」
「…最初からなかったろ、んなもん」

ペンを一振りすれば部屋は元通り。
作った魔法式にペンを入れる。

「で。今度は何を作ろうとしているんです?少しアドバイスして差し上げますよ。私、優しいので」
「これ以上吹き飛ばされたくないだけだろ。まぁ、いいや。生き物を作りたい」
「は、?」

ん、と指差した先にある鮫のぬいぐるみ。

「ひとまず、あれに魂の定着をさせたい」
「あな、貴方は……またなんてことを…」
「何が?」

何か言いたげな彼に首を傾げるが なんでもありませんと溜息をつかれた。

「なんで貴方はそっち方面の魔法ばかりやろうとするんです…?」
「誰も教えてくれないから」
「…私も教えませんよ」

ならいいや、と視線を魔法式に落とした。

「教科書に載ってることは、その通りにやりゃ誰にでも出来んだろ」
「…そうとも限りませんがね」
「そうか?」

出来ない理由がわからない、と言えば彼はやれやれと言いたげに首を振る。
若干イラついたが気にしたら負けだ。
この人は今も昔もこれなのだから。

「あぁ、そうでした。来年から、貴方もNRCに通っていただきます」
「は?」
「もう手続きは済ませてありますよ。私、優しいので」

頼んでない、と呟くが彼はにっこりと笑うだけ。
彼が優しいので、と言う時はろくな事がないと ここ数年で学んだ。
優しさってなんだ、と辞書で引いたこともある。

「…通ってなんになる」
「貴方は元々その為にここへ来てるんです。予定より早すぎましたけど」
「今更、必要ねぇだろ」

俺の言葉はガン無視して、入学したらこの部屋も使えなくなりますので悪しからず、と彼は言った。

「は?それは困る」
「皆、寮に入る決まりですので」

なんと言われても知りません!と彼は部屋を出て行った。

「…めんどくさい」

クロウリーは言っていた。
俺は、黒い馬車に連れられてここへ来たと。
本来であれば入学する生徒を迎えに行く馬車だと。
どうして幼い俺がその馬車に拾われたのかは未だにわからない。
だが、クロウリーはその時まで面倒は見ますよと前々から話していた。

「寮生活…なんて、考えただけでも吐き気がする」

まぁ抗議した所で変わることはないんだろうけど。
とりあえず、こうやって自由に部屋を与えられているうちにやりたいことは全て終わらせてしまおう。
自由な時間は、そこまで多くはないようだから。



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