Another story:死柄木弔



雨が降っていた。
雨音にかき消されてしまいそうなくらい小さな鳴き声。
濡れたダンボールの中には白なのか灰色なのかわからない色をした子猫がいた。
ダンボールの隙間から入った雨に濡れたのか、毛はぺたりと体に張り付き その子猫の細い体が浮き上がる。

「おいで、」

家で猫は飼えないが、ひとまず雨が止むまでは。
次の休みに動物病院に連れて行って、里親を探そう。
そう思って抱き上げた猫はみゃー、と小さく鳴いて 俺の腕の中で小さな体をより一層小さくさせた。

その姿に何故か思い出した。
もう十数年前の話。
この子猫のように白か灰色かわからない髪色の少年を拾ったことを。


いつもと変わらない朝だった。
制服に身を包んで、行きたくもない学校へ向かっていた時。
その少年は1人でそこにいた。
小学生かそこらの小さな男の子。
近くに親の姿はなく、俯いてとぼとぼと歩くその背中から視線が外せなくなった。
皆、その少年を見ては目を逸らす。
やっと大人が声をかけたかと思えば、逃げるように背を向けた。

「どうした、」

その少年はボロボロな手を自分の手で隠すようにしていた。
子供がするにはあまりにも絶望の映るその瞳が俺に向けられる。
まるで、自分を見ているような気がした。

「家族は?」

彼の前にしゃがみ声をかける。
彼は首を横に振った。

通り過ぎていく大人たちの目がウザい。

                  「あの制服って、雄英の…?」
「流石、ヒーロー目指してるだけあるな」
          「子供に何ができるんだよ…」
「一丁前にヒーロー気取りかよ」

聞こえる声が、耳障りだった。
雄英だからヒーローってか?ヒーローは助けてなんかくれねぇのに。
子供に何ができるっていうなら、大人が手を差し伸べろよ。
お前らはいつだってそうだ。
都合の悪いことには蓋をして、自分たちを正当化する。

「1人なら、俺と来るか?」

少年の目が揺れた。

「大丈夫だよ。裕福な暮らしはさせてやれねぇけど。お前がいいなら、おいで」

差し出した手。
少年はその手に触れようとして、自分の傷ついた手を見て その手を引いた。
隠すようにその手を胸に隠したその子を抱き上げる。

「…ぇ、」
「いーよ、嫌なことはしなくていい」

胸に抱いた少年の温もりを感じながら、その背中をぽんぽんと撫でてやる。

「世の中、嫌なことばっかだから。お前が嫌なことは、進んでやらなくていい。やりたいことだけ やればいい」
「……うん」
「けど、俺と手繋ぎたくなったら 言ってな。俺は、お前と手繋いでみたいから」

その子はこくりと頷いた。
学校のある方へ背を向けて、今来た道を戻る。

「名前は?」
「……わかんない」
「そっか。俺、雨月っつーの。言えるか?」

雨月、と少したどたどしく彼は俺の名前を呟く。

「うん、よく出来ました。けど、名前がないのは不便だから…俺が名前付けてもいいか?」

彼はこくりと頷いた。

「じゃあ、どうしようかな。……紬ってのはどうだ?」
「紬?」
「そう。…俺が、この世で1番愛した人の名前なんだ」

お前にあげる、って言えば いいの?と自分を見上げた瞳。

「いいよ」
「…ありがとう、雨月兄ちゃん」
「どういたしまして、紬」

家、と言ってもワンルームのアパートだ。
ドアを開いて紬と名付けた少年を下ろす。

「ここが俺の家。狭くてごめんな」
「ううん」
「帰ってきたらなんて言うかわかるか?」

彼の前にしゃがみ尋ねれば「ただいま…?」と首を傾げた。

「おかえり。よく出来ました。…さ、とりあえず風呂にでも入ろう。洋服の換えがないからとりあえず乾くまで俺の服かな」

その後ご飯でも食べようか、と言って ついておいでと彼の前を歩く。
服を脱がせて洗濯機に放り込み、電源を入れる。

体に怪我とかはないか。
虐待とか疑ってたけど、そうではないらしい。
じゃあただ捨てられただけ?
手を繋ぐのを拒んだ所を見ると、何かしらの原因はそこにあるのかもしれない。

「はい、座って。髪の毛濡らすな」

髪も不思議な色だ。
まるで、色が抜けたみたいだ。

「熱くないか?」
「…だいじょうぶ」
「よし。じゃ、シャンプーするから目 閉じてろよ」

まぁ考えたところでわからないか。
彼も覚えていないなら、思い出さない方が良い。
この子に行く場所がないなら、ここにいればいい。
ちょうどいいから、学校も辞めてしまおう。
そして、働きながら彼を育ててあげよう。

「ねぇ、雨月兄ちゃん」
「うん?」
「どうして、たすけてくれたの」

シャワーの音に掻き消されてしまいそうな程小さな声だった。

「…俺もひとりぼっちだからだよ」
「雨月兄ちゃんも?」
「そう。だから、一緒にいてほしくて。攫ってきちゃった」

ここにいていいの、と彼は言った。

「いいよ。紬がいたい限り、いつまでだって ここにいればいい」
「……うん、」





「紬、」
「なんだ?」

集会が終わって部屋に戻った。
ふと思い出した懐かしい名前を呟けば 不思議そうにスピナーが首を傾げた。

「…昔、俺のことをそう呼んだ人がいたんだよ」
「は?」

家族を殺し、逃げ出した俺を助けてくれた人。
名前は、雨月。
今思えば 初めて会った時、雄英の制服を着ていた。
だが、学校に行く姿は1度も見た事はなかった。

「あだ名?名前に掠ってもねぇけど」
「…その人の、愛した人の名前らしい」
「なんだそりゃ」

あの人は今、何をしているんだろうか。
共に過ごしたのはあまり長い時間ではなかった。
それでも、彼の優しさを覚えている。
皆が見て見ぬふりをする中、俺を見つけてくれた。
抱き締めてくれた。
ここにいていい、と居場所をくれた。
思えば、1番 平穏な日々だったかもしれない。
体の内から湧き出る痒みも、彼が触れると消えた。
痒くないよ、大丈夫。
そう言って頭を撫でてくれる彼の手が好きだった。

「で?その人がどうしたって?急に」
「……ずっと忘れてたんだ。けど、会いたくなった」

その平穏を、彼の与えてくれた居場所を捨てて逃げたのは俺だった。

「人探しって誰に頼むのが正解だ?」
「…情報屋?」
「じゃあ義爛にでも頼んでみるか…」

彼が買ってくれたぬいぐるみ。
それを抱きしめて、彼に抱きしめられていつも眠っていた。
1度眠れば、朝になるまで 彼の優しい声が起こしてくれるまで目覚めなかったのに。
あの日は何故か、夜更けに目が覚めた。
そして 抱き締めていたぬいぐるみが崩壊していくのを、見た。
自分の両手が、確かに…壊した。
それで怖くなった。
彼を壊してしまうのでないか。
彼に嫌われてしまうのではないか。
そんな恐怖にパニクって、あの家を飛び出した。
そして、気づけば先生に拾われていた。

先生に拾われる前のことをずっと忘れていたから、雨月兄ちゃんと呼んだ彼のこともすっかり忘れていた。
逃げ出した俺を、彼は探してくれただろうか。
それとも いなくなって清々したのだろうか。
何故俺に、紬という名前を与えてくれたのか。
今更になって、聞きたいことが沢山あった。
あの人は、今の俺を見て 一体…なんと言うのだろうか。

「人探し?」

話をすれば義爛は情報が少なすぎるぜ、と呟いた。

「十数年前 恐らく雄英の学生だった 雨月って名前の男の人。なんて、ぶっちゃけ何人もいるだろうよ」
「…確かに、そうかもな」
「せめてフルネームわかれば……あぁ、そうだ。そいつの顔は覚えてんのか?」

義爛の言葉に朧げにならと言えば運が良ければ見つかるかもな、と彼はタブレットを取り出した。

「どうやって?」
「雄英体育祭。…ヒーロー科だったなら恐らく見つかるだろ」
「ヒーロー科…」

あの人は、ヒーロー科だったのだろうか。
けど、行動や立ち振る舞いはヒーローらしいと言われりゃそんな気もする。

「昔の体育祭の映像まとめてるサイトがある。十数年前ってんなら、だいたいこの辺りから見りゃいいんじゃねぇか?…フルネームと顔さえわかりゃ、そこからは何とかしてやれる」
「…分かった、助かるよ。義爛」





鍵が開く音がした。
鍋の火を止めて、玄関に顔を出せば雨に濡れた親友の姿があった。
俺を見て僅かに眉を寄せた雨月が「雷」と俺の名を呟く。

「よぉ、おかえり。雨月」

呆れたように彼は溜息をついた。

「悪ぃ、邪魔してる」
「事前に連絡しろって、何回も言ってんだろ」
「そう怒るなって。夕飯準備してあるから」

美味い焼酎も買ってきた、と言おうとしたがみゃー、と小さな声が聞こえ口を閉ざす。
腕の中に視線を落とした雨月を見て、まさかと思った。

「…また拾って来たのか?」
「雨…降ってたからな。悪い」
「いや、いいけど」

お前の家だし、とは態々言わなくていいか。
彼が犬猫を拾ってくるのは別に珍しい話じゃない。
拾っては病院に連れていき、里親を探す。
俺としちゃ1匹くらい飼ってくれた方が安心するんだが。
いつ死ぬともわからないのだ、彼は。
だからこそ、事前に連絡せずに彼の元へ来ていることを 雨月はきっと知らないだろう。

「とりあえず風呂行くか?猫のゲージ出しといてやるよ」

助かる、と一言呟いて子猫と共に風呂場へ向かう。

「着替えとかタオル持ってくからお前もそのまま入れよ。体の結構濡れてんだろ」
「…優しすぎると気持ち悪い」
「怒るぞ、おい」

冗談だ、助かると彼は笑って風呂場のドアを閉めた。

「とりあえず着替え…」

言ノ葉雨月は俺の中では昔も今も変わらない。
とても、不安定な奴だ。
強すぎる個性、そしてそれによって奪ってしまった母親の命と壊れた家族。
死んだ同級生とヒーローになれなかったその友人。
彼を不安定たらしめるものを挙げ出せばキリがない。

「着替え、置いとくぞ」
「ありがとう」

シャワーの音の中、みゃーという鳴き声と彼の笑い声が聞こえる。

彼自身も自覚はないんだろう。
彼は大切なものを作らない。
言ノ葉先生としては、大切な人…生徒がいるだろうけど。
言ノ葉雨月としては、彼は人と繋がりを持たない。

ゲージを組み立て、寝床とトイレを作り棚の中にしまわれた猫用のミルクを手に取る。
成猫用の缶や犬の餌まで用意された棚は、さながらシェルターのようだ。
傷付いたものを一時的に預かり入れ、送り出す。
そして、いつでも帰れる場所にしてあげる。
生徒にも、同じように振舞っているんだろう。

「…ま、これでいけるか。小さかったし」
「雷、悪い。猫受け取ってくれ」
「はいはい」

濡れた体をぷるぷるとさせる子猫をタオルで包み受け取る。
風呂に戻っていく彼を見送り、白とも灰色ともとれる色の毛をタオルで撫でた。

「…お前じゃ、ダメかなぁ」


風呂から上がった雨月はゲージの中で眠る子猫を見て表情を緩める。

「ミルク滅茶苦茶飲んだかと思えば、コロッと寝た」
「…子猫なんてそんなもんだな」
「名前は?付けねぇの?」

拾ったもんにはもう付けない、と彼は少し寂しそうに笑い椅子に座った。

「もうって…付けたことあったのか?」
「1度だけな」

肉じゃがと魚、白米というThe 和食って感じの夕飯を並べればこんなに作らなくていいのにと彼は呟く。

「日本食と焼酎が欲しくなっただけだ」
「…まぁ、アメリカじゃ滅多に食えないか」
「そういうこった。付き合えよ、」

明日仕事だから程々にな、とグラスに注がれる焼酎を見ながら彼は困ったように笑う。

「で?その1回っていつの話だ」
「…高校の時。あったろ、俺が1週間くらい学校行かなかった時期」
「…あの体育祭の後あたりの?」

そう、と彼は頷き 「お前の料理は相変わらず美味いな」と肉じゃがを口に運ぶ。

「拾った子に、名前を付けた。……けど、気づいたらいなくなってた」
「猫?犬?…脱走したのか?」
「人間の、子供」

酒を吹きかけた。
そんなん、聞いてない。

「ゆ、誘拐…?」
「いや。朝っぱらに彷徨ってたんだよ。人通りの多い場所なのに、誰も彼も見て見ぬふりをしてて……俺が、家に連れて帰った」
「なぁにしてんだ、お前は…」

犬猫のレベルじゃなかった。
いや、確かにあの体育祭の後彼は無断で学校に来なくなったし。
戻ってきたと思えば、体育祭以前よりも心を閉ざしていた。

「記憶がなかった子、だったから。記憶が戻って家に帰れていればいいんだけどな」
「……そうだな、」
「案外、失うと心に穴が空くものなんだとその時知った。…だから、それ以来名前は付けてない」

その穴は未だに埋まっていないのだろうか。
いや、母親を失った穴も家族を失った穴も。
彼は何一つ、埋められちゃいないんだろうな。

「…お前、そろそろ結婚とかしたらどうだ?」
「なんだよ、急に」
「お前が心配なだけだ」

お前も早く結婚しろよ、と彼は言って 笑った。
俺を現実に縛り付けるものは、俺の帰る場所は昔から変わらず彼の元だ。
だが、彼を現実に縛る鎖も 彼の帰る場所もないんだよなぁ。
俺ではダメだから、だから、犬でも猫でもなんでもよかった。
彼が帰ろうと思える物が、欲しかった。
けどこの感じじゃ難しいだろうなぁ…。

「その子、なんて名前付けたんだ?」
「紬。………俺の母親の名前」
「……そーか。大切に、してやりたかったんだな」

その子しか、きっとダメなんだろうな。
言ノ葉先生ではなく、彼が言ノ葉雨月として出会い、大切にしようとしたその子じゃなくちゃ。
きっと、ダメなんだろうな。

「……いつかまた、会えたらいいな。その、紬って子に」
「そうだな」





「見つけた、」

体育祭の映像の中、彼を見つけた。

「この人が?」
「あぁ、間違いない」

表彰台の上。
この世の全てを恨むような目をした彼がいた。
俺に向けた優しさとはかけ離れてる。
けれど、間違いない。

「言ノ葉、雨月……」
「情報は揃った。俺に任せな。必ず、探してやるよ」
「頼んだぞ、義爛」

画面の中の彼に手を伸ばす。

「…待ってて、雨月兄ちゃん…」


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