普通科先生と爆豪勝己(閑話)


仮免試験に落ちて、初めて自ら頼った人。
それが言ノ葉先生だった。
強い個性を持ち、強い意志を持ち、それでも優しい人だった。

自分がもたらしたオールマイトの悲劇と落第という挫折、先に進むデクの存在。
俺の不屈の心も、折れてしまいそうになる程のことだった。

「先生、」

朝早く。
まだ先生しかいない時間。
気付けば俺の足は普通科の職員室に向かっていた。
朝から崩れない笑顔を俺に向けて、彼は「何かあった?」と俺の顔を覗き込む。

「別に…」
「そっか、」

夢に見た。
あの日のことを。
皆が後ろ指を刺して言った。
「お前のせいだ」と。
オールマイトさえも。
その夢が数日続いた。
寝ても飛び起きて、寝付けなくなる。

「…準備室開けるからついておいで」

優しい声だった。
何も聞かず彼は歩き出す。
その後ろを俺は俯いたまま追いかけた。

ただの夢だとわかってる。
誰も俺を責めていないってわかっている。
それでも、あまりにもリアリティがあるのだ。
オールマイトが俺を責め、デクの手を取るその光景が。

「どうぞ、」

灯りがついた部屋。
沢山の本が並ぶその部屋に入るのは2回目だった。

「コーヒーは?」
「……いい、」
「そっか」

先生は俺をソファに座らせて、ケトルに水を注ぎ電源を入れた。
マグカップに何かの粉を入れる後ろ姿を見ながら、言葉を探す。
着いてきてしまった。
また、彼の所に来てしまった。
彼の生徒でもないのに。

「コーヒーよりこっちの方が良さそう。インスタントでごめんね」

目の前に置かれたマグカップ。
キャラメル色のそれは少し甘い香りがする。

「カフェラテ、飲める?」
「……飲めます」
「良かった」

それに手を伸ばせば手のひらに熱が伝わる。
先生は向かい側にマグカップを置いて、棚の前に移動した。
何をしてるのか背中を視線で追いかければ彼は振り返る。
交わった視線に何故かいたたまれなくて、目を伏せる。

「爆豪くん」
「……すんません」
「何の謝罪?」

俺の傍らにしゃがんで、先生は俺の膝にブランケットを掛けた。

「辛くなったらいつでも来ていいんだよ」
「なんで、」
「母親を殺した俺と同じ顔してる」

彼の手が頭を撫で、柔らかく微笑む。

「眠れない?それとも、夢見が悪い?」
「夢見が、悪い…」
「そっか、」

隈になっちゃってるね、と彼の指が目の下をなぞる。
まだクラスメイトには気付かれてはいないのに、たった数分共にいただけで彼は気付いてしまう。

「結構前から?」
「1週間…くらい、」
「そっか。辛かったね」

その言葉だけで、目の奥がつんとする。

「少しだけ、眠ろうか」
「……眠くない」
「大丈夫だよ」

少しだけ飲んで、とマグカップが差し出されて 言われた通りに口を付ける。
普段自分では選ばない甘さが口に広がったけど、嫌な気はしなかった。
その間も先生の手は頭を撫でていた。

「美味しい?」
「…甘い」
「たまにはいいんだよ、こういうのも」

先生は俺の目を、頭を撫でていた手で隠す。

「目閉じて」
「ん、」
「少しだけ"おやすみ"」

不思議だった。
彼の言葉が聞こえただけで、ゆっくりと睡魔に引き込まれていく。

「大丈夫だよ。嫌な夢は見ない」


肩を揺すられた。
ゆっくり目を開けば先生が俺の顔を覗き込む。

「おはよう、そろそろ授業だけどどうする?」

壁にかかった時計は確かに始業の10分前だった。
1時間くらい眠っていただけなのに、心無しか体が軽い気がした。

「授業、行く」
「少し休めた?」
「…ありがとう、先生」

どういたしまして、と彼は微笑む。

「放課後またおいで」
「でも、迷惑じゃ」
「大丈夫だよ。辛い時は頼れる人を、頼っていい。1人で戦う必要も抱え込む必要もないんだよ」

そんな彼の言葉に、甘えた。
何度も何度も彼の元に逃げる俺を彼は1度として嫌な顔もせず迎え入れてくれた。





言ノ葉先生に世話になり出してからどれくらい経ったか。
彼に頼ることにも慣れて、彼の元へ行くことも前より増えた。
嫌な夢を見ることは減ったが、何となく彼の元へ行くようになった。
彼はそんな俺を嫌な顔せずいつも受け入れた。

手のひらに収まる小さなそれ。
俺の心を折った原因のひとつは持ってしまえば呆気ない。
おめでとう、とオールマイトが言う。
だがそんな言葉よりも 彼の言葉が欲しいと思った。
別にオールマイトが嫌な訳じゃないけど、嬉しいとは思うけれど。
それ以上にあの人に褒めて欲しいと思った。

車を降りて駆け出す。
驚く轟とオールマイトを無視して、彼がいるであろう準備室に向かった。
週末はそこで仕事をしてることが多いのは知っていたから。
灯りがついた部屋の扉を忙しなくノックして、返事も聞かず戸を開く。
少し驚いた顔をした彼は俺だと気づくとすぐに微笑んだ。

「おかえり、爆豪くん」
「受かった!!」

握りしめていたそれを先生に見せれば彼は「おめでとう」と笑った。

「受かると思ってた」

彼はそう言った。
この人は俺を知らない。
ヒーローとしての、俺を知らない。
けれど彼の言葉は絶対だと思う自分がいる。

「当然だろ」
「学校の授業との両立大変だったね」
「楽勝だわ」

先生は笑っていた。
馬鹿にして訳では無いのだろう、その笑い声は心地いい。

「わざわざ見せに来てくれたんだ」
「世話になったから」
「俺は何もしてないよ。それが、爆豪くんの強さだ」

先生の手が俺の頭を撫でた。
何度も俺を救ってくれたその手を、初めて俺は掴んだ。
きょとりとした先生を見つめ、小さく息を吐く。

「……俺を助けてくれた、先生の為に。って思ってた」
「え?」
「俺はまだ、誰かのためにとか そんな考えらんねぇこともあんだけど。デクみてぇにもなれねぇけど。なりたくねぇし。けど、俺を信じてくれた先生の為に、先生が信じてくれた俺の為に、手段は選ばねぇって決めた。それが、誰かと力を合わせるってことでも」

1人で、全てを圧倒する強さが欲しい。
けれどその思いの為に負けるのは許せない。
そうなれるまで、負けないために 人の力を借りねばならないなら 仕方ない。
全てを圧倒する 勝利のために。

「素敵な育ち方するね、君は」

彼の手が俺の手を解き、手を繋がれた。

「沢山努力してきた手だ」

人は、俺の掌を怖がる。
それなのに、掌を重ねて 恋人繋ぎみたいに彼の指は手の甲に触れる。
伝わる熱に、心臓がうるさい。

「怖く、ねぇんか…先生」
「どうして?」
「どうしてって、」

彼の個性は強い。
だとしても、今は俺の個性を消してはいないはずだ。

「俺は、君の優しさを知ってるよ」
「っ、」
「だから大丈夫」





彼は俺の過去を、俺の罪を思い出させる少年だった。
あの同級生と同じく強い個性を持ち、あの同級生と同じく傍若無人に振る舞い、あの同級生同じく人を傷付ける言葉を吐いた。

その少年を初めて知ったのは体育祭の時だった。
俺にとって何年経っても忌々しい行事。
選手宣誓の言葉に、どこか自分が重なる。
俺のように悪意はあるのだろうか。
少年に向けられる敵意を、少年はどう受け止めたのだろうか。

そんなことを考えていた。
俺のように、罪を犯すんじゃないか。
彼のように、命を侵すんじゃないか。
そんな不安を抱いた。

少年に初めて声をかけた時、少年は 彼を 思い出させた。
少年が初めて俺の元へ来た時、少年は 俺を 思い出させた。
だから、どうしても 放ってはおけなかった。

繋いだ手から伝わる熱。
真っ直ぐ見つめたその少年は 視線を彷徨わせ、微かに頬を染める。

俺の代わりに、彼の代わりに なんて迷惑だろう。
だから言葉にして伝えるつもりなんて欠片もない。
だけど、俺の代わり、彼の代わりに どうか。
どうか、

「君は、"立派な大人になって"ね」

母を殺し、家族を壊した俺にはなれなかったから。
夢路半ばで亡くなってしまった彼にはなれなかったから。
どうか君は、君だけは。
俺たちの分も立派な大人に、ヒーローになってほしい。

「言われんでも、」
「うん」

繋いだのと反対の手を、彼の頬に伸ばす。

「爆豪くんがヒーローになったとしたら、俺は爆豪くんのようなヒーローに救われたいな」
「ような、じゃなくて。先生になんかあったら俺が救う」

俺は彼に言ったことがある。
お前がヒーローになったとしても、俺はお前のようなヒーローに救われたくはない。と。
全く真逆の言葉を、彼によく似た少年に告げる日が来るとはな。

「頼もしいなぁ、爆豪くんヒーロー


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