前編
付き合い始めたからと言って、大きく何か変わったかと言えばそうではなかった。相変わらずくらげちゃんは塩対応だし。
それでも時々、恋人の戯れのように手を繋いでくれる。
「……顔と言葉があってないですね」
カウンターに体を預ける俺を見て、ジェイドは困ったように笑った。
「嬉しいよ?嬉しいけどさぁ……もっと、一緒にいたいじゃん」
「おやおや…」
「やっと、俺のものになったのにさぁ」
足りないのだ、圧倒的に。
触れる時間や深さが。
「おはようございます」
「あぁ、おはようございます。クロヴィスさん」
「すいません、遅くなってしまって」
おはよぉ、と声をかければ 微笑みおはようございますと返ってくる。
イシダイ先生の所に用があるから遅れる、と話していた彼はそそくさと店の奥に入っていく。
「…未だにイシダイ先生とは仲良しだしさぁ」
「そうですねぇ…」
触れたいと、思うのは俺だけなのだろうか。
そういう事がしたいと、彼は思わないのか と考えて 思わないだろうなと1人完結する。
くらげちゃんが交尾するとか想像つかない。
俺はくらげちゃんと付き合いはじめてすぐに陸の交尾の仕方を調べたって言うのに。
「なんか元気ないですね、先輩」
着替えた彼は俺の頭を少し撫でて不思議そうに首を傾げる。
そういうことには気づいてくれるんだよなぁ、なんてちょっと嬉しく思いながら座ったまま彼に抱きつき お腹に頭を擦り付ける。
「なんでもなーい」
「そうですか?」
くらげちゃんの匂いを思いっきり吸い込んで、ぎゅうと腕に力を込める。
今日は甘えたい日ですか、なんて彼は笑って俺の頭を撫でた。
幸せだ。
満足してる。
けど、足りない。もっと、もっと!!
なんて。我儘だよなぁ…
「いつまでイチャついてるんですか。さっさと準備しなさい」
「アズールうるせぇ〜」
「そう言わないで、先輩。そうだ、夜ご飯一緒にどうですか?」
頭の上から落ちてきた予想外のお誘い。
顔を上げれば、目尻を下げていつもより甘く微笑む彼がいる。
「食べる!一緒に!」
「良かった。そしたら、また後で」
「うん」
落ちてた気分もこんなことで上がるんだから自分でも単純だと思う。
これが惚れた弱みってやつだろう、なんて思いながら 最後に思いっきり彼のお腹で深呼吸して離れれば ちゅ、と音をたてて彼は俺の額にキスをした。
「え、」
「今日予約多いんですって。キッチン頑張ってくださいね」
何事もない顔をして彼はドリンカーに入っていく。
スタンバイをしていた小魚と話しながら物の配置を見てる彼の横顔を見て、遅れて恥ずかしさがやってくる。
あぁ、本当にもう。
くらげちゃんはほんとにくらげちゃんだ。
ふわふわ、ゆらゆら人を惑わせて 綺麗だなって近付けば毒を刺す。
「フロイド、そろそろ準備を……て、真っ赤ですよ」
「うるさいうるさいうるさい」
「…貴方にそんな顔をさせられる彼は本当に…稀有ですね」
▽
「最近よく、フロイド・リーチといるな」
先生の手伝いで材料の仕分けをしていた時だった。
そんな事を突然問うた彼に手が止まる。
「…なんだ?」
「いえ。よく見てるなぁ、と」
「お前はよく見てないとコロッと死にそうだからな」
違いない、と笑えば頭を小突かれた。
「お付き合いしてるんで。まぁ、以前よりは一緒にいますよ」
「は?」
「はい?」
固まった先生は百面相したかと思えば、大きく息を吐いた。
「お前は、突飛だな」
「え?」
「あんなことをされたのに、付き合うのか」
そうですねぇ、と手にしていた乾燥した花をゆらゆらと揺らす。
「あんなことを、ってのは間違いないですけどね。それでも、俺が俺に向き合うきっかけをくれたのは間違いなく先輩なので」
先生にも感謝してますけど、と付け加えれば 彼の手が俺の頭を撫でた。
向けられる目は普段よりも一層、優しい。
「嫌なことをされたらちゃんと言うんだぞ。あいつは面と向かって言っても、理解しないことはしないぞ」
「わかってます。それでも、わかろうと…耳を傾けてはくれるんですよ。恋人の特権ですかね?」
「俺の前で惚気けるな」
彼の手はまた俺の頭を小突いた。
「まぁ、いい。上手くやれよ」
「はい」
「そうだ。別に、やることやるのは構わんが授業に支障をきたすなよ」
彼はこんなことまで言う必要あるか?と小さく呟きながら もう一度俺の頭を小突いた。
今日はよく小突かれる日だ。
「男同士とはいえ、避妊具はマナーだ。それで腹を壊したとか言って授業を休む馬鹿が毎年いるからな。お前ら、そうなるなよ」
「え?」
「なんだ?」
首を傾げた俺に彼は怪訝そうな目を向ける。
「避妊具もなにも。 なんでするんですか?」
「は?」
「え?」
空気が固まった。
沈黙、そして彼は「一応、どういう意味か聞いていいか」と呟いた。
「どうって…華は売り物ですよね」
「華?」
「あー、華って言いません?普通に言うと 性行為?ですかね」
あの街では華売りと呼ばれてる 所謂売春婦である彼女たちの売り物。
それが華という名の性行為だ。
性行為はそれ以上も以下もない。
そうでは、ないのか?
俺の言葉に彼は顔を歪め、間違っていると言う。
「いいか、bad boy。SEXは愛情表現の最上級だ。本来、売り物にするようなものじゃない。……お前の、その街は…特殊なんだよ」
「愛情表現…?」
「そうだ。手を繋いで、キスをしたその先に本来あるべきものだ。分かるか?」
確かに快楽を得られるから売り物にしてしまう不届き者がいる。
金に困り売ってしまう人がいる。
そこに行き着くまでの理由は様々だから、一概にも悪だとは言い切れないけれど、本当は大切にするべきものだと彼はまるで授業のように説き伏せた。
「…初めては特に、大切にするもんだ」
「もう残ってないや」
そう言って苦笑した俺を彼は悲しそうに見つめた。
「これからは大切にしろ。大切に、してやれ。いいか?付き合うってのは、そういうことだ。ちゃんと勉強して、傷つけてやるなよ」
「はい」
▽
マドラーで2層のドリンクを混ぜながら 少しホールが落ち着いているのかドリンカーに居座る先輩に視線を向ける。
「フロイド先輩って」
「なぁに?くらげちゃん」
「俺と華…じゃなくて、性行為したいって思うんですか?」
クルーウェル先生に言われてから一応色々と調べたが 根本としての疑問はそこだった。
だから尋ねて見たのだが、顔を真っ赤にさせ固まった先輩がはくはくと口を動かすだけ。
水面で餌を求める魚みたいで、ヘタが取れて使えなくなってしまったさくらんぼを彼の口に押し込んでみる。
「……美味しい。て、違う!!!」
「なんです?」
「なんです?じゃ、なくない!?!急にどうしたの…!?」
純粋な疑問で、と言えば彼は真っ赤な顔をカウンターに押し付けて、うーと小さく唸った。
「くらげちゃんのばーか」
「なんでですか」
「あほ。まぬけ」
低レベルな悪口を一通り言い切ると「したいに、決まってんじゃん」と聴き逃しそうなほど小さな声で言ったのだ。
見たことないほど真っ赤に染まった耳、カウンターに突っ伏したまま動かなくなった体。
それを見つめながら「そうなんだ」なんて どこか他人事のように思ってる自分がいた。
性行為は愛情表現。キスの先にあるべきもの。
俺にとってはまだその価値がわからないけど、フロイド先輩にとっては 真っ赤になってしまうほど大切なものなんだろう。
「しますか?」
「え、」
「今週末休みですよね?流石に寮はあれなんで…どっか外の…て、先輩?」
真っ赤な彼は潤んだ瞳を俺に向け、きゅっと唇を結ぶ。
「あ、の…?」
「くらげちゃんのばか…」
「え?」
ばーか!!と叫ぶように言って 彼は背中を向けた。
「あ、ちょ……?!うーん…怒らせた、のか…?」
離れていく背中を見送り、首を傾げるしかなかった。
2色の液体は、今日は上手く混ざらなくて マドラーを回す手を止めた。
「華が…愛情表現か、」
呟いた言葉はいらっしゃいませ、という声にかき消された。
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