中編
「それを何故、俺に言いに来た。仔犬」
牽制もかねてかなぁ、なんて笑えば 頭を叩かれた。
痛い。
普段くらげちゃんがいる実験室。
今日は俺とイシダイ先生だけ。
くらげちゃんはバイトの日だ。
「実際…イシダイ先生が1番、くらげちゃんのこと知ってるから」
「…恋人として、それでいいのか」
「仕方ねぇじゃん」
彼が俺を求めてくれたと最初は舞い上がった。
けど、多分 あの言い方は違う。
貴方がしたいなら、しますよ。
俺はどっちでもいいけれど。
そういう意味の言い回しだった。
「……価値観は、いた環境で育つ。あれは本来必要な関わりが欠落してる」
「知ってるよ、そんなん」
「……学校に通うのも初めて。幼い頃は年老いた爺さんと暮らしていた。…そんな奴が、まともな感覚を持ってると思うのか」
イシダイ先生の言葉に何も言い返せない。
何かを掻き混ぜる先生ははぁ、と大きく溜息を吐いた。
「お前、アイツの故郷に行ったんじゃなかったか」
「その近くの街には。派手な雌が沢山いた」
「花の街。花と、華の街」
花と華?と首を傾げれば「あの街では、性行為は売り物だ。」と彼はカツンと音をさせてビーカーを置いた。
「それ以上も以下もない」
俯く先生の横顔が少し、怖い。
そういえば、くらげちゃんも言ってたな。
あの街は花街だと。
「それを正す人間も傍にいなかった。それに疑問を持つにはアイツの周りには足りないものが多すぎた。恐らく、自分が生まれたのも…それ故だとは思ってない」
「は?」
「捨てられた、孤児だったアイツは自分の生まれ方になんて興味もなかったんだろうな。だから、性行為は売り物。避妊具は感染防止の為のマナー。…妊娠だの愛情だの…アイツは性行為と結びつかない」
なんて滅茶苦茶な。
そうは思ったけど、何も言えなくなった。
くらげちゃんなら、有り得そうってどっかで思っちゃったんだと思う。
「お前へ、愛情はある。お前が恋人だと恥ずかしげもなく言ったしな。そこは安心しろ」
「くらげちゃんが……」
「だが、その愛情が 子作りにも性行為にも結びつかん。寧ろ、性欲に結びつかない」
そんなんどうすりゃいいのさ、と呟けば「結びつければいいだろ」と彼は簡単に言ってのけた。
「アイツに愛情を教えたのはお前だ。だったら、お前がその先も教えてやればいい。それができないって言うなら、アイツの隣はお前には相応しくない」
「なぁにそれ…?イシダイ先生なら相応しいってこと?」
「さぁな。ただ、まぁ…お前みたいにくよくよ悩みもしなけりゃ、傷つけもしなかっただろうな」
ムカつく、と呟けば彼は笑った。
「若いな、」
「おっさんくさい」
「躾られたいのか?」
やぁだ、と笑って立ち上がる。
要するに、俺が踏み込まなきゃ進まないってことなんだろう。
まぁ、最初からそうだったもんね。
「フロイド・リーチ」
「なぁに?イシダイ先生」
「俺が初めて聞いたアイツの願望って、何だか知ってるか?」
意味が分からなくて首を傾げれば彼はふっと笑った。
「海に行きたい」
「え、」
「お前より、クロヴィスといた。お前の言う通り、クロヴィスのことはまぁ知ってる。アイツが初めて望んだことは、お前のために海に行きたい だった」
微笑んだ先生が「自信を持て。そして、信じてやれ」と言って俺から目を逸らした。
▽
週末、お互いの休みは重なっていた。
けど数日前に怒らせてしまってから話もしていなかったし今日は会うことはないだろうなと自室で本を開く。
かける言葉を間違えたんだろう。
そうはわかっても、じゃあ何が正解かと言われたらわからない。
開いた本のページはいつもより進まず、溜息が出る。
そんな時聞こえたノックの音。
返事をすればトレイ先輩が「クロヴィスはいるか、」と声をかけた。
「はい、」
「なんだ、お前しかいなかったのか。フロイドがお前に用があるって来てるけどどうする?」
「先輩が?」
予想が外れた。
気まぐれなあの人だし、機嫌が治ったのかもしれない。
だが、怒らせたことは事実だし 謝った方がいいんだろうな。
読んでいた本を閉じすぐに行きますと答え、鏡を横目に見る。
化粧してないけど、まぁいいか。休みだし。
ペイントがない目の下を指で撫で、部屋を出た。
「くらげちゃん」
談話室で長い足を窮屈そうに畳んでいた先輩は俺を見て表情を綻ばせる。
俺が来るまでの間に絡まれていたのか、リドル先輩は疲れた顔をしていた。
「こんにちは、フロイド先輩」
「予定入れてないよね?遊ぼ?」
「はい、入れてないですよ」
リドル先輩はちら、と俺を見たが何も言わずに立ち上がる。
「門限は守るように」
先輩のその一言にはい、と短く答えて 俺の手を引いて歩き出した先輩を追いかけた。
会話はない。
ただ、手を引いて歩く先輩は怒っているのか判断がしにくい。
最後まで結局会話もなく、連れられた先はオクタヴィネルだった。
ラウンジではなく、寮の方。
そして、行き先は彼の部屋だったらしい。
ぽい、と軽々とベッドに投げられたかと思えば 彼は鍵をかけてペンをくるりと回す。
「先輩?」
「こーび、しよ」
「は?」
上のシャツを脱いで、彼は俺の上に跨った。
そして、にんまりと笑う。
「え、と…先輩?」
「嫌なの?」
「え、いや…嫌な訳じゃないですけど」
なんだ。
どういうことだ。
この間と態度が違いすぎないか?
そんな俺の混乱を他所に、重なった唇。
何回か触れるだけのキスをした彼は伏せていた目をこちらに向けた。
その目に明らかな不安が見て取れた。
「フロイ、っん」
「ん、ぁ」
たどたどしく舌が絡みつく。
ぎゅ、と俺の胸の辺りのシャツを掴む手がやはり震えていて、その手に自分の手を重ねた。
ビクリ、と体を震わせた彼を安心させるように空いた手で頭を撫でながら 縮こまってしまった彼の舌に自分のを絡める。
力が入っていた彼の手が解けたのを見計らって、唇を離す。
とろりと蕩け、熱を帯びた瞳が俺を見つめた。
「先輩。そんなに怖がってるのに、どうして性行為を?」
「っ、だって…やんなきゃ、わかんないじゃん」
俺はこんなに欲しいのに、と彼は声を震わせた。
蕩けていた瞳にまた不安が浮かび、それを隠すように目を伏せる。
「俺は好きだから、キスの先もしたいの。交尾も、くらげちゃんだから…したい」
「はい」
「くらげちゃんは、違うんでしょ?」
違うといえば、違うのだが。
違くないと言えば、違くない。
なんと説明したものか、と考えていれば 彼はきゅっと唇を結び ばさりと布団を被ってしまった。
「……先輩。フロイド先輩」
「いいよ、別に。くらげちゃんが嫌なこと…したいわけじゃないし」
「俺、いつ嫌だって言いました?」
え。と彼は固まって 恐る恐る布団に隙間を作った。
綺麗な彼の瞳が布団の奥に浮かぶ。
「嫌なことをわざわざ、やりたいです?なんて聞きませんよ。俺」
きょとり、とした彼に言葉を探す。
「なんて言うか…俺にとって性行為って売り物ってイメージが強いんですよ。見たでしょう?俺の街」
「うん、」
「だから、それが愛情表現だと言われるとまだ違和感?あるんですよね」
華は売り物だ。
あの街ではそれが当たり前だった。
彼女たちもそれを恥じてはいなかった。
誇りを持っていた。
だからこそ、あの街の華は美しかった。
「けど、それが愛情表現だと言うのなら。キスより先にある最上級の愛だと言うのなら俺は貴方に捧げたいと思います。というか、貴方以外にやる必要があるとも思いません。けど、こんなすんなり考えられるのって、それが身近にあったからなのかなって。思いもするんです」
人と人魚。
性行為が身近にあって、初めても価値もなく捨ててしまった俺とそうじゃない彼。
「男同士だし、異種族だし。俺の価値観が人と違ったように先輩も違ってもおかしくはない。ほら、種族によっては婚前交渉はNGってのもいるでしょう?だから聞いたんです。俺としたいですかって」
「……聞き方、」
「それは、はい。すみません。言葉が足りませんでしたね」
もぞ、と布団が動き 頭だけ出した彼は 耳を真っ赤に染めて俺を呼んだ。
「俺と、してくれる…?」
「フロイド先輩がそれを望んでくれるのなら。喜んで」
微笑みながらそう答えれば、彼は布団を放り投げて俺に抱き着いた。
勢いを殺せずベッドに沈めば彼はふふっとご機嫌そうに笑い目を細める。
「俺の事好きにしていーよ、くらげちゃん」
「お言葉に甘えますね。辛くなったらすぐに言ってください。性交渉がなくとも、俺は先輩への気持ちは変わりませんから」
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