02

リーチ兄弟は人魚だ。
そんな噂を聞いたのは、クルーウェル先生の元で薬を作り始めて数日が経った時だった。
作っては使い、作っては使い。
ストックすることすら出来ないでいることに、先生は怪訝そうな目を向けつつも深く尋ねて来ることはなかった。

手首を掴むのが癖なのか 同じように腕を掴んだジェイド先輩が少しよろしいでしょうか、と微笑んだ。
フロイド先輩と違いあまり力を入れてはいないが、痣になった所を押さえられれば多少なりとも痛みはある。
今日の分の薬、これから作る予定だっていうのに。
それだけじゃなく 頭を過ぎる人魚という言葉に、少し息が苦しくなった気がした。

「何か叶えたいことってございませんか」
「ジェイドさんが1人で俺のとこ来るなんて珍しいですね。叶えたいことでしたっけ?別に、ないです」
「何でも、叶えて差し上げると言っても?」

彼はそう言って、不気味な薄ら笑いを浮かべた。
あぁ、嫌だ。この人の目も笑い方も。
布越しだと言うのに、掴まれたところから鳥肌が立つ。

「もう、いいですか」
「ふふっ、そんな警戒しないで下さい。少し会っていただきたい方がいるんです。大丈夫ですよ、今日はフロイドはいませんから」
「お断りします」

貴方の願いを叶えます なんて、新手の宗教勧誘か?
それに会わせたい人なんて、きっと碌でもない目に会うに決まってる。
手を振り払おうとした時 随分と嫌われているんですね、と新たな声。
声のした方を見ればジェイド先輩と同じ制服の人が立っていた。

「初めまして、アズール・アーシェングロットと申します。オクタヴィネル寮の寮長を勤めています」
「おや、アズール…ラウンジで待っているのではなかったのですか?」
「客人に足を運ばせるのも申し訳ないと思いましてね」

なるほど、俺に会わせたい人はこの人だったわけか。
オクタヴィネルの寮長…。

「よろしければ、お名前を聞いても?」
「…クロヴィス・クシランダー」
「クロヴィスさん…よろしくお願いしますね。フロイドから話は聞いてます」

良ければ僕とも仲良くしてくれたら、と差し出された手をどうしても取ろうとは思えなかった。

「…僕も嫌われてしまったようですね」
「何の用なんですか?クルーウェル先生と約束があるので、手短にお願いします」
「……ふふっ、確かに。これはフロイドやジェイドが苦戦するのもわかる」

僕とゲームをしませんか、と彼は微笑んだ。

「君が勝てば、君の願いをなんでも叶えてあげます。僕が勝ったら、僕のお願いを聞いて欲しい」
「……お断りします。貴方に叶えて欲しい願いなんてないですし初対面の人の願いを叶える義理もない」

そう言わずに、と彼は叶えられる事の例をあげていく。
それを聞きながらジェイド先輩は意味ありげに微笑んでいた。

「だから、ジェイド先輩にも言いましたけど。叶えてほしいことなんてないです。ご存知ないと思いますけど、こう見えて成績は上位10位に入ってますし。お生憎様、恋愛どうこうに現を抜かすつもりもありません」

あぁ、そうだ。と掴まれたままだったジェイド先輩の手を振り払った。

「一つだけ長年の願いがありました。魚を…この世から消してください」
「え?」
「魚と名のつくものを全て」

2人の表情が強ばった。

「そ、れは……」
「勿論、人魚もですよ」

どうかしましたか?と惚けて首を傾げる。

「なんでも、叶えてくれるんじゃなかったんですか?アズール先輩、ジェイド先輩?」

強ばった表情のまま口を閉ざした彼らに俺は態とらしく溜息を吐く。

「出来るはずないですよね?ジェイド先輩もフロイド先輩も、人魚ですもんね?」
「何故っ、そんな願いを?我々が目障りなら、もう二度と近付かないという誓約書を書かせるだけでも良いでしょう?」
「俺、魚嫌いなんです。…まぁ、叶える気になったら、声をかけて下さい。その時は、勝負?ってやつ やりますんで」

それだけ伝えて、逃げるように背を向けた。





「明らかに、嫌われているようですね。ジェイド」
「えぇ、思った以上に…」

魚が嫌い、か。
これはフロイドだけが原因ではなさそうだ。

「勉強面でも不満もなく。恋愛に対してもあのような考え方では…正直、打つ手なしですね。流石の僕でも、魚を消すことはできませんし。…僕もタコとは言え、人魚ですし」
「……そうですね」
「今後もこの方法で推し進めるのであれば、彼の過去も含めて知る必要がありますね。付け入る隙を、まず見つけなければ…」

期末テストも近い。
そこで手に入れた下僕達に彼と近しい人がいればやりやすいでしょう、とアズールが笑った。

「ひとまず、クロヴィスの件は長期的な作戦としましょう」
「えぇ、わかりました」
「ですが、気になりますね。触れただけでフロイドに膝をつかせる魔法なんて」

勝負をするところに持って行ければ、アズールは彼のユニーク魔法を手に入れられるし、下僕になった彼とフロイドはいつでも一緒にいる事ができるようになる。
クロヴィスを手元に置ければフロイドの移り気なところも多少は抑え込めるだろうし。

「僕は僕で、少し動いてみます」





「飽きないな、クロヴィス」

薬を作る俺にクルーウェル先生はそう言った。
やっていたテストの採点の手を止めて、薬を瓶に移す俺の手を掴む。

「あ、の…?」

気を使ってか力を入れずに手首を掴んでくれていたと思ったのに、彼は徐々に力を込めていく。

「っ、離…して、ください」
「やはり、手首か」

先生は俺の制服を捲り、顔を顰めた。

「……手跡…?」

くっきりと残った手指の跡は赤くなっていた。

「痣になっているな」
「……気にしないでください」
「痛み止めを作っている所を見ると、痛みもあるのだな」

恐らく原因は最初に腕を捻り上げられた時だろう。
神経か骨が馬鹿になっているのに、その上から何度も締め付けられればそりゃ悪化もする。
痛み止めの薬を飲むようになり、ある程度楽にはなってきたが正直騙し騙しやっているようなものだ。

「…痛み止めは飲み続ければ効かなくなる。1度保健室なり病院なり行った方がいい」
「この痣見せたら問題になりません?」
「……それは、否めないな」

元を辿れば、俺がユニーク魔法を使ったのが始まり。
間違いで絡まれたとはいえ、あそこで先にルールを破ったのは俺だ。
そこを蒸し返されて困るのは間違いなく俺なのだ。
ともなれば、口を閉ざすしかない。

「痣が消えたら、行ってみます。それまでは、薬で…」
「少し配合を変えよう。今の薬は効果も強いが副作用も強い」

明日材料を用意しよう、と先生は言って、捲っていた俺のシャツを下ろした。

「仔犬。誰にも頼らない事が強さだと見誤るなよ」
「……はい、」

出来上がった薬を手に教室を出る。
別に、強がっているわけではないのだ。
ただ自分には何もないから。

「わぁ、くらげちゃんだぁ」

後ろから絡みついた両腕。
それが誰のものかなんて、振り返らずともわかる。

「無視しないでよ。会えなくて寂しかったんだよ?」
「とりあえず…離れてもらえますか」
「やぁだ。引き剥がせばいいじゃん?」

できるでしょ?と囁かれ背筋が震える。

「…出来ないから、言ってるんです」
「なんで?もう1回見せてくれるだけでいいんだよ?」
「……できません」

首に絡みついた腕に力が込められた。

「なんでそんな、強情なのかなぁ…?くらげちゃん。そんなに俺に絞められたいの?」
「……なんとでも。絞め殺したければ…してください。何度も言ってるでしょ」

後ろを振り返れば 至近距離で目を見開いた彼と目が合った。

「…使うくらいなら、殺された方がマシだ」
「はぁ?」

あの時と違って、今のフロイド先輩の目は脅しだとわかってる。
怪我はさせても、殺しはしない。
だから、使わずに済む。

「……ほんとさぁ、イライラするね。くらげちゃんはさ」

力が強くなって、目の前がチカチカとしてくる。
こんな短期間でまたこの景色を見ることになるなんて、思ってもなかったな。

「クロヴィス!」

怒鳴るような声が俺の名を呼び、首を絞めていた腕が解ける。
急に押し寄せた酸素に喉がひゅっ、と音を鳴らしまた噎せ込んだ。

「いつまで待たせる気だ」

涙で歪む景色の中、先生の怒った顔がぼんやりと見えた。

「…またねぇ、くらげちゃん。逃げれると…思わないでね?」

フロイド先輩はそう俺の耳元で囁いて、足音は遠ざかっていく。
こちらに歩み寄った先生は大丈夫かと俺の前にしゃがんだ。

「…洋服、汚れちゃいますよ」
「今はそんなことどうでもいい」
「……大丈夫です。ちょっと、遊んでた…だけです」

首を摩りながら笑えば彼は眉を寄せた。

「すいません、何か…俺、忘れてましたか?」

気の所為だった、と彼は言って立ち上がった。

あぁ、もしかして 助けてくれようとしたのだろうか。
もしそうなら申し訳ないことをした。

「何か、お礼を」
「は?」
「…与えられたら…返さないと。いけないので」

先生の眉間の皺はより、深くなった。

「何も与えていないのに、返して貰う必要などない」

先生は不機嫌そうにそう言って、踵を返した。


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