04
朝。庭の薔薇が全て真っ赤に染まっていた。
そして赤いペンキを抱え、寮の共同スペースのソファでこくりこくりと船を漕ぐクロヴィスの姿があった。
「クロヴィス、」
優しく肩を揺すれば彼は瞬きを数回して、顔をあげる。
「……トレイ先輩」
「寝るなら部屋で寝ろ。クマ出来てるぞ」
彼は辺りを見渡してから抱き抱えていたペンキに視線を落とす。
寝落ちたのか、と呟き 爪先が赤く染った手の甲で目を擦った。
「薔薇…塗り終わったんで。リドル先輩に言っておいてください。パーティーやりたいなら…やって、ください。昨日の今日ならまだ使える物もあるでしょ」
「リドルも、無理をさせたい訳じゃないぞ」
「……だから、なんですか?無理させたいわけじゃなくても、パーティーはやりたいんでしょ?」
クロヴィス・クシランダーは1年生の中では非常に優秀な生徒だ。
中間試験では上位10名の中に名を連ね、実技課題も優秀だった。
普段は物静かで、あまり人が多い所へは来ない。
だが、以前のリドルのオーバーブロットの件の後からは エースやデュース、監督生と共に過ごす姿も見受けられた。
同じくらいオクタヴィネルのフロイドと共にいる姿も見かける。
こちらに関して言えば、フロイドが一方的に絡んでいるようではあったが。
話を戻せば、このクロヴィスという寮生はリドルも気に入っている優等生であった。
ハーツラビュルに相応しい、と彼が評価する程なのだ。
そんな相手にあんな真正面に責められ、リドルはリドルで凹んでいた。
リドルが一方的に気に入っているだけで、2人が言葉をまともに交わしたのは昨日だろうし 2人の仲を取り持つのもどうにも難しかった。
かく言う俺も、クロヴィスと話すとこはあまりない。
「全て、覚えているのか?ハートの女王の法律」
「内容だけは一通り。俺、静かに暮らしたいんです」
その為に法律が必要なら覚えますよ、と彼は笑う。
「例え、中身がない…意味のない法律だとしても。それが俺の静寂と平穏をもたらすのなら」
「……昨日、なぜあそこまでリドルにたてついた?」
「俺、間違ってましたか?」
間違ってなどいないのだが。
彼のいう静かに暮らしたい、という言葉には矛盾する気がした。
「……イライラしてただけですよ。エース達に振り回されて、挙句その尻拭いが出来なかったからと怒られ……八つ当たりも…あったかもしれないです。すいません」
どうして真っ当に生きてる人間が損をするんでしょうね、と彼は独り言のように呟き立ち上がった。
イソギンチャクに引きずられ寮の外へ行くハーツラビュルの寮生たちに一切視線も向けず彼は微笑んだ。
「気にかけてくださって、ありがとうございます。トレイ先輩」
「え、いや…」
「次のパーティーの時、ケーキ作るのお手作いするので。声掛けてください」
見返りを求めたわけじゃない、と言う前に彼はふらふらと倉庫へ向かって歩いていってしまった。
「……トレイ、」
「リドル?見ていたのか」
「少し前からね…」
クロヴィスは、と彼の行った先を視線で追いながら彼は言う。
「リドルに文句があったというよりは…アズールと契約をした生徒達の尻拭いをさせられている事への憤りが…怒られた事で爆発したって感じだろう」
「…そうか」
「あの感じなら、大丈夫だと思うぞ。今度一緒に声かけにいこう。な?」
リドルはこくりと頷いて、折角薔薇を塗ってくれたし今日パーティーをしようと言った。
「昨日の料理やケーキも…まだ残っているんだろう?」
「まぁな」
「…無理をさせた寮生への労りも込めて…」
俯きながら言ったリドルにきっと皆喜ぶよと微笑んだ。
▽
やはり、あまり調子が良くないのかもしれない。
大食堂で朝食を食べながら、痛む頭を抑える。
結局、薔薇塗ってて昨日もまともに眠れていないし。
今日は休みだから 早く帰って眠ろう。
わざわざご飯を食べに出てきたのが失敗だった。
「クロヴィス、大丈夫か?」
「あぁ…おはよう、ジャック」
心配そうに顔を覗き込んだ彼に問題ないよ、と答えて笑う。
「……昨日は監督生がすまん」
「いや、監督生が言いたいこともわかるよ。お友達を助けたい…なんて、美談だろ」
箸を置いて、あまり減らなかった朝食を見下ろす。
「どこの誰ともわからない監督生からすれば、お友達は大事だろう。人は他人によって初めて、存在していることを認めて貰える」
「…クロヴィス?」
「透明人間は、普通は嫌だろうからね」
俺は透明人間の方が嬉しいけどなぁ、と言って席を立つ。
「まだ残ってるぞ?俺、移動するか?」
「あぁ違う。食欲なくて」
今日はもう寮に戻って休むよ、と言えば無理するなよと彼は耳を下げた。
あまり関わったことは無いが優しい人のようだ。
「ありがとう」
1歩、1歩踏み出す度に頭に突き刺さる鈍い痛み。
突き刺さるのに鈍いってなんだよ、って内心毒を吐く。
「くらげちゃんだ〜」
聞こえた声に重たかった足がぴくりとも動かなくなった。
おはよう、と捕まれた手首。
痛みに痛みが重なり視界が揺れた。
「ねぇ、無視しないでってば。お話しよう?」
腕を引かれ、彼の方を向かされる。
痛い。
彼の声が歪み、その音が脳味噌を揺らした。
▽
その日のくらげちゃんはいつもと違っていた。
話してくれないのはいつものことではあるが、目が合ったのにどこか焦点が合っていない。
よく見れば顔色は悪いし、目の下にくっきりとクマがある。
「…くらげちゃん?」
大丈夫?と伸ばそうとした手を払われる。
手首を掴んでいた手から力が抜けた。
別に拒否されるのは初めてじゃない。
手を振り払われるのだって。
けど、何故か。
今までとは違う気がした。
もう一度、名前を呼ぼうとした時 彼は何かを言った。
「なに?聞こえな「うるさいっつってんだよ!!」………ぇ、」
振り上げられた手が窓ガラスを叩き、大きなガラスが音をたてて割れる。
その音で沢山の視線が集まる。
先生を呼んだ方がいい、とかそんな声が聞こえる中 彼は俺に視線を向けた。
自分に向けられた目に明らかな拒絶と怒りが見える。
今までの諦念とは違う、敵意。
「く、くらげちゃん?」
「うるさいうるさいうるさいうるさい。お前らの声…ほんとに耳障りだ」
かけようとした言葉が喉に突っかえる。
声ってどうやって出すんだっけ。
彼の名前を呼びたかったのに 音にならずはく、と唇だけ動いた。
ガラスを割った手から落ちる血を拭ってやる術さえも俺にはないと悟る。
それだけ、嫌われていたのだ。
なんだかんだ受け入れられているのだと勘違いしていた。
違った、違ったんだ。
ただ、本当に諦めて我慢していただけだったんだ。
あぁ、痛い。
心臓を握りしめられたみたいで、肺を押し潰されたみたいで 声だけじゃなく呼吸の仕方さえわからない。
彼は苦しそうに血に濡れた手で額を抑えた。
やっぱり体調悪いのかな。
もっと違う、関係だったら ちゃんと普通に心配してあげられていたのかな。
大丈夫、と差し出した手を取ってもらえていたのかな。
「クロヴィス」
誰かが呼んだのだろう。
駆け寄ってきたイシダイ先生を見て、くらげちゃんは少しだけ安心したように肩の力を抜いたように見えた。
先生の手は拒まれることなく、彼の頬に触れる。
嫌だ。
触らないでよ。
くらげちゃんは、ーーなんだ?
ただ、面白い1年生だっただけじゃないの?
なぜ、なぜ…なぜ。
ここまで 触れて欲しくないなんて考えてる?
「……クロヴィス、聞こえているか…?」
「っるさい……うるさいうるさいうるさいうるさい」
両耳を塞いで彼は首を振る。
先生は溜息をついて、多分魔法をかけた。
「眠ってろ」
頬に触れていた手が目を隠すと、彼の体から力が抜け先生に凭れかかった。
「あ、の…」
「私が責任を持って保健室に連れて行く。この後誰か来るから、事情を伝えておいてくれ」
「俺が、」
連れて行くと言いたかったけど先生が静かに首を振った。
「手首の痣」
「え?」
「フロイド・リーチ、お前がつけたものだろう?」
痣ってなんだ。
抱き抱えられた彼の腕のシャツを先生が捲る。
確かにそこには、手の形の痣があった。
これ、俺がつけたの?
確かによく 腕を掴んではいたけど。
「…痛みも強いらしくてな。疲労も重なって、飲んでる痛み止めの副作用が強く出たんだろう」
「っ、」
離れていく足音。
割れたガラスに映る自分は見たことないくらい情けない顔をしていた。
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