旅人たちの休息 彼に出会ったのは自分がまだ雄英生だった時だった。
1学年上の香山先輩によく絡まれている先輩。
それが彼の最初の印象だった。
香山先輩と関わる機会が多かったことから、彼と接する機会も増え 俺たちの世話をよくやいてくれる存在に変わるまでそう時間を要さなかった。
根が世話焼きなのか面倒くさそうにしながらも香山先輩のだる絡みをいつも最後まで相手をしてあげる姿にマイクたちは付き合っているんじゃないかと影で言っていたけれど 結局2人ともそれは絶対ありえないと否定していた。
「相澤は俺にそういうこと聞いてこないよな」
「…まぁ、別に興味もないので」
「うん、まぁ相澤ならそう言うと思ってた」
彼はそう言って笑っていた。
「逆に、先輩もそういうの興味ないでしょう」
「えぇ?そんなこともないよ」
好きな人ちゃんといるしね、と彼ははにかむ。
女性受けしそうな顔をして、誰にでも優しく、ヒーローを目指す学生としても優秀な彼のことだから、きっとすぐに結ばれることだろう。
なんて、その時は思っていたが彼は結局卒業まで恋人という存在を作ることはなかった。
卒業式では男にも女にも囲まれ、写真をせがまれ、サインをせがまれ、それでも最後までその笑顔を崩すことはなく ずっと口元に笑みを浮かべていた。
「ちょっと、アンタ最後までなんもしない気!?」
「痛っ!?そんな強く背中叩くなよ」
「見てらんないわ、ほんとに」
人波がはけた頃、香山先輩にせっつかれながら俺たちの元へやってきた先輩は「少しだけ、俺に付き合ってくれない?」と俺に声を掛けた。
「私は山田と待ってるから、行ってきなさい。積もる話もあるでしょ」
「積もらせてなんかないよ」
「よく言うわよ」
困った顔をして先輩は歩き出す。
「卒業おめでとうございます」
歩きながらかけ忘れていた祝いの言葉を伝えれば、彼は微笑み礼を言う。
「凄く囲まれてましたね」
「ほんとにね。びっくりした」
「インターン先の事務所にそのまま入られるんですね」
「ひとまずはね。独立も考えたけど、実績が欲しくて」
実績など十二分にあるはずだ。
卒業までに彼の積み上げた実績を知らぬ者はいないだろう。
だが、彼はそれをひけらかすこともせずずっと変わらず、穏やかに見えても常に上を目指し続けていた。
彼が足を止めたのはよく先輩と野良猫に餌をあげていた校舎裏だった。
彼を待っていたかのようににゃあ、と短く鳴いた黒猫は先輩の足に擦り寄る。
「ご飯、来年は俺があげますね」
「ほんと?それなら安心だなぁ」
先輩の隣にしゃがみ、先輩の足に擦り寄る黒猫に手を出せばこちらの手に擦り寄ってくる。
「この子のこと頼む為に呼んだんですか?」
「いや、本題はこれじゃなくて…」
先輩は珍しく口篭り、そして大きく息を吐いた。
「相澤を困らせることを言うんだけど」
「困らせることですか?」
「俺、相澤のこと好きなんだよね」
先輩はそう言って、いつだったかの好きな人がいると打ち明けたときと同じようにはにかんだ。
最後まで恋人は作らなかったなぁ、なんて思っていたのにその感情の矛先が俺だなんて誰が思うか。
「えっと、」
「ごめんね。好きだからどうしてくれってわけではないんだけど、これだけはどうしても伝えて卒業したくて」
先輩はもう一度、ごめんねと言って黒猫の頭を撫でてから立ち上がる。
その姿を視線で追いながら、どうして俺なんだろうと思った。
「相澤と過ごした時間、楽しかったよ」
彼の手は、今度は俺の頭を撫でた。
「抱え込みすぎる癖、ちゃんと治してね」
「先輩、」
「またね」
先輩の手が自分の頭から離れ、彼は俺に背を向けた。
黒猫がにゃあと鳴いて彼の背を見送りながら、俺の膝に擦り寄った。
そして、またにゃあと遠くで鳴き声が聞こえ、額に冷たい物が触れ、そして何かに舐められた。
「……お前か」
俺を見下ろす黒猫。
にゃあ、とまた一声鳴いて黒猫は俺が目覚めたことに満足したのかベッドからすとん、と降りていく。
「夢か、」
懐かしい夢をみた。
欠伸を零し、いつの間にベッドで寝たんだったかと首を傾げながら黒猫の後を追いベッドを降りる。
「おはよう」
寝室のドアを開けた先のリビング。
猫を撫でながら、夢の中と同じようにはにかんだ笑顔を浮かべる彼がいた。
「さっきまで一緒に寝てたのに、起こされちゃった?」
あぁ、そうだった。
彼と新しい街に越してきたのだ。
「先輩…」
「え?」
自分の仕事の関係で引越しの作業はほとんど彼にさせてしまった。
やっと新しいこの家に帰ってこれたと思ったが、連日の徹夜に疲れて寝落ちたのだろう。
黒猫は彼の手から離れ 俺を起こす役目を終え、猫用のベッドに飛び乗った。
「先輩って呼ばれるの久しぶりだね」
彼は懐かしむように目を細めた。
自分が20歳になった頃。
香山先輩と彼に成人祝いに連れて行ってもらった飲み屋さんで潰れた香山先輩と山田を見ながら先輩は慣れたようにタクシーを手配する電話をかけた。
「相澤はここからどう帰る?タクシー?歩き?」
あの日の告白なんて何かの幻だったんじゃないかと思うほど、彼はあの日以降なにも変わらなかった。
それがもどかしく感じ始めたのは一体いつ頃だったか。
「あの猫に会いたいです」
俺の卒業のタイミングで猫を引き取った彼に俺はそう言った。
驚いた顔をした彼はあの時のように口篭りそして、「来るなら山田と来てね」と言った。
「先輩、」
「忘れた?俺、お前に告白したんだけど」
「…なにも変わらなかった癖に」
残りわずかだった酒を飲み干して、大きな音をたてて置いたジョッキ。
「困るだろ、変わっても」
「困りません」
「相澤も相当酔ってるな。タクシー呼ぶよ」
先輩は俺から目を逸らして、携帯に手を伸ばす。
その手を捕まえてなまえさん、と初めて彼の名を呼んだ。
固まった彼に「なまえさんの家に行きたいです」と言葉を続けた。
「…それ、意味わかって言ってる?酒で忘れましたとか、俺ほんと嫌だけど」
「忘れないです。だから、連れて帰ってください。俺のことも」
ああ、思い出したら恥ずかしいな。
掘り返した過去を首を振って消しながら、昔の夢を見てつられたのだと答えた。
「懐かしいね、なんか」
「そうですね」
あれから彼と付き合い始め、数年。
彼の独立のタイミングで新しい街に2人で住む部屋を借りた。
「朝ごはん食べる?相当疲れてたし夕飯も食べずに寝ちゃったから お腹すいてるでしょ?」
いただきます、と答えれば彼は満足気に笑いソファから立ち上がる。
「ありがとうございます。ベッドまで運んでくれて」
「それくらい全然」
「今日は仕事ですか?」
昼からね、となまえさんが冷蔵庫のドアを開ける。
「消太は今日は休める?」
「はい、今日一日は」
「それなら良かった。ゆっくり過ごしてね」
彼は穏やかに微笑みを浮かべる。
「夕飯は一緒に食べられますか?」
「20時くらいになっちゃうと思うけど。待てるなら、外で食べる?美味しそうなお店見つけたんだよね」
「いいですね」
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