金魚草はまだ咲かない


学校の休暇。
山に登りに来ていた僕は、見慣れた制服を見つけた。
時計台の下、背を預け立っていたのはどうやらハーツラビュル寮生のようだった。
待ち合わせかなにかでしょう、とその時はさして気にしていなかった。
だが、また次にその町を訪れた時 同じ場所に、同じ様に彼の姿を見つけた。
俯く横顔はどこか暗く、耳にあるピアスに目を引かれた。
あの規律を重んじる寮にしては、珍しいなと。
そしてまたある時。
同じ場所に彼を見つけてしまった。
初めて見た日から数ヶ月の月日が過ぎていた。
流石に、おかしいなと思った。
何よりも、彼の耳に輝くピアスが増えていたから。

「あの、」

思わず声をかければ、凄い勢いで彼は顔を上げた。
そして僕を見つめ、少しだけガッカリしたように見えた。

「申し訳ありません、期待をさせてしまったみたいで」
「いや……大丈夫だ。こっちこそ、悪かったな」

いつも右側からしか彼の横顔を見ていなかったが、正面から見て少しだけびっくりした。
見えていなかった左耳のピアスの数に。

「何か用か」
「…いつも制服でここにいるようだったので、」
「いつもじゃない。毎月、第3日曜日だけだ」

彼はそう答えた。

「そうでしたか。僕も、NRCの生徒でして…」
「へぇ、そうか。偶然だな」

彼はそう言って少しだけ笑った。

「この町の出身ではないな?」
「はい、山登りに時々」
「そうか」

あそこはいい所だ、と彼は言って俯いた。

「貴方は何故ここに?」
「人を待っているんだ」
「…そうでしたか。それは、お邪魔してしまって申し訳ありません」

気にしなくていいよ、と彼は言った。
話はこれ以上広がりそうにはない。
それじゃあ、失礼しますと会釈をすれば彼は気をつけてと声をかけた。

「なぁ、お兄さん」

いつも山を登る前に立ち寄るご飯所の女性が、「知り合いかい?」と首を傾げた。

「いえ、知り合いと言うほどでは…。ただ、同じ学校のようでして…」
「言ってやってくれないか?いつまで待っても、あの子は来ないって」
「え、」

私らが声をかけてもダメなんだよ、と女性は悲しそうに言ったのだ。

話を聞けば彼の待っている相手は 同じ孤児院の生まれの女の子なんだそう。
彼がNRCに入る前、妹のように可愛がっていたらしい。

「ここへ来ないというのは一体なぜ…?」
「なまえの元へ馬車が迎えに来て、4ヶ月後くらいかね。里親が決まったんだよ。ここから遠く離れた街の優しそうな夫婦に引き取られていったよ」
「…その事を知っても、ここに?」

そう、と彼女は頷いた。

「見てて可哀想でねぇ。それにねぇ、あの子のピアス…」
「ピアス?」

女性が話してくれた内容に、僕は言葉を失った。





しとしとと、雨が降り始めた。
何度目かもう忘れてしまった第3日曜日だった。
俯きながら、色が変わっていく地面を眺めながら自然と溜息が零れた。

わかっちゃいるのだ。
あの子はここへは来ないこと。

「また、お会いしましたね」

体を濡らしていた雨が止み、声が落ちてきた。
顔を上げれば、いつぞやに話しかけてきた青年が俺に傘を差し出していた。

「傘も差さずに、馬鹿なんですか?」
「君は、存外口が悪いのかな?」
「ふふっ、そんなことありませんよ。つい、本音が出てしまっただけです」

そーかい、と答えて 俯いた。
初めて声をかけられた日から何度か、彼を見かけた。
いつも動きやすそうな格好をしているのに今日は制服姿だった。
腕のリボンで彼がオクタヴィネルの寮生だとわかる。

「……来ない人をずっと待っていらっしゃるとか、」
「来ないとは決まってない」
「実際、1年以上いらっしゃってないんでしょう?」

だからどうした、と彼に言った。
だが、俺とてわかっている。
あの子はきっと、ここへは来ないと。

「だからと言って、今日来ない根拠にはならない」
「そんなに会いたいのなら、その子が行かれた街に行けば良いではありませんか」
「それですれ違いになったら、どうする?」

あの子がここへ来ないということは 幸せに暮しているということのはずだ。
亡くなったとなれば、孤児院に連絡が入る。
その便りがなく、彼女の姿もないのなら 俺はそれで良い。

「随分と、夢見がちですね。それで、来ない度に自傷行為を続けているなんて。滑稽ですね」
「…君は口が悪い上に、随分と図々しいな。君になんの関係がある?」
「体を穴だらけにするつもりですか?」

彼の手が俺の耳に触れた。
思ったよりも冷たい肌が、ピアスの縁をなぞる。

「ピアスの多い人は承認欲求が強いとか…」
「どうだかな」
「そして、寂しい人が多いとか…?」

どうだかな、と続けざまに答えた。
あの子に会えた最後の日。
それは、俺の誕生日の前日だった。
贈ってくれたのはピアスで、穴を開けようと思ったけど やっぱり怖いからやめようと彼女が言った。
翌月、彼女は来なくなった。
願がけで、彼女のくれたピアスをつけた。
それが、最初の穴だった。

それから1ヶ月、2ヶ月、半年、1年と過ぎて 両耳はピアスで埋め尽くされた。

「…お前に関係ないだろ」
「見ていて滑稽なんですよね」
「滑稽でも、アンタには迷惑かけちゃいないだろ。わざわざ制服で来てくれた所申し訳ないけどな」

差し出された傘を押し戻し、笑った。

「風邪をひく前に、帰るといい。今日は山に登る気もないんだろ」





あの町へは行かなくなった。
逆になんで今まで行っていたのか。
わざわざ雨の日に、傘まで持って 行ったのか。
自分でもよくわからなかった。
けれど、どうしても あの人のことが あの人の諦めた目が忘れられなかった。
話してみれば口で言う割に、あの目は来ないことを悟っているように見えた


ハーツラビュルの寮生であることは知っていたが、名前も学年も知らない彼に校内で会うことはなかった。
きっとこのまま、忘れていくのだろうとそう思って過ごしていた。
だが、あの雨の日から何度第3日曜日を迎えようとも 彼の姿が頭から離れることは無かった。

「ジェイド、何をぼーっとしているんです。今日は目一杯稼ぎますよ」

時は過ぎ、今日はマジフト大会の日だった。
いつも彼が待つ、第3日曜日。

「すみません。人が多くて少し、酔ってしまったみたいです」

流石に今日は行っていないだろう。
その事にどこか安心する自分がいる。

「なまえ!!」

自分の横を黒髪の少女が掛けて行った。
あぁ、そう言えば 彼もイヴと呼ばれていたかもしれない。
振り返れば、やはり彼がいた。
少女を抱きしめて、安心したように彼は笑う。

「元気そうだな」
「とっても!会えて嬉しい!」
「…あぁ、俺も」

最後に会った日よりも増えたピアス。
あの町で待ち続けてることは言わないつもりなのだろう。
彼は愛おしそうに少女に微笑みかけて、案内するよと手を引いた。

あぁ、やはり愚かしい。
だが会えてよかったと どこかで安堵した。
これできっと、待ちぼうけをすることも自傷行為のようなピアスもやめることだろうと。


だが。
その1ヶ月後 偶然すれ違った彼の眉の上に、ピアスが増えていた。
あのマジフト大会時はなかったはずだ。
何故、と声をかけようと思ったが 彼はトレイン先生と話しながら職員室の中へ。
あの少女ではなかったのか?会いたかった人は。
会えたのに、まさかまだ あの町にいるのか。





「何をしているんです」

彼はやはりそこにいた。
時計台の前、俯いて。
声をかければ、彼は顔を上げた。

「やぁ、また会ったね」
「えぇ、またお会いしましたね。で、こんな所で何をしているんです」
「人を、待っている」

彼はそう言って微笑んだ。

「マジフト大会で会っていたじゃないですか、可愛らしい女の子と」

きょとんとして 何だ知っていたのかと彼は言った。

「元気そうにしていて安心したよ。連絡先も交換したんだ」
「…それなら、ここで何を待っているんです」
「君を待っていた」

彼はそう言って、来てくれると思わなかったと笑った。

僕を、待っていた…?
なぜ?
いや、こんな所で待たずとも学校でどうにだってなるはずなのに。

「傘を、ありがとう。君の気遣いを無下にしてしまって、悪かった」
「…勝手にやった事です」
「それでも、俺は感謝してるから。雨の前も、俺の様子を見にあの町へ来ていたって…後から聞いた」

山登りに来ていただけです、答えれば「じゃあ、そういうことにしておこう」とクツクツと笑った。

よく笑う。
元々はこういう風によく笑う人なのかもしれない。
いや、だからどうした。
自分の頭の中が、ぐちゃぐちゃになっている気がした。

「…まぁ、いいです。僕に何の用ですか」
「え?もう済ましたよ」

彼は背中を離し、謝罪と君の顔をもう一度見たかっただけと言った。

「今日も山登り?邪魔して悪かったね、俺はそろそろ帰るよ」
「っ馬鹿なんですか!?!」
「おっと!え、怒ってる?」

顔が熱い。
なんなんだこの人。

「そんな理由で、体に穴を開けるなんて!信じられません」
「…あぁ、気づいてたの?」
「気づきますよ。耳ですらなくなって、顔なんて!!」

優しいね、君は と全く会話にならなくてイライラする。

「大丈夫、もう開けるつもりはないから。これは寂しくて開けたんじゃなくて、願がけ。君に、もう一度会いたいっていうね」
「だったら、会いにくればいいでしょう?同じ学校にいるんですから!こんな所で待たなくたって」
「けど俺、待つのは嫌いじゃないから。ここで会うことに、意味があったんだよ」

あの子とはここで会えなかったから。待ち人が来る思い出が欲しかったと彼は優しい目をこちらに向けた。

愚かな人だ。
あの日、ピアスに気づかなければ 僕はきっとここへは来ていない。
また待ち続けるつもりだったのか?
1人で、諦めた目をして。

「…僕は待つのは嫌いです」
「それが、普通だね」
「だから、待たせないで下さい」

彼は目を瞬かせ首を傾げる。

「オクタヴィネル寮のモストロ・ラウンジ」
「オクタヴィネル…?モストロ・ラウンジ?」
「会いたくなったら来ればいいんです。あの女の子にも、会いに行けばいいんです。待ってるなんて、馬鹿らしい!」

これっきりのつもりだったと彼は言った。
散々人の心の中を掻き乱しておいて、これっきり?

「…会いに行ってもいいかな、君の顔を見に」
「好きにしてください」

来なかったら許しません、と言えば彼は 待たせはしないと答えた。


約束通り。
2日後には彼がモストロ・ラウンジに訪れた。

「改めて、なまえ・みょうじだ。君の名前を聞いても?」
「ジェイド・リーチです」
「ジェイドか。よろしく」

よろしくするつもりはないです、と言えば それは残念だと彼は笑った。
オーダーを聞き、キッチンに入れば 「機嫌がいいですね」とアズールが首を傾げた。

「そんなことありませんよ、いつも通りです」

そうは答えたけど 顔を見れて嬉しいと、思っている自分がいた。
料理を彼の席に運べば、「よく似た顔がいた」と彼は話す。

「兄弟です。フロイド・リーチ」
「へぇ、兄弟。よく似てるな。……けど、君の顔の方が俺は好きだな」
「は!?!」

あ、これ美味しいと 彼は先の発言をさして気にした様子はない。
なんなんだこの人は。
どうしてこんなに、振り回されて 頭の中がいっぱいになっているのか。
今はまだ、知りたくはなかった。



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