弱虫な僕とヒーロー


「おや、」
「…アズールか」
「こんな時間までやってくださっていたんですが」

明日の仕込み多かったろ?と言えば 「いつもすみません」と珍しく申し訳なさそうな顔をした。

「そっちこそ。こんな時間まで何してんだ」
「少し、忙しくなりそうで。下準備を」
「そうか」

アズール・アーシェングロット。
彼は俺の雇い主だ。
まぁ、他所からは悪徳業者のように扱われているが俺としては金払いの良いいい雇い主であった。
彼を悪徳業者たらしめているのはリーチ兄弟も一因ではあるだろうけど。
彼らとて上手く付き合えば良い友人だ。

カットした野菜をタッパーにしまい、まだ手付かずの野菜に手を伸ばす。

「僕も手伝いましょうか」
「いや、いいよ。まだ仕事残ってんだろ?」
「今日の売上の報告書と……マジフト大会の日の企画書が少々…」

じゃあそれやってろよ、と言えば ありがとうございますと彼はカウンターに腰掛けた。

「なんか軽食作るか?」
「いえ、お気になさらず。今日の摂取カロリーは取り終えてますので」
「…相変わらずだな」

カタカタとパソコンを打つ音と包丁の音だけが響くラウンジ。
客の居なくなった夜の静寂は結構気に入っていたりする。

野菜の仕込みはこんなもんか。
あとは、魚介類の下ごしらえと…肉もつけておきたいな。

「なまえさん。右手の小指のそれ、なんです?」
「小指?」
「前々からありました?」

カウンターから身を乗り出したアズールが俺の手を取る。
普段は手袋してるからわからなかったんだろ、と答えればそうかもしれないですねと彼は笑った。

「タトゥーですよね?指輪代わりですか?」
「まぁ、似たようなもんだな」

指切りって知らない?と首を傾げれば彼は同じように首を傾げた。

「海ん中にはないのかね。子供の時、約束する時にやるんだよ。小指絡めて、指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます、指切ったー!ってね」
「…また、なんとも物騒な……」
「子供は意味も知らずにやってんの。…まぁ、物騒っちゃ物騒だよね」

約束破ったら一万回拳で殴って、オマケに針千本飲ますぞって話だし。
それほどまでにこの約束を大事にするよ、っていう現れなんだけど。

「指を切る用の…線ってことですか?」
「いや、怖ぇわ。違うよ。…約束を忘れない為にさ、その小指はお前のものだよって。やってるだけ。指切りなんて、後にも先にもあいつ以外と交わす予定ないから」
「その口ぶり…ラギーさんですか」

他にいる訳ないだろ、と笑えば呆れたように溜息をつかれた。

「相変わらず、怖いほどの愛情ですね」
「…そんだけ、感謝してんだよ。あいつがいなきゃ、俺生きてないし?」
「ラギーさんも同じタトゥーを?」

入れてるはずないだろ、と俺は答えた。
きっとラギーは忘れてしまっているだろう。
あんな些細な約束だ。

「俺が、忘れたくないだけ」
「…そうですか、」
「ラギーは俺のことなんか放って、自由に生きればいい。俺が勝手に、あいつの為に生きたいだけだから」

盲信的ですね、とアズールは言った。

俺にとってラギーは神様だ。
親に捨てられ、死にかけていた俺に手を差し伸べてくれたのは 彼だった。
それがハイエナの普通だと言われればそれまでだけど。
それでも俺にとって彼が神様であることに変わりない。

「そういえば、随分と悪さをしているようですよ?ラギーさん」
「…悪さ、」
「レオナ・キングスカラーが直々に僕と契約をしに来るほどですし。マジフトの有力選手の不審な怪我も相次いでいるとか…」

近付くマジフト大会。
なんとなくだが彼らの目的は直ぐにわかった。
だがそれまでだ。
俺の口出すことではない、きっと。

「……なまえさん?」
「いや、うん…好きに、すればいいよ」
「…いいんですね。例の監督生が動いているようですけど」

監督生。
異世界から来たというあの人か。
校長の小間使いをしてるって話はよく手伝いに行く他の教師陣からも聞いていた。

「…まぁ、いいんじゃないか」
「へぇ、」

振り下ろした包丁が魚の頭を落とす。
じわりと滲む赤色と生臭さに眉を寄せた。

「なまえさんは、嘘をつくのがあまりお上手じゃないですよね」
「ラギーのこと以外は上手いんだよ」
「…あぁ、なるほど」

心配してる、なんて。
言ったところで意味は無いんだろう。
傍にいない俺にできることなんてきっとない。

「なまえさん、僕と契約しませんか」
「は?」
「彼らのやる事の邪魔をする気はなくとも…当日、彼の傍にいたいんでしょう?」

アズールは首を傾げて笑った。

「いつも頑張って貰っていますし、特別価格で」
「何が望み?」
「貴方の小指にかけた約束を教えてください」





「嘘つき」

なんて、天井に向かって吐いてみた。
計画は失敗したし、コテンパンにやられたし。
痛み止めが切れたのが体が痛むし。

なまえくんを巻き込みたくないとレオナさんに言ったのは俺だ。
元々悪事に手を染めていた彼が、それをやめたのだ。
引きずり戻したくはなかった。
それでも、そばにいて欲しかったなんていうのは我儘だろう。

スラムにいた頃はよかった。
孤児だった彼は俺と一緒に暮らしてたから。
何があっても、家に帰れば会えた。
当然のように一緒にいた。
置いていかれるのは、彼の仕事の時だけだった。

それが今はどうだ。
同じ寮とはいえ、部屋は違うし。
まずオクタヴィネルに寝泊まりすることが多い彼にここで会うことは無い。
朝も放課後とモストロ・ラウンジに付きっきり。
休み時間は教科書と睨めっこ。
話せることの方がレアだ。

ずっと一緒にいると、俺の為に生きると約束したくせに。なんて。
子供の約束に縋ろうとする俺が愚かなのだろう。

「…なんだ、起きてんの」

部屋の扉が開き、求めていた声が聞こえた。

「なまえ…くん」
「そうだよラギー」
「……何しに来たんスか」

来てくれて嬉しいはずなのに。
吐いてでた言葉はそんなもの。
本人はさして気にした様子もなくベッドに腰掛けた。

「笑いに来たんスか、馬鹿なことをしたって」
「いや、別に」

じゃあ何しに来たんだ、と言おうとしたが 彼がどこか申し訳なさそうな顔をしていて 何も言えなくなった。

なんで、そんな顔してるんスか。

「痛む?怪我は」
「……まぁ、そうっスね。痛み止めも切れたっぽいし」
「昔から…痛み止めは効きにくかったよなラギーは」

彼の手が額に触れた。

「痛いの痛いの、飛んでけ」
「…馬鹿にしてんスか」
「ごめんごめん。子供の頃よくやったなぁ、と思っただけ。…あの頃はいつも、ボロボロだったし」

効かないおまじないと守られらない約束。
子供の頃はそれでも幸せだった。
欲張りになったのは、大人になったからか?
それとも、彼が傍にいないから?

「もう、ああいう無茶はしないで欲しいって言ったら…どうする?」
「どうもしないっスよ。なまえくんがアズールくんのとこで働くの辞めるっていうなら 考えないこともないっスけど」
「辞めてほしいんだ?」

ポロッと零れた本音を彼は聞き逃すはずもなく。
困った顔をして そっかと 俯いた。

健全に稼げている今を悪く思ってるわけじゃない。
労働に対して正当な賃金を貰っている、法にも触れず自らも売らない。
それが嫌なわけじゃない。
ただ、多分。
今は心が弱ってるんだと思う。
傍にいてくれない彼に、八つ当たりしているだけ。

「……わかった」
「は?」
「いいよ、辞める。だから、もうあんな無茶はしないでくれ。ラギーが傷付く所は 俺は見たくないから」

彼は何を言ってる。
なんで、すんなり受け入れた。
携帯を取り出して、誰かに…恐らくアズールくんに 連絡しようとしているのを慌てて止める。

「馬鹿なんスか!?なんでそんな簡単に受け入れてんスか!?!!」
「なんでって、ラギーがそれを望んでるから」

彼は穏やかに微笑む。

「世界が終わるその日まで、俺はラギーの為に生きるって決めてるから」

それは幼い頃、交わした約束だった。
彼はとっくの昔に忘れてしまっていると思っていた。
俺の傍を離れたから、俺の為に生きるなんてそんなこともう考えてないと思っていた。

「何驚いてるの」
「なんでそれ覚えたんスか…」
「なんでって…約束したろ?指切りして」

彼は手袋を外して右手の小指をこちらに向けた。
くるりと一周、付け根に回るタトゥー。
幼い頃はなかったものだ。

「…あぁ、もう…ほんと、そういうとこ良くないっスよ」
「え、何が…?」

本当に、彼はタチが悪い。
誕生日の時も思ったけど。

「……いいっスか、なまえくん」
「うん?」
「俺の為に生きるっていうなら俺の傍にいてくれないと困るっス」

彼はきょとんとして俺を見た。
何故そんな顔をする。

「……邪魔だろ?俺がいても」
「は?」
「俺が勝手に、お前の為に生きたいだけだから。ラギーは、ラギーの為に生きればいいんだよ」

そう言って微笑んだ彼に言葉を失う。
やっと、わかった気がする。
何故こんなにもすれ違うのか。
あの頃のようにいられないのか。

「俺が!!いつ!!!なまえくんを邪魔だって言ったんスか!!!?!」
「え、」
「なまえくんが俺の為に生きるなら、俺だってアンタの為に生きるに決まってるでしょ!?!馬鹿なんスか!?!」

親友だと言ったではないか。
それなのに、なんでそんな一方的なものだと思っているのか。

「なんで…?」
「なんで!?!そんな事も言わなきゃわかんないんスか!?」

アンタが好きだからッスよ!!と怒鳴るように言えば彼は目を瞬かせた。

「世界が終わるまで、隣にいるんスよ!なまえくん!?わかった!?!」

こくりと彼は頷いた。
きっと気持ちは届いていないだろうけど。





「おや、随分と楽しそうですね。アズール」

医務室の前。
ジェイドが靴音を響かせて歩いて来た。

「えぇ、とても。以前から不思議だったんですよ。なまえさんはいつも、一方的な想いばかり語るのでね」
「あぁ…確かにそうですねぇ」
「けど、ラギーさんはなまえさんが僕達といると 明らかな敵意を向けてきた」

確かに、とジェイドは頷く。

「なまえさんにとって、ラギーさんは神様。神様から、感情が向けられるとは露ほど思っていないんでしょうね」
「…それは…随分と、ラギーさんが不憫ですね」
「えぇ、本当に…」

さっきの2人の会話を聞いていたが、きっとなまえさんは理解しきれていないのだろう。
向けられる好意の意味を。

「世界が終わるその日まで貴方の為に生きる…なんて約束を体に刻む程の愛情にも、きっと気づかないんでしょうね…」




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