不治と不知


深夜。
点けっぱなしだったテレビにニュース速報の音が鳴った。
パソコン作業のためにかけたブルーライトカットの眼鏡を外し、テレビに視線を向ける。
齧られた心臓とハートイーターという敵名。
そして、亡くなったヒーローの名前を伝える。
それは先週、仕事で一緒になったばかりのヒーローであった。

「嘘だろ…」

子供が生まれるのだ、と聞いてもいないのに幸せそうに話す男の笑顔が鮮明に思い出される。
なぜ、彼が死ななければならなかった。
身重な彼の奥さんは、このニュースをどう受け止めるのか。
考えただけで気分が滅入る。
テレビを消して、ベッドに潜り込む。
冷たいシーツに体を沈めながら、目を閉じた。
自然とため息が零れたのは、仕方ないだろう。

ハートイーターの被害者はこれで何人目だ。
ヒーローも一般人も、もう何十人と殺されている。
敵連合に所属する、とは言うが実態はいまだわからず個性もつかめていない現状。
完全に我々が後手に回っている。
それだけでなく、彼を支持する世論まであるのだから、世も末だ。
ステインのように思想があるとは思えないが。
だが、一貫して強い個性を持った人間を狙っている姿勢から無個性の人たちからの支持が強いと聞く。

「それだけの力があるなら、ヒーローにだって…」

なれたはずなのに、なんて。


朝から気分は晴れない。
久々にベッドで寝たからか。
寝る前にみたニュースのせいか。
それとも、昨日見た悪夢のせいか。

「おはようございます」

静かな、落ち着いた声が横から聞こえた。
視線をそちらに向ければプリント片手に立っているみょうじがいた。

「顔色、良くないですね。…いや、いつもか」
「気にしないでくれ。おはよう」

インターンの申請書です、と渡された紙。
第一志望に書かれたエンデヴァー事務所、の文字。
四度目のその文字に思わず彼を見てしまった。

「本気か…?」
「イレイザーがやめろ、というならやめますけど」
「いや、そうじゃないが…。緑谷や爆豪もいるぞ…?」

知ってます、と彼は表情を変えずに答えた。
緑谷とは特にうまくいっていないことを知っている。
AB合同授業の時も、そうだった。

「嫌いですよ、心の底から」
「それ…教師の前でよく言ったな…」
「わかってるからイレイザーも確認してるんでしょう?…嫌いですけど、それが俺が俺のやりたいことを我慢する理由にはならないんですよね」

昨日の夢の中。
悪夢の中で、笑った彼と重なった。
ふる、と首を横に振る。
あれは、ただの夢だ。

「頑張ってこい」

承認印を押せばありがとうございます、と彼は頭を下げ踵を返す。
そんな彼を呼び止めれば、不思議そうに足を止めた。

「…何故、緑谷が嫌いなんだ?クラスで嫌ってるのなんて、お前や…爆豪くらいのものだろう」
「逆に、何が好きなんですか?」

以前、オールマイトの何が嫌いか尋ねた時と同じ返事が返ってきた。
冷たい目が俺を見下ろした。

「光はいつだって、影に気づかない。何かを照らせば照らすほどその近くには影ができるのに」
「お前は…嫌いだな。光が」
「はい」

じゃあ、お前ならどうするんだ。
そう尋ねれば、彼は薄ら笑いを浮かべたのだ。

「みょうじ、「イレイザー!」……マイク?」
「会議始まんぞ!」

時計を見て慌てて立ち上がる。
すまない、とみょうじに声をかければ「長々とすいませんでした」と彼は呟き踵を返した。

「Sorry!なんか話してたのか?」
「いや、大丈夫だ」

夢の中の彼と重なった。
夢なのに、夢なはずなのに。

「てか、顔色悪くね…?」
「夢見が、悪かったんだ」


夢の中。
地面に横たわる骸。
それは間違いなく、俺の生徒たちだった。
その骸の先に立ち尽くす黒いローブが、冬の冷たい風にはためいた。
ふわり、と風に煽られてフードが外れる。
振り返った彼は、真っ赤なルージュのように唇を血で染めていた。

「イレイザー」

薄ら笑いを浮かべた彼の手には真っ赤な。
真っ赤な…心臓。

「っみょうじ……」
「遅かったですね」

地面に落ちた心臓がべちゃり、と嫌な音を立てた。

「あなたで、最後なんですよ」

真っ暗な世界の中、彼は笑う。

「あの日の質問、答えてあげますね」

暗転。
そして気づいたら、彼に押し倒されていた。
切り開かれた胸。
ばくばく、と心臓が脈打つのが見える。
夢だ。
これは、夢。
なのにどうして、目の前の男が本物に見えるんだ。

「俺なら、光をすべて奪います」

目の前に心臓が、俺の心臓が掲げられた。
それに噛み付いた彼は、恍惚とした表情を浮かべていた。

「っ!!!?」
「うわっ…大丈夫です…?」

飛び起きた俺を見て、心操が肩を揺らした。
彼が抱いていた猫がビクッと体を震わせ、彼の腕から逃げていく。

「な、に…して…」
「呼び出したの先生ですよ」
「そう…だったか…」

また、あの夢。
何故。
みょうじがハートイーターなはず、ないのに。

「珍しいですね、魘されているなんて」
「夢見が、悪いんだよ…」





サイレンの音がする。
ちょっとしくったなぁ、と思いながら手にした心臓に齧りつく。
携帯を足で割り、心臓を地面に捨てた。

「そこまでだ!」

聞こえた声は馴染みのある声だった。
自然と口元が緩み、飛んでくる捕縛帯を避ける。

「やっと、見つけたぞ」

イレイザーヘッドは死体を見て、少しだけ顔を顰めた。
貴方は本当に、優しい人だ。
違う出会い方があれば、と思わないわけではない。
嫌いではないのだ、相澤消太という人間は。
ただ、その体に流れる個性という血液が嫌いなだけで。

「なぜ!こんなことを続ける!?目的はなんだ!!」

真っ直ぐ向けられる激情。
口のチャックを閉じて、マスクの下で笑う。

「どうして、焦ってるの?イレイザーヘッド」

変成器を通した無機質な声に彼は舌打ちをする。

「俺が怖い?俺が憎い?俺を、殺したい?」
「そうだ!お前がっ…お前を、」

殺したい、とは彼は言わなかった。
ギリギリ飲み込んだその言葉。
こんなところでも、イレイザーヘッドは先生なのだな、と。

「尊敬するよ」
「は?」

彼の動きが一瞬止まった。
その隙に踵を返し、逃げ出す。
すぐさま追いかけてくるが、さすがの俺も準備はしている。
十分に距離をとって、口から溢れ出す黒い液体に身を沈めた。

「おかえり、て…血塗れだな」

ぎょっとして俺を見たスピナーに俺は耐え切れず笑い出す。
刺さる視線もついに壊れたなんて荼毘の声も気にならない。

「あー…美味そう…」

散々笑い、やっと落ち着いた俺の口から自然と零れた一言。

「誰の話ですか?」

俺のマスクを外し、ヒミコちゃんが微笑む。

「俺の先生」

堪え切れない笑みと共にそう答えれば、ヒミコちゃんもにんまりと笑みを浮かべる。

「食べちゃいましょう?」
「ね。食べちゃおうっか」
「……腹は壊さないようにね」

コンプレスは心配そうにそう呟いた。


次の日。
イレイザーの顔色はより悪くなっていた。
大丈夫、なんて声がかかるが彼は困ったように笑い平気だと答えていた。

休み時間、移動教室の為に廊下を歩いていた俺を彼は呼び止める。
足を止め、振り返れば彼は顔を顰めた。

「どうしましたか?」
「…、変なことを…聞いてもいいか?」
「はい、どうぞ?」

お前はハートイーターをどう思う、と彼は視線を少しずらして尋ねた。

「どうしてそれ、俺に聞くんですか?」
「…俺の受け持つ生徒たちの中じゃ、お前が…一番違う答えをくれる気がしたから」
「間違いないですね、それは」

うーん、なんてわざとらしく首を傾げ、笑みを浮かべる。

「ある種、ヒーローなんじゃないか…と思います」

イレイザーがひゅっと息を飲んだ。
とある少女は、とある老婆は、とある青年は俺をヒーローと呼んで涙を流したのは記憶に新しい。

「ステインが神聖化されていたのと同様にハートイーターにも信者っているじゃないですか。その人たちって一様に個性への恨みつらみを言ってるんですよね。今、この世界は個性が正義。個性を持った強者が正義ですけど。持ってない人もいるんですよね」

それ故に虐げられている人もいる、と彼は言った。
確かにそうだ。
個性の発現が遅かった緑谷が苦しんできた過去もそれの一種だろう。

「そういう人たちにとって、悪役個性持ちを倒してくれるヒーローなんじゃないかなって。思いますよ」
「けど、人が死んでる」
「…ヒーローは敵を殺さないんですか?」

彼は口を噤んだ。
ヒーローが敵を殺すことなんて珍しくない。
特に異形種の敵は殺される事案が多い。
所謂、人種差別だ。

「俺は絶対的な正義ってないと思うんですよね。100%正しいなんてありえない。だから、自分がそうだと信じて疑わないオールマイトや緑谷が嫌いって話になるんですけど。それはまぁ、置いといて。ようするに…」

一歩彼に歩み寄った。
右手で彼のぼさぼさの髪に触れ、微笑んだ。

「貴方の信じる正義は本当に、正しいですか?」
「…っ、」
「知ってます?昨日死んだヒーロー。助けた女子高生を脅して性行為を強要してたんですって。その前に死んだヒーローは無個性の奥さんに暴力をふるっていたとか。その前の高校生2人は無個性の同級生を自殺に追い込んだ、って」
「奥さんに、暴力…?」
「あれ、ニュース見てません?その暴力で2度流産してるって、ネットにご本人が書き込んでバズってましたよ。今度こそ、幸せにしたいって。3人目の子を守ってくれたハートイーターにありがとうって」

イレイザーは額に手を当て、そうかと弱弱しく呟いた。

「悪夢だな、」
「え?」
「こっちの話だ。ありがとう、参考になった」

イレイザーはやつれた顔で笑って、授業に遅れるなよと踵を返したのだった。




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