Foxy fox
「…愚かな仔犬だな」

採点していたテスト用紙を捨てるように彼は手放した。
4年生になり、インターンやらなんやらと忙しくなる中。
俺は早々に学園への就職を決め、クルーウェル先生の補佐としてインターンを行っていた。

「どうされました?」
「…バレないと思っているのか。はたまた、気づいて欲しいのか」

彼が捨てたテスト用紙を拾えば、手本のように綺麗な文字で ジャミル・バイパーと書かれていた。

「お前のところの2年生だろ」
「えぇ、覚えていますよ。確か、褐色の肌で黒髪のスラッとした男の子ですよね?」
「…また、珍しい覚え方をしているな」

何がです?と尋ねれば アジーム家の従者だろと彼は言った。
アジーム家。
ジャミル・バイパーがよく行動を共にしているカリム・アルアジームの生まれた家だ。

「知らないわけではありませんよ。ただそれは彼の肩書きであって、彼のことではありません」
「あぁ……お前は、そういう奴だったな」
「何がです?」

クルーウェル先生は溜息をついて、俺の手からテストを奪い取った。

「一つ、頼まれてくれないか?」
「えぇ、喜んで」
「ジャミル・バイパーにこのテストをもう一度解かせてこい」

その言葉の意味が分からず首を傾げれば、先生は過去のジャミル・バイパーの試験結果を見せてくれた。

「見事に、寸分狂わず平均点だ」
「へぇ……また、面白いことを…」
「通常通りテストを受けさせてもきっとこれだ。俺が知りたいのは、正しい成績だ」

鞭がこちらに向けられ、首筋をなぞる。

「お前になら、出来るな?」
「俺を買い被りすぎでは?」
「正当な評価だ。仔犬の世話は、お前ら先輩の仕事だ。任せたぞ」

仕方ないなぁ、と溜息をつく。

「魔法の使用許可は?」
「…攻撃魔法は禁ず」
「いいですよ、使いませんから」





夜の食堂に見慣れない生徒を見つけた。
朝食の準備のために訪れた もう日付も跨いでしまうような時間だ。
暗くなった食堂で ランタンの灯りを頼りに勉強する姿妙に目に付いた。

「おい、何してるんだ」
「え、」

こちらを見た彼は目を丸くさせた。

「もういい時間だぞ」
「あ、と…すいません。明日再テストで……部屋は、2人部屋で集中出来ないから」

彼の手元には今日受けたクルーウェル先生のテストがあった。

2年生か?見覚えはないが…。
なんというか線が細く頼りない。
触れたら折れてしまいそうだった。

少しだけ困った表情を見せた彼にじろじろ見すぎたなと反省する。

「すまない。同じ学年のようだが、見たことがなかったから…」
「俺、休学してたから。基本、医務室登校なんだ」

なるほど。
だからこうも頼りなさげな雰囲気があるのか。
おそらく病気かなにかだろう。
深く聞くのも悪いだろう、と話題を変える。

「名前は?所属してるクラスはあるのか?」
「あ、と……一応C組のナマエ」
「ジャミル・バイパーだ。…わからないものを1人でやってもわからないだろ。俺で良ければ教えよう」

え、申し訳ないよと彼は首をぶんぶんと横に振る。
この学校には珍しいまともな感性を持っているらしい。

「俺もテストが終わったばかりで、この後復習しようと思っていたんだ」
「…あ、ありがとう…」

今日の今日で再テストが決まるとは相当だな。
解答用紙を見せてもらえば確かにひどい。
カリムより酷いやつがいたのか、と思いつつ 再テストは同じ問題かと問う。
彼はこくりと頷き、「丸暗記なんて愚かなことはするなよって」と苦笑する。
クルーウェル先生なら言いそうだ。

「一つ一つ理解すれば暗記なんて必要ない。まず、1問目だけど…」

時間はどれほど過ぎたか。
ナマエは随分と理解力がよい。
スポンジのようにどんどん吸収してくれるのだから教え甲斐もあるというものだ。

「これでひとまず一通りって感じだが。どうだ?」
「ありがとう、凄く分かりやすかった。凄いね、バイパーくん」
「え?いや、……そんなことないさ」

気を抜きすぎたか。
いや、まぁ…友達もいなさそうな彼から広まることはないだろう。
先生に何か言われても、復習をしたと言えばいい。

「明日のテストも何とかなりそう」
「それは良かった。また、何かあれば頼ってくれ。同じクラスなんだ」
「ありがとう、頭も良くて優しくて。とても助かったよ」

彼はかたん、と音を立てて立ち上がる。
その瞬間、華奢な体が揺らめいた気がした。

今気づいたが、彼はマジカルペンも持ってないし寮のリボンもついてなくないか?
ランタンを手にした彼はこちらを見てにこりと笑った。

「…なぁ、ナマエ。君は、」
「そろそろ戻らなくちゃ…ごめんねバイパーくん」
「あ、いや…おやすみ」

おやすみなさいと微笑んだ。


翌日。
同じクラスのアズールにナマエのことを尋ねたがそんな人はいないと彼は言った。

「休学なんて…聞いたこともありませんよ」
「そうか…」

アズールさえも知らないなんて、随分と体が悪いのだろうか。
けど寮に同室の人がいると言っていたし…。
そう思って全ての寮に尋ねてみるが ナマエという同級生はいなかった。

「…ゴースト?」

まぁ、決して珍しいものではないし。
疲れていたし化かされたのかと思うことにしたのだが。

その日のテスト返却でおかしな事が起きた。
返されたテスト用紙が俺のものだけ2枚綴りだったのだ。
なんだこれは、とクルーウェル先生を見ればお前の解答用紙だと笑った。
何を言っているんだ、と紙を捲れば間違いなく自分の字がテスト用紙の解答欄を全て埋めて でかでかと100点と赤丸がついていたのだ。

「こ、れ…なんですか?俺はこんな…」
「大人を舐めるなよ、仔犬」

続きは授業が終わってからだ、と言われてしまえば何も言えなくなる。
じっと見つめる解答用紙に並ぶ文字は間違いなく俺のものだし、この解き方だってそうだ。
カリムをラギーに押し付けて、食事も取らずクルーウェル先生の元へ向かった。
勢いよくドアを開けた俺を見て彼は愉快そうに口端を持ち上げた。

「どうした、仔犬。まるで、狐に化かされたようだな」

狐、と彼の言葉を復唱して頭に浮かんだ昨日の青年。

「もしかして…」
「たまにはいい顔できるじゃないか、仔犬」

昨日のあの青年だ。
ナマエという、あの。

「あの狐は…タチが悪い。人一倍人に化けるのが上手くてな」
「は?」
「そして…化けた相手の本性を見て、その人そのものになることができる」

そんなこと、あってたまるか。
本性だと?
見られたというのか、俺のこの感情を。

「1番になりたい」

俺の耳に直接吹き込まれた声。
先生にはきっと聞こえていない。
隣に立つ いつ現れたかもわからない、俺の姿をしたこの男と俺にだけ伝わったはずだ。
随分と精巧な作りだ。
仕草、表情…香りも もちろん容姿も。
まるで鏡を見ているようだった。

「あのテストは公表する気は無いから安心していいぞ、仔犬。ただ、お前の実力を測っただけだ」
「意地悪な先生だよね」
「実行犯が何を言ってる」

実行犯に仕立てあげたのは先生でしょう、と目の前の姿が揺らめき解ける。
現れたのは NRCに就職が決まったというスカラビアの先輩だった。

「っ?!!」

やばい。
もしさっきのが本当なら 全てバレている。
俺がこれからやろうとしていることを。

「そんなに怯えないでよ、バイパーくん。流石にね、勝手に見た事を言いふらしたりする趣味はないよ。まず、見習いとはいえ…俺は教師だ。生徒を守るためにいるんだよ。たとえ、それが…悪意孕むものだとしても…」

いいかい、と彼は俺の頭を撫でた。

「一つだけ約束をしよう、ジャミル・バイパーくん。それを守れるなら、俺はこれから起きるであろうことには目を瞑ろう」
「なんだ…」
「人は殺めてはいけない。これだけだ」

約束できるか、と彼は尋ねた。

「それを守れるのなら下克上も点数操作も目を瞑ろう。」
「おい、勝手を言うな」
「俺に任せるとおっしゃったじゃないですか」

クルーウェル先生は呆れたようにナマエを見てから溜息をついた。

「好きにしろ。その代わり、俺の授業では毎回…再度テストを受けて貰うぞ。それができないなら、その狐から根掘り葉掘り聞かせてもらおうか?」
「だ、そうだけど?どうする?」
「っ……わかり、ました…」

懸命な判断だ、と彼は笑った。
頭の上の耳がふわふわと揺れる。

「さて、話は以上だ。早く戻って昼ご飯を食べてくるといい」
「ナマエ、先輩」
「うん?」

約束は守ってください、と言って部屋を出た。





「…何を見た、ナマエ」
「可愛い子供の癇癪ですかね?」
「癇癪、な」

学生なんですよ、喧嘩した方がいいでしょうなんて笑えば苦虫を噛み潰したような顔を彼はした。

「お前の喧嘩は、そんな可愛いものじゃなかったが?」
「あはは、そんなことありませんよ?」

それにしても、人の本性というものは面白い。
どんな人には裏はある。
だがら、肩書きなんて意味がないのだ。
俺が知りたいのはもっと、もっと奥底のこと。

「あぁ、人は…これだから面白い」
「…厄介なものに目をつけられたな。あの仔犬も」
「俺が気に入るとわかってたくせによく言いますよ」

ふっと彼は笑った。

「聡明な犬は嫌いじゃないぞ」
「残念ながら、狡賢い狐なんですがね、」

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