わからない
廊下を歩けば道が開く。
コソコソと囁かれ、自分に視線が刺さる。
それに居心地の悪さを感じながら、校舎の奥へと進む。
準備室、と掲げられた部屋をノックし扉を開ける。

「失礼しまーす」

部屋の中、明かりはついているが人影はない。

「クルーウェル先生…?」

部屋の中に入って嫌な匂いが鼻腔を掠める。
甘ったるい吐き気のするような匂い。
その匂いは部屋の奥からしていて、そちらに足を進めれば零れた液体と割れた瓶が見えた。
そしてその傍らにぐったりと壁に持たれる先生の姿があった。

「…先生!?」
「っ」
「ちょ、大丈夫すか…?」

俯く顔を手を添えて上げさせれば焦点の合わない目が俺を映した。
頬は紅潮し、とろんと溶けた瞳。

「ナマエ…?」
「何したんすか、あんた」
「…な、ぜ…今日に…限って、来る…んだ…」

息絶えだえ、悪態を吐いて彼は弱すぎる手で俺を押し退けた。

「ぃ、ま…すぐ……帰れ」
「は?いや、あんたどうすんの。そんなんで帰れるんすか」
「俺を、舐めるな…」

いや、そういう話じゃねぇだろ とは思ったが 言い返したところで意味はないだろうと口を閉じる。
浅く呼吸を繰り返し、体を抱える姿は なんというか目に毒だ。
つーか、さっき甘い香りって と割れた瓶を振り返る。
瓶のパッケージの残った破片を手に取って、先生の方を振り返った。

「…この薬、生徒から没収したやつ?」

先生が顔を上げた。
ビンゴのようだ。

「……なぁ、どうする気?相手いんの?」
「っ、な、に…」
「ちゃんと効果知ってる?これ。解毒剤……他人の精液だけど」

ひく、と彼の表情が強ばった。

「ホリデーで帰る時に飲みもんに混ぜて女に使った…て。どっかの馬鹿が笑いながら言ってた。催淫効果も強いし解毒剤以外じゃ解除できない」
「……だ、たら…なんだ」
「相手がいんなら呼んできてやるよ。それかその人の場所まで運んでやる」

いるわけないだろ、と彼は言った。

「なら、どーすんの…?ここで誰かに抱かれんの待ってんの?」
「ぅ、る…さい」

はぁ、とため息をつけば彼の体がビクッと震えた。
さてどうしたものか。
男子校とはいえ、この人の人気は知ってる。
バレたらまわされるだろうなぁ…。

「先生、アンタが抱かれてもいい人誰だ?そいつ連れて来る」

彼はふるふると首を横に振った。

「…じゃあ、俺があんたを抱くぞ」
「っ、は…?」
「誰かに強姦されるなら、俺でも変わらねぇだろ」

嫌だ、と彼は言った。

「お、まえは……生徒で、俺はっ教師…だ。もし、なにか…あった、ら」

まぁ確かに。
生徒に手を出したとなりゃ、先生であっても無事ではいられないだろうけど。
理由ってそれなんだな。
男に抱かれるなんて、とか俺は嫌だとか言うもんだと思っていた。

「いいよ、先生」

制服のジャケットを脱いで床に敷き、彼を押し倒す。
彼のネクタイを解いて緩く手首を結び、やめろと弱々しい手で俺を押し退けようとする彼の頭を撫でた。

「…なんかあったら…俺に襲われたって言えよ」
「ぇ、」
「シャツ、すんません」

わざと力を入れシャツを引っ張れば 弾け飛んだボタン。
高そうな服だったし、申し訳ない。
見開かれた瞳に困った顔した俺が映っていた。

「…ちゃんと、優しくするから…少しだけ 我慢して」





気付けば、自室にいた。
体を起こせば 鈍い痛みが腰にあった。
机の上には丁寧に畳まれた洋服。
弾け飛んだと思ったボタンは綺麗に直されていた。

「…ナマエ、」

手首を縛っていたネクタイも綺麗に畳まれた傍らに置かれていた。
動かせば解けるほど緩く縛られていた腕も破かれた服も。
ただ、強姦をしているという状況証拠を作るためだったんだろう。

性行為をしていた間の記憶は曖昧だ。
薬が回りすぎていたのだろう。
だが、心配そうに俺を見下ろす目と慰めるように頭を撫でた優しい手は妙に記憶にこびりついていた。
次会った時にはお礼をしなければと思っていたのに。

「……ナマエはどうした」
「や、あの……多分、サボり…です」

あれから1週間。
あの男は俺の授業をボイコットしていた。

「……アイツと同寮の者…」
「…はいっス」
「今日寮へ行く。どんな理由でも構わん。部屋にいさせろ」

ラギー・ブッチはひくりと顔を引き攣らせた。

「出来たらご褒美をくれてやる」

ご褒美、という言葉に彼は表情を変え 任せてくださいと言った。
現金なヤツだ。

「授業を始めるぞ、仔犬共」

逃げられると思うなよ。
黒板に叩きつけたチョークが音を立てて折れた。





ラギーが珍しく俺の元へ来た。
基本的にレオナ先輩の世話をしてる同級生は この後用があるから部屋にいて欲しいと言った。

「その用って今じゃダメなのか」
「今、レオナさんにパシられてる最中で…」
「そうか、」

別段用事も無かったし、わかったと答えて自室のドアを開ける。
ベッドに寝転び、アイツが来るまで寝ていようも目を閉じた。

どれくらい寝ていたのか。
物音がして、目を開ければ見覚えのある白黒の髪。
微睡みが吹き飛んだ。

「っ!?!」
「目が覚めたか、愚犬」
「クルー、ウェル……先生」

俺に馬乗りになった彼は苛立ちを隠さず笑った。

「さァ、言い訳はあるか?」
「い、や……」
「まぁ……聞く気はないがな」

高そうなコートを雑に脱いで放り投げた彼は「抱け」と一言。

「嫌に…決まってんだろ…何が楽しくて男とSEXなんか…」

彼は不機嫌そうにポケットから小瓶を取り出した。
見覚えのあるパッケージと蓋を開けて漂う甘い香り。

「は!?!おい、やめろ!」

それを飲もうとする彼の手を掴めばキッと切れ長な目が俺を睨みつけた。
怒っても美人だな、と呑気なことを考えていれば彼の目にうっすらと涙が浮かぶのがわかった。

「なんで…泣く…?」
「っ」
「……アンタ、そういう顔似合わないよ」

とりあえず彼の手から薬を奪って、白黒の髪をくしゃりと撫でる。
泣き顔を隠すように自分の胸に引き寄せればすんなりと俺の腕の中に収まった。

「…悪かった、男を……抱かせて」
「抱かれたあんたも不快だったろ。さっさと忘れろよ」
「……不快じゃ、なかった………と、言ったら…?」

薬をサイドテーブルに置こうとしていた手が止まる。

「何言ってんの、アンタ」
「…お前に、抱かれたい」
「冗談やめろよ。先生」

冗談で薬まで持ってくると思うのか、と言われれば何も答えられなくなる。

「せめて、卒業まで……待つつもりだった」

あの時 俺が嫌だとは、言わなかった。
先生と生徒、それを引き合いに出したのは…そういうことか。

「………アンタ、趣味悪いぞ」
「言われなくても、わかってる」
「そーすか……」

このまま俺の前から消えるつもりだろう、と彼は言った。

よくおわかりで。
鞄の中にしまってある退学届けを思い出しながら、どうしたものかと天を仰いだ。

「………あー。なんつーか、アンタはそこらの女よりも別嬪さんだけど。どうやっても男だろ。俺はさっきも言ったが男とSEXする趣味も男と恋愛する趣味もないわけ」
「そうだろうな。俺だってそうだ」
「…なら、」

仔犬と一緒にするな、と彼は顔を上げ俺を睨みつけた。

「自分の感情が分からないほど、馬鹿だと思うか?」
「……いーえ」

俺の胸を押し、距離を空けた彼はまた俯く。
下を向くのがこんなに似合わない男もいるのだな。

「……すまなかった。あんなことをさせた上に、こんなことを言って」

彼はゆっくりと俺の上からおりて、放り投げたコートを拾った。

「…先日の件は、感謝してる。これ以上何かを望むこともしない。ただ、授業だけはちゃんと出ろ。……しっかりと、卒業してくれ」

彼は背を向けて部屋を出て行った。
残された俺は頭を抱え溜息をつくしかなかった。

なんで、俺に惚れた?
自分で言うのは癪だが、問題児だろ?
授業もサボるし、喧嘩もする。
あの人に怒られたのだって両手両足使っても足りないくらいなのに。

「趣味が悪い…」

去り際に見えた彼の横顔が、痛いほどに目に焼き付いた。

やめてくれ。
俺にそんな趣味はないんだよ。

じゃあなんで、あの時抱いたのか。
他に方法が本当になかったのか。
この一週間考えていたその疑問の答えは、やっぱり俺は持ち合わせていなかった。

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