ディアソムニアの錬金術師
「若様――――!!!!」

鼓膜を突き破るような大きな声に持っていたマグカップから手が離れる。
それをさっとキャッチしてくれたのはいつも眠たげな後輩だった。

「…大丈夫ですか、先輩」
「すまん、ありがとう」

若様、若様と大声で喚く…と言ったら可哀そうだが騒がしい後輩を振り返り零れなかったコーヒーを啜る。

「また消えたのか、寮長」
「はい…」
「そりゃまた難儀なことで…」

シルバーは少し困ったように笑って、探してきますと俺に背を向ける。
シルバーとセベクと違い俺はただディアソムニア寮に所属するだけの生徒だ。
あの二人のような忠誠心というものは持ち合わせてはいない。
まぁ、尊敬したくなる気持ちはわかるがなんというか抜けたところのあるマレウスは個人的に可愛い同級生であった。
まぁ、口に出して言ったらなんか呪われそうだから言わないけど。

「何を飲んでいるんだ」
「うわっ、と…おはよう、マレウス」
「あぁ、おはよう」

振り返ればもう2人の姿はない。
また入違ったのか、と溜息を吐き「インスタントコーヒーだよ。飲む?」とマグカップを傾けた。

「インスタントコーヒー…」
「あれ、飲んだことなかったか?まぁ、お前の口に合うとは思わんけど」

まだ熱いぞ、と言いながらマグカップを差し出せば少し躊躇ってからそれを受け取った。

「さっき、セベクとシルバーが探してたぞ」
「そうか。…うん、不思議な味だ…」
「安っぽいって言っていいぞ」

なんとも言い難い表情をしたマレウスからマグカップを返してもらい、また口をつける。
美味しいか、と言われればそりゃちゃんと淹れた方が美味いけど。
手間がかからないって利点が俺には味よりも価値があるのだが、まぁ彼にはわからないだろう。

残り少なかったコーヒーを飲み切り、傍らのソファに置いていたカバンを魔法で引き寄せる。

「じゃ、俺は先に学校行くわ。マレウスはちゃんとセベク達と合流してから行けよ」
「あぁ。わかった」
「じゃ、」

入学した頃はあんなに怖かったマレウスとも普通に話せるようになるのだから、人間は慣れる事には類稀なる才能を持っていると常々思う。

「ボンジュール、ムシューアルケミスト」
「おはようルーク。その呼び名、未だに理解に苦しむよ。俺は別に錬金術が得意なわけじゃない」
「そう思っているのは君だけだよ」

ルークはにっこりと笑って、「今日の課題は終わらせたかい?」と話題を変えた。

「古代呪文学?一応ね」
「最後の問題の考察だけ、あとで聞かせてくれるかい?少し自信がなくてね」
「俺よりレオナの方が…て。アイツは来るかどうか怪しいか」

ウィ、と彼は困ったように笑う。
1年留年している先輩を呼び捨てにするのは未だに慣れないが、まぁいいやって最近は思い始めた。同じクラスではあるが、授業にいるのは珍しい。
来たと思えばルークがタンポポと呼んでいるハイエナの獣人が傍らで疲れた顔をしているからきっと、苦労しているんだろう。
まぁ、それももう慣れたことだ。





放課後、サイエンス部の部室であなる実験室には俺一人がいた。
他の生徒はまだ来ていないのか、今日は来ないのか。
まぁどっちにしてもいいのだが。

大釜とずらりと並べた材料。

「えーと…ニガヨモギは煎じて…球根は粉末か…」
「何を作る気なんだ」
「睡眠薬を…て、先生」

いらっしゃってたんですね、と振り返れば「お前が白衣を着始めたあたりからな」と言われた。
俺が材料準備してるのも黙って眺めてたのか?趣味が悪い。

「そんな前なら早く声をかけてください」
「気づかないのが悪い。で?なんでまた睡眠薬を…しかも生屍水薬を作る気だろ?この材料」
「えぇ、まぁ…」

俺の後ろから向かい側の椅子に移動して、長い脚を組み首を傾げる。

「仮死体験でもしたいのか?それとも、目覚めてほしくないような誰かがいるのか?」
「まさか。どっちも違いますよ。ただ、ちょっと疑問があったんで」
「ほう、どんなだ?」

彼は目を細め、ふっと笑みを浮かべる。
この人は根っからの研究者だなぁ、とその表情を見る度に思う。

「催涙豆とナマケモノの脳みそがこれの基盤材料ですよね?そこにニガヨモギにアスフォデルの球根、カノコソウを加えたところで…なんで生屍水薬になるんです?イマイチ納得いかないんですけど」
「どこが納得いかないんだ?」
「解毒剤がなければもう目を覚まさない…屍を生む薬ですよ?脳みそ使ってるとはいえ、材料に対しての出来上がったものがでかすぎる。一応等価交換って最低条件っすよね?」

お前は毎回そこにひっかかるな、と彼は呟き顎に手を持っていく。

「お前の言った材料に足りていないのが1つ。魔力だ」
「けど魔力なんて人それぞれですよ?魔力の入れ方は習うけど、人間・獣人・人魚…種族が違うなら魔力も質というか種類が違うはず。なのに同じように言われた通り魔力を込めて同じものが出来るのってなんでです?魔力って材料としてどういう役割なんですか?」

そもそも、と呟き冷凍された脳みそを小突く。

「現代の錬金術ってツッコミどころ満載じゃないですか?なんで皆疑問を持たないんですかね…?魔力も材料だって言うなら、材料としての魔力にもっと注目すべきでは…?」

とりあえず、始める準備をするためにアスフォデルの球根を細かくカットしてすり鉢に入れる。

「今日の金属錬成についてはどうだった?」
「あぁ…今回の材料に人毛あったじゃないですか。そこからあれが生み出されるのがイマイチ納得いかないですね」
「それは質量保存の関係で必要不可欠だ。ただし、錬金後の物質の品質は確かに落ちる。代わりに黒鉛を用いることもあるが…」

なるほど、と呟きつつ混ぜる手を止める。

「質量保存ねぇ…。けど、そこに重きを置くと魔力ってどこに行くんですかね?確かに重さはないけど、確かに加えられているわけだし…熱とかと同じ扱い?にしては、完成後の物質に関与しすぎなんですよね」
「お前は…本当に面白い仔犬だな」
「なんです急に」

粉末はこんなものか。
あと催涙豆が、この重量に対してだと…13粒ってところか。
台の上に豆を並べ、ナイフの腹で潰せば「ほぅ」と彼は笑みを浮かべる。

「今度はなんです?」
「よく知っていたな。カットしてから抽出し入れる者が多いぞ?」
「カットして入れると汁が出にくいので、だいたい成功率は50%。潰して、汁を多く出して混ぜた時は70%まで成功率が上がる。…教本に記載がありました」





全く。
この仔犬の何が面白いって、自覚がないところだな。
大釜に入れた中身をかき混ぜる真剣な顔を眺めつつ、彼の後ろから興味深そうに大釜の中を覗きこむ生徒たちに視線を向ける。
本人は錬金術は苦手だ、と言っているようだが全くそうとは思えない。
在学生の中ではおそらくトップレベルの成績だし、研究者という目線で話せば彼が一番だろう。
彼の苦手と感じるその所以は、高校生向けに作られた教科書のレベルが彼にとって低すぎるから。
簡易的にまとめられた内容では、彼の言う納得いかない点が多くなるのだろう。
催涙豆を潰して入れるというのは、高校レベルの教科書に記載はない。最大限低く見積もっても、大学院の教本に記載があるかないかってところだろう。
潰して入れればその分だけ、魔力操作が難しくなるからな。
少しでも加える魔力が乱れれば、すぐに爆発を起こす。
そうならずに、完成一歩手前まで作れてしまえている彼には、やはり優秀だ。

反時計回りに回していた手が1度反対向きに周り、また反時計回りに動く。
一体どれだけ難しい教本で学んだんだか。
透明になったのを確認して、彼はやっと手を止めた。

「Good Boy!完璧だな」
「ありがとうございます」

小瓶に移し替える彼に「素晴らしいね!」とルーク・ハントが声をかけるとその肩が大きく震えた。
やっと気づいたのか振り返った彼は「お前ら来てたの?」と呟く。

「相変わらずだな、お前…」
「さすがムシュー・アルケミスト」
「だからそれ、俺には合わないって」

瓶詰した薬品を彼は丁寧に箱に移していく。

「どうするんだ、それ」
「サムさんに。完成したら、材料費チャラにしてくれるって言うんで」
「…相変わらず商売が上手い」

材料費を返したって利益が出るレベルだろうな、この純度の生屍水薬なら。

「俺も一緒に行こう」
「え?別に一人で行けますけど…」
「聞きたいことが山ほどあるからな。ひとまず、さっさと片付けてしまえ。他の仔犬は各自の課題に戻るように」

はい、と良い返事が返ってきた。
目の前の男だけはなんとも不服そうだが。

「それで?何の教本を参考にしたんだ?」

箱を抱える彼の傍らを歩きながら尋ねれば、彼はいくつかの教本を上げていく。
どれもこれも、俺が読むようなものばかり。
しかも、一つは古代語から翻訳されていないものだった。

「仔犬、」
「はい?」
「ひとまず、自分を見つめなおすことをお勧めする」

何を言っているんだ、と彼の目がありありと語る。
どうにかして気づかせ、卒業後は自分の補佐として飼えないものかと考えていたが一筋縄ではいきそうもない。

「いらっしゃい、小鬼ちゃん。と、ディヴィス。また一緒に来たのかい?」
「また?」
「…小鬼ちゃん、いつも一緒にいるじゃないか」

そんなことないですよ、と呟きつつカウンターに置いた箱。
それを開いたサムはにんまりと笑みを浮かべた。

「さすが、小鬼ちゃん!あの生屍水薬をこうも簡単に用意してくれるなんて!」
「これで材料費はチャラで」
「もちろんだとも!」

ぼったくりすぎだ、と呟けばサムは苦虫を潰したような顔をしてから、カウンターの下から本を出した。

「ディヴィスならそう言うと思ったよ。小鬼ちゃん、これはおまけだ」
「え?これ、俺が探してた…」
「またよろしくね」

何の本だ、と尋ねれば魔力構造についての本です、と彼は答えた。

「図書室探してもなくて。サムさんにお願いしてたんです」
「材料としての魔力に、納得がいかないから?」
「はい」

ここまでの探求心がありながら、その自覚がないのが何というか…。

「仔犬、」
「はい?」
「やはり、自己分析を課題にさせてくれ」

きょと、とした彼は首を傾げたかと思えば「あぁ、」と納得したように表情を綻ばせた。

「わかりました。ひとまず、自分の魔力構造の分析からしますね」
「…あぁ…違うんだが…いや、もう…それでいい」
「え?」



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