「今日は戸締りだけ確認したら帰っていいよ」
「はい。お疲れ様です委員長」
「鍵はいつも通り職員室に返しておいて」

 並中を仕切る風紀そのものを名乗る割には、窓から出て行ったりと激しいんだよな。びうびうと風の吹き込む窓をしっかりと閉じ、部屋の扉を施錠してから名前は応接室を後にした。そのまま職員室によってから当直以外誰もいない校舎を歩いた。夏だといってももう8月の終わりが近づいてきておりグラウンドから見えた空はだんだんと暗くなり色を濃くして並盛を飲み込もうとしていた。女子生徒をこんな時間まで一人にさせる雲雀に文句の一つでも言いたかったが、そんなことをすれば再びあのトンファーの餌食となるのは確実だ。以前にもトンファーを食らったことがある名前はあの鉄の感触を思い出してブルリと震えた。人間として扱われたいな。

「名前、今から帰りか」
「笹川先輩!」

 ふと後ろからかけられた声に名前は胸を躍らせた。疲れ切った顔もたちまち笑顔で満たされる。どうして面倒な風紀委員の仕事を今でも続けられているのかと一言で言えば、この仕事には高確率でご褒美と称されるものが付随してくることを覚えてしまったからである。はやる気持ちを抑えて振り向けば期待を裏切ることなくその人はいた。
 遅くなる仕事の終わりは決まっていつも部活終わりの笹川了平と鉢合わせる。それが偶然であると名前は信じて疑っていなかった。日頃徳を積んでいるおかげだね。

「今日も部活ですか? お疲れ様です」
「ああ、お前も仕事だったんだろう。さあ、暗くなる前に行くぞ」
「はーい!」

 笹川了平という男は誰にでも優しい。自身の肉体を持ってしてファミリーを守護することを疑問に思わない程度には、彼の優しさというものは誰に対しても等しく降り注がれるものだった。ファミリーとかマフィアとか、そういう組織のことは中学生の名前にとっては意味不明のものだったが、別に気にするなと言われて以降、詮索はしないようにしている。誰にだって黒歴史とかそういうのはあるものね。生暖かく見守ろうと心に決めていた。別に気にするな、と言った了平は黒歴史を生産しているわけでも名前を慮っているわけでもなく、単にマフィアなどを理解していないということを名前が知るのはもっと後のことになる。
 先にも言ったように笹川了平という人は優しいので、もしも目の前で怪我をしている人間がいるならば、例え試合のゴングがあと少しで鳴るような場面であったとしても見捨てるようなことはあり得ない。名前は雲雀のトンファーの餌食になって床に転がった入学してすぐの頃を脳裏に浮かべて、ちょっとだけ苦々しい気持ちになった。了平に助けてもらえたきっかけは雲雀なのだと思うと感謝すればいいのか、いやしちゃダメだろうという気持ちがない交ぜになって答えは出ないまま今に至る。転がっていた知り合いでもない名前に彼は当たり前のことだろうと笑って手を伸ばすことができる人間だった。普遍的な優しさを彼は持つ。人として持つべき善性、自分の正しいと思ったことを成す行動力、どれを取っても名前には彼は憧れるべき人であった。

「先輩と一緒に帰れるから遅くまで仕事あっても頑張れちゃうんですよ」

 嬉しくてつい口から言葉が飛び出てしまった。はっと自分の犯したミスに脳の動きが止まる。
 放課後に鉢合わせるたびに家まで送ってくれるのも、彼が彼であるからであって、決して好意があるとか下心があるからはないことを名前は理解していた。それを変えようとも思わない。それなのになんだこいつ調子乗ってるのかとか思われたらどうしよう。太陽を直接見ることは叶わなくても、その光が落とす自分の影ぐらい愛していたかった。それもこれまでか……ジ・エンド・オブ私……。脳内会議が激化している一方で了平はその、なんだと言葉を探し当てようとしている。冷や汗が滝のように流れるのを感じた。

「俺も名前と帰れるのは嬉しいが、無理はするなよ。お前が頑張っているのはよくわかるが、お前の代わりはいないのだからな」
 憧れの太陽はさらりとこういうことを言う。ぎゃああと煩く叫ぶ名前の声を聞いて、並中に雲雀が戻ってくるまでのわずかな間、了平は突然真っ赤になった後輩を病院に連れて行くべきか真剣に悩むのだった。