寧日を知らない
「だからまだ駄目だと何度も申し上げているでしょう」
何度目だろうか、片手じゃ足りないほど同じセリフを繰り返していた。断じて言おう、私は壊れたスピーカーではない。むしろ壊れているのは同じことを何度も聞いてくる軍人さんたちの方だ。むすっと不機嫌を前面に押し出した顔をする彼らに私も同じ顔をした。
あの緊急手術から時は経ち、患者の容体は段々と回復傾向を見せ始めていた。医者としてそれは喜ぶべきことであったが、同時に自分と尾形さんの寿命へのカウントダウンですらもあった。
尾形上等兵の手術を受け持った私が彼らに提示した条件は私が患者の主治医となって術後の経過を任せることたった一つだ。手術の次の日には軍医が出戻りしていたし衛生兵もいたけれど、患者を渡すのは私の唯一の命綱を手放すことだったからだ。患者の尾形さんには悪いが、まだまだ安静にしておいていただく他はない。彼だって原隊復帰後すぐに殺されたくはないはずだ。私だって死にたくはないし、何より自分で救った命がすぐに無くなるところなど想像したくはなかった。本当に彼の治りは異常に早くて顎以外の傷は殆ど癒えてしまっているのだから、軍人たちの言い分も分からなくはない。
また来ると仰った軍人が部屋から出ていくとフゥと息をつく。あと数日観察が必要と書き込んだカルテから手を離してそのまま回診に向かった。
尾形さんが眠っている部屋はいくつかのベッドが並んでいたが現在使用されているのは彼のベッドだけだった。(ちなみに一番日当たりがよさそうな場所で寝かされている。)首や顔、腕などががっちりと固定されていて身動きはできないため彼は1日の殆どを寝たまま過ごしていた。起こさないように静かに近づいたつもりだったが、努力も虚しく彼の猫目は僅かに見開かれていた。何しにきたとでも言いたげだ。医者が患者を見にきて何が不思議だと言うのか。気づかないふりをして近くへ寄ると余計に視線が突き刺さった。まぶたを持ち上げるのだって辛いくせに常に気を張っているところがやはり猫みたいだ。
「ちょっと痩せましたかね。やはり大の大人じゃ点滴と流動食だけじゃ足りないですよね……」
「まあ、思ったより凄まじく治りが早いのであと少しで普通の食事がとれるはずですよ」
だたの怪我だったらもう固形食に移行していたが彼の場合は損傷箇所が顎だった。ろくに口も開けないので仕方のないことではあるけど、三大欲求のうちの食欲が満たされないのは辛いだろう。
腕の点滴を確認したり、包帯を取り替えたりしているうちにあっと言う間に時間がたった。いつの間にか眠ってしまったのか、彼の大きな瞳は伏せられていた。緊張はあまり長い時間続かない。いつしかぷっつりと糸が途切れてしまうのは人間なら誰にでも言えることだ。ただでさえ怪我人なのだから、今ぐらい寝ていても誰も怒らないのに。
丁度いいから後日抜糸予定の顎の縫合に触れた。尾形さんは起きているときに触ろうとすると滅茶苦茶に嫌がるのでこの隙を逃す訳にはいかない。
肉が引きつってる訳でも間隔がバラバラでもない見事な縫合に自分の事ながらうっとりしてしまう。衛生的にも劣るこの時代でここまで上手く処置できたのは嬉しく思うのも仕方ないのだ。感染症を引き起こしていたら傷口を洗浄したりとまた時間がかかってしまうし何より患者への余計な負担だ。
「傷跡は残ってしまうでしょうが……大丈夫だから、今は安心して眠ってください」
顔にかかった髪の毛をさらりと横へ撫で付けても、瞼は重く閉じられたままだった。こっそり持ち込んだ自家製の鎮静剤を投与しているから、感覚があったら逆にびっくりしてしまうが。