0円食堂へようこそ
「じゃあお大事になさいませ」
「先生ありがとうございました」
夫人に見送られ大きな門をくぐり抜けて外を見ると、すっかり暗くなってしまっていた。朝家を出たのが大分昔に感じるなと思いながら襟巻きをさらに巻き直した。外は寒いが、懐はとても暖かい。この家は時々伺うが、毎度毎度大金を与えてくれるのでいい家だ、是非とも長生きしてほしい。基本的に診察料は必要以上にいただくことはなかったが、寄付だったり、自分の命に価値を見出しているご老人などはよく色をつけてくれていた。無論、慈善事業を行なっている訳では無いのだが、時々駆け込んでくる貧しい家の人々を無下にできないのも本心だった。彼らのおかげで無料で診察できているので実際大変助かっている。
今日はズワイの押し寿司も頂いてしまったのでそれでも食べよう。ガス灯の灯がゆらゆら揺れているのを背に感じながら街中にある診療所に向かう。山の中に今から向かうのは億劫だったし、最近は何かと物騒だから女一人で夜に出歩くこともない。診療所まであと僅か、私は朝には見覚えのない物を見つけて足を止めた。濃い紫の羽織が雪の中に埋もれている。蛍光灯にぶつかって死んだ蛾みたいに伸びているのは紛れもなく人だった。
声をかけても無反応だったので急いで首筋で脈をとればとくとくと規則正しく波打っていた。生きてはいるようだが、これからもっと冷え込むのにこのままでは死んでしまうだろう。診療所の前で死体なんて、あまりにも縁起が悪すぎる。それに、この顔は見覚えがあった。一度診療所に戻り荷物を置いてくると、気を失っている男を肩に担いでいそいそとまた診療所へと戻った。誰にも見つかってませんように。
「いやぁ助かったぜ、苗字さんつったか。ありがとな」
「はぁ」
男はいつの間にか勝手に淹れた茶を飲みつつケロリと言ってのけた。(やっぱりお寿司には緑茶だよね!)
部屋のベッドに寝かせるなり起き上がったその男は自分のことを白石を名乗った。知ってますよ、とは言える訳もなく私はよろしくと当たり障りのないことを言うだけに留め、たんこぶなどの治療を行なった。それよりもっと前に起きれなかったのかこの坊主は。180センチ近くある脱力している男性がどれだけ重かったと思う。その証に彼の履いている履物は少し削れていた、ちなみに申し訳ないとは全く思っていない。
慣れない体力仕事の上に治療も行なってクタクタになったので私も早々に寝ようかと思ったが、白石の腹の虫が鳴りこうして一緒にズワイの押し寿司を摘んでいた。折角のご馳走が次々と白石の胃の中に吸い込まれていく。まあ、量が多かったのは確かなのでいいけれど、いいけれど。米粒をつけてニコニコしている男は遠慮というものが抜け落ちて生まれてきてしまったのかもしれない。聞くに、賭け事に負けてやくざ者に追われているうちに寝ず食わずのまま逃げてきて、ついにこの診療所前で倒れ込んだのだという。うちはやくざ者とは一切関わらないと決めているのに問題が魚雷のように飛び込んできてしまった。
「今外出たら苗字さ……苗字ちゃんが俺と関わったことがヤクザにバレちまうかもしれねえなぁーー」
「……つまり?」
急になれなれしくなった白石に笑顔で問う。
「ほとぼりが冷めるまで住まわせてください!」
こんなに家に帰りたいと思った事はなかった。勿論、診療所は家ではない。山にある小さいながらも暖かな家に帰りたい。頭ではそう思っていても白石を追い出す事はできなかった。本当にヤクザに追われているならば死んでしまうような事になりかねない。皮肉にも彼は物語の最重要人物と言っても過言ではなく、見捨ててしまう事は物語の結末を変えてしまうかもしれない。命を助けられたアシリパさんや杉元さんを困らせるような事は絶対にできなかった。それでも、一日の診療を終えて買い物などをして帰って一番最初に見る顔がだらけ切った白石だというのは少し、いや結構辛い。彼は生粋のヒモだと言うことをマジマジと知らされてしまうのだ。
「名前ちゃんーお腹すいたぁ」
「そう言うなら米でも炊いといてくださいよ」
白石は徹底的に家事をやらなかった。日がな1日何をしていたのか聞くと新聞を読んだり、その新聞の上で爪を切ったり、寝たりしていたと豪語する。暇で死なないのだろうか。監獄と違って強制労働がない分よほど暇だと思う。短期間でヒモとしての才覚を現した白石だが、普通こう言うのって家事ぐらい手伝ったりするもんじゃないのか。疑問に思う一方、備品や洗濯物に触れられたくはない気持ちもあった。そんな気持ちを汲み取ってか知らずか、白石でも自分の洗濯物は自分で洗っているし、別にいいかと感じるようになってしまったあたり大分絆されている。役に立たないし鬱陶しくはある。それでも彼のことが追い出せない程度は好きならしかった。
「今日はどこ行ってたの?」
おひつからお米をよそい終えると、白石は思い出したように呟いた。今日の晩御飯は焼き魚である。
「ここからちょっと離れた村に。いわゆるタダ働きというやつです。いただきます」
「いただきまぁす。本当に謎なんだけどさぁ命の価値によって貰う値段変えるなんて、いい人なんだかへそ曲がりなんだか分かんないね」
「私は私の薬が試せるし、彼らは殆どタダで治して貰えるんです。win-winな関係ですよ」
命に値段があると仮定して私は診療を行っていた。例えば、大金持ちと貧乏人、どちらの命に価値があるかといえば大金持ちだろう。大金持ちはそこに到るまでに努力をし、周りに多大な影響を与えるが、貧乏人がどうなろうとも見て見ぬ振りをする人が大半だろう。言ってみれば、貴方に価値はそうないから少しの代金でいいですよ、そういうことだった。そうしておくと、無料で診察するよりも人々が気兼ねなく頼ってくることが経験上わかっていた。人は施しを受けるという屈辱に絶えることが出来ない生き物らしく、必要であっても手を伸ばせないことがままあるようだった。
「名前ちゃんってさァ、変人だよね」
バリバリと頭から魚を食べながら彼は言った。小骨刺さらないのかな。
「そんなことないですよ」
「だって、そんな恨まれるようなことさしないでしょふっつうの人なら」
「幼い子なら分からないかもしれないですけどね、親御さんたちには好評なんですよ」
命に価値を与えている私にとっても、命とは尊いものである。何にも代えられないのは当たり前だ。それでも、そうすることで救える命があるのなら私は喜んで悪役に回ろうと思う。
「じゃあ俺の価値ってどのぐらい?」
「タダ飯食らってるってことは、そういうことよ」
「嘘ォ……」
タダほど高いものはない。白石の命に代えはきかないのだと、彼に教えてあげることはついぞなかった。