※未来設定

目に見える夜の灯りをひとつづつ数えてみる。まん丸の月、まばらに光る星、途切れ途切れに置かれている蛍光灯、誰かの家からこぼれる灯り、先ほどすれ違った自動車のライト。と、今もうすぐ家に着くことを伝え終えた自分のスマホの画面。
返信はすぐ来て、丸々したピンクのウサギが嬉しそうな顔をしてグーサインしているスタンプだった。その気の抜けた表情がなんだか春に似ていて、少しだけ笑みがこぼれる。最近春の中で流行っているキャラクターらしいが、名前を忘れてしまった。また帰ったら聞いてみよう。もうひとつ見えてきたマンションのひと部屋の灯り。3日ぶりの我が家だ。

ここから先は覚悟の上で

スーツのポケットに入れっぱなしの鍵を取り出して鍵穴に差し込むとがちゃりと音がなり自動ドアが開いた。このオートロックマンションに引っ越したのはつい2ヶ月前のことだ。初めは2回も鍵の開け閉めをしなければならないことを面倒に感じていたが、案外すぐ慣れた。それに自分が社会人野球チームに所属している分合宿や遠征で家を空ける事も何度もあるし、もしもの不安はできるだけ少ないほうがいい。とはいえ小さなマンションだからエレベーターはない。そして階段を登り終えて玄関の鍵を差し込む前に開いたドアの向こう側には何か言いたくてうずうずしているといった様子の春が立っていた。

「なんだよ」
「ね、見てみて」

玄関から身を乗り出して指差した先には長方形のパネルのようなものがあった。

「ああ、出来たのか」
「ふふ」

それは倉持と彫られた表札だった。

「夕方ちょうど仕事から帰ったときに届いてね、さっき付けたの」
「中々立派じゃん」
「ここが倉持さんちだよ」
「倉持夫妻さんちだな」

そう言ってやると、春の耳が少し赤くなった。わかりやすいやつ。
付き合っていた頃に一緒に住んでいた古いアパートは籍を入れる時に出た。あの小さなベランダやこじんまりしたキッチンは嫌いじゃなかったけど、ふたりの給料にちゃんと合っていて、これから子どもが生まれた時に整った環境で育てられるようにと話し合った結果治安も悪くなく俺たちの実家にも近いこのマンションに決めた。
その時点でしばらくはここに住むことが決定したので表札を作りたいと春が言い出した。前のアパートではそれぞれの苗字を紙に書いてガムテープで貼っただけだったので、まあせっかくだしそういうのも良いかと適当な返事で任せきりにしていたが、いざ出来上がったものを見るとこれもなかなか良いものだと素直に思った。ただ、生まれた時から付き合ってきたはずの自分の苗字なのになんだかむずかゆい。きっとそれは春の苗字でもあるから。

「あ、言うの忘れてた。おかえり。合宿どうだった?」
「ただいま。まあまあだな。お、今日カレー?」
「そう、しかもカツカレー」
「やった」
「メンチだからキャベツでカサ増ししてるけどね」
「いや、嬉しい」

玄関を上がりリビングから廊下へ漂う香りに鼻をひくつかせる。料理はできる方がやることになっている。最近は俺の帰りの方が遅いので任せっきりなのだが、自分より春の方が上手いので正直助かっていた。

「うまかったです」
「お粗末さまです」
「食器洗うわ」
「イエ〜私拭くね」

最近毎日夕飯を作ってもらっているご機嫌取りのために食器を洗うのは俺の仕事にしている。こういう時他の新婚なら「仕事疲れてるでしょ?私がやるから休んでて(ハートマーク)」とか言うのだろうが、こいつは決して俺を甘やかさない。
他愛もない話をしながら食器を洗い終えた時に春がエプロンの紐をほどいた見慣れているはずのその仕草がなんだか色っぽくて、胸がどきりと高鳴った。

「…?洋一?おわっ」

覗き込んだ春の腰に手を伸ばして半ば強引に引き寄せる。ぱっと見とても細いといった外見ではないけれど、触れた肌の柔らかさや腰つきは見た目より幾分も細く女性のそれだった。

「春ちゃんちゅー」
「や、やだよカレー食べたばっかだし」
「あ、前歯にキャベツ」
「ぎゃー!」
「嘘」

仰け反る春をもう一度引き寄せて額にキスを落として、そのまま鎖骨にキスをした。

「んんっ、」
「表札ありがとな。今日はたっぷりお礼してやるよ」
「ば、ばか」

こういうやり取りに未だに慣れない春が耳も頬も額まで真っ赤にさせ弱っちいチョップをかまして、俺は仕返しに脇腹をくすぐる。他愛ないやり取りに腹の底からしあわせがこみ上げてきて、もう一度春を抱きしめた。

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七万打リクエストで「倉持と新婚さん」でした。リクエストありがとうございました。まみむ

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