さもなくば過去編。


※中3 冬


「 春、さびしい」

一也が伏し目がちに呟いたその言葉は静かに空気に消えていった。半分だけ夜になった薄暗い空間にぼんやりうつるその姿は普段の彼より幾分も弱々しく、このまま夜が影を落としきったとき暗闇が彼を連れて行ってしまうような気がした。

そっと一也のそばへ行って手を握ってやると少しだけ表情は柔らかくなったが、握り返す握力は微かに震え顔色は悪い。一也は時々こうやって不安定になる。そうなってしまったきっかけはおそらく彼のお母さんを亡くしてからだ。
亡くなったのは私達が小学生のときで、葬儀の間泣くこともなくただ呆然としていた一也の姿と細い線香の煙は今も脳裏にこびりついている。
たぶんあの日から、一也の心の中にあるお母さんの穴はぽっかり開いたまま。やっと少しづつ受け入れてきていて、さびしさを自覚したとき、そうやって傷ついた穴をなんとか埋めようとするときに彼は不安定になるようだった。彼は変なところで不器用だ。
さびしい、のときもあるし、かなしい、のときもある。たいていは最初に私の名前を呼んでそれらの言葉が続く。一也がそうなると私はできるだけ彼と一緒にいて、その日の夜は2人で寝る。

「さびしい」
「うん」

一也の部屋で向き合った私の首元に、彼が顔をうずめる。その佇まいがすこし触れば壊れてしまいそうで、私の心はこわばる。しばらくそのままにしていると、彼の涙で肩がじわりと湿った。声もあげず涙を流すようになったのもあの日からだった。

「春」

再び私の名前を呼び顔をあげた一也の瞳はぼんやりしていた。嗚咽のひとつもこぼさずぽろぽろと涙を流す姿はテレビドラマに出てくる女優のようだ。数センチ保っていた距離が短くなり、お互いの吐息がくちびるに掛かる。そのままふれたなまめかしい感触は薄い塩分の味を含んでいた。

「ん、かず」

言いかけた名前を遮るように反転する世界へ身を委ねる。少しだけ呼吸の浅くなった一也がそのくちびるを私の首筋に這わせた。

「あ」

初めて行為をしたのは1年ほど前だった。学校が終わって四六時中一緒にいた幼なじみが少しずつ男女の距離になっていくのは私達にとってそれはそれは自然なことで、彼を受け入れることも、隣にいる事も当たり前のことのように感じた。

「は…はっ…」

何度も打ち付けては途切れ途切れになる甘い呼吸を漏らす。この余裕のなくなっていく表情が好きだ。きっと一也は私しか見てなくて、かなしみも今だけは忘れられてるはずだから。だから、私は何度でいつまでも彼を受け入れる。自分が野球以外で彼に必要だと思えるから。まだ彼の中に自分が存在しているのだとわかるから。

ごめんな。

行為を終えて最初にいう言葉はいつも決まっている。私はそれに返事をしない。謝る事なんかないと思っているけれど、この罪悪感が彼の中にある私の存在への鎖となって離れられないようにしていたいから。あの日から、私達の関係は少しずつ歪んでしまった。一也と彼のお母さんと笑いあった過去があまりにも遠退いてしまったように感じて少しだけ涙がこぼれた。


あわよくば


0225


七万打リクエスト「さもなくばの続編」でした。続編というよりは過去編ですが、、真っ平らな恋でなく、過去にこんな事もあったからこそさもなくばでの信頼関係を築けたのだと思います。どこかの時間軸でふたりともちゃんと想いは通じ合えています。
リクエストありがとうございました。 まみむ

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