昨日の夜友だちに借りたマンガを読んでいたら夢中になってしまい気づいたときには最新巻まで一気に読んでいた。結局床についたのは深夜の3時で、朝お母さんに叩き起こされてなんとか遅刻は間逃れたものの、もう眠くてフラフラだ。それでも昼休みまでがんばったのでしばし休憩を挟もうと机に伏せってうとうとしていたら大きな声が廊下から私の耳へと突き抜け、あと少しで夢の世界へと旅立てたはずのわたしは途端に現実世界へと腕を引っ張られた。
安眠を妨害されたという不機嫌極まりない気持ちのまま顔を上げて大声の聞こえたほうへと視線を送ったら、野球部で有名な成宮くんと神谷くんだった。

「逃げんな!」
「俺だけじゃないのに!」

教室の前を通り過ぎたのがすごい速さだったからこれしか聞き取れなかったけれど、おそらく成宮くんのイタズラを怒っての追いかけっこだろう。話したこともない人達にわたしの睡眠を妨害された不快な気持ちをぶつけるわけにもいかず、とはいえこの感情をどうにかしなければ気が収まらない私は次の授業図書館で休もうという結論に達した。けっして言い訳ではない。あそこなら静かだろうし、司書室の先生もやる気がないから見逃してくれる。そうと決まればと友達にサボることを伝えさっさと教室を出た。

 昼休みが始まった頃から小雨が降り出し、ほのかにカーテンを揺らす初夏の風はなかなか心地よい。予想どおり知らん顔の先生がいるカウンターを抜け本棚に見向きもせず奥の一番人目につかない席へと腰を降ろす。本が痛まないようにと最善の構造で作られた図書館は真っ昼間でも薄暗くて風通しもよく昼寝に最適だった。
腕を枕に小さな暗闇を作る。再びわたしが眠りの世界に足を突っ込むのに時間はかからなかった。


 「授業、始まってるけど」

 何分、はたまた何十分経ったのか、突然声が聞こえて顔を上げたわたしの目の前にいたのは隣のクラスの白河くんだった。右手には茶色のブックカバーがかかった文庫本が掴まれている。
ぼんやりした寝起きの頭でなんでここにこの人が居るのかな?と思った。記憶が正しければ、わたしは彼とまともに話したことは無い。今日のわたしはどうも野球部に縁がある。もちろんいい意味じゃなく悪い意味のほう。

「…自習だから」
「俺のクラスもそうだ」
「そ、そうなんだ」
「寝ないのか」
「寝るけど…」
「どうぞ」

 促されるような形で再び机に伏せる。こんな謎な状況で寝れるわけ無いと考えてみたものの、ほぼ徹夜の睡魔の威力は強く、わたしをあっけなく飲み込んでしまった。

 顔を上げて、一番始めに目に入ったのはやっぱり彼だった。

「起きたか」
「…おはようございます」

 本から顔を上げた白河くんに返事を返して時計を見れば、すでに六時間目が始まっていた。ここへ来たのが四時間目の始まる前だったから、二時間丸々寝ていたことになる。通りで体が痛いはずだ。腕なんて痺れて感覚が麻痺している。だがしかし、それよりも気になるというか、引っかかることがひとつ。

「あの…白河くん」
「…何だ?」

 白河くんが小さく眉をひそめた。

「六時間目始まってるね」
「…ああ、気づかなかった」

 嘘だ、と思った。彼がそんなにルーズな人間じゃないということは言葉を交わしたことが無いわたしでさえわかる。おかしい。何かおかしい。
 まず白河くんのクラスから図書館に行くとなると、彼は絶対にわたしのクラスの前を通らなければならない。わたしが図書館に来たのは授業開始前であって、白河くんのクラスが自習だったとしてそこから抜け出して来たとしても、確実に彼はわたし達のクラスで先生が授業を進める横を通ってきたことになる。私のクラスは古典だから絶対教室で行われているし、もしかしてこの人は、わたしのクラスが自習じゃないなんて始めから知っていたんじゃないのだろうか。自習じゃないと知っていて、今わたしを見逃しているんじゃないだろうか。なぜ?

「あの」
「何?」
「ごめん。自習っていうの嘘なんだ」
「知ってる」

あっけらかんと言ったその言葉に、眉をひそめる。彼の思惑がわからない。

「頭の上、疑問符浮かべすぎ」
「えっ」

そう言った後の表情が今まで見たことのないあまりにも優しい笑顔だったものだから、わたしは次にいう言葉も聞きたかったこともすっかり忘れて彼を見つめ返すことしかできなくなってしまったのだった。
直後に吹き抜けたゆるい初夏の風が、白河くんの髪をそっと揺らしていた。

151206 ふらふらゆらぐ

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