ふたつのてのひら
番外篇 - 例えばそれがもし運命ならば

「異動要請?」

十一番隊隊主室。
そこに、同隊六席にして副隊長を除く唯一の女性隊士である如月里香はいた。

「私に、ですか?」
「ああ」

問い掛ければ、隊長である更木剣八が低い声で唸って、一枚の紙切れを差し出した。

「……でも私、つい最近六席になったばかりじゃないですか」
「ごちゃごちゃうるせェな、俺が知るかよ。そういうことは十番隊の隊長に聞け」

剣八はいらいらと語調を強めた。

他隊への異動方法は、主に三つある。
一つは他隊からの引き抜き。
もう一つは自隊からの推薦。
そして、自ら希望する場合。

中でも他隊からの引き抜きが大半を占めており、里香もまた、その例外ではなく、十番隊から三席への昇進を条件として異動要請を受けたのだ。

剣八は考えとけ、と面倒臭そうに書類を机の上に放って、それから黙って出て行ってしまった。
残された里香は、たった今かなり投げやりに自分に渡された一枚の書類を見つめた。



***



「……それで。お前はどうしてえんだよ」
「どうと言われましても」

一角はくい、と酒を飲み干して、それからそう言った。
里香は先ほどから一向に減らない酒を見つめながら、眉間に皺を寄せる。

「断りたきゃ断れ。受けるならさっさと決めろ」
「それが出来ないから僕らに相談してるんじゃない」

弓親は酒を酌む一角を横目で見て、頬杖をついた。
里香が頼りなく笑ったのを見て、一角はまた酒を口に運ぶ。

「弓親、あんまりこいつ甘やかすな」
「別に甘やかしてなんか」
「結局は、全部テメェで決めなきゃならねえんだぜ」
「……分かってます」

傍から見れば、一角の言葉が里香を突き放しているようにも取れる。
けれどそうではないのだと、弓親も、そして里香自身も分かってた。
不器用なのだ、ただ彼は。



***



 「……そうか」

あくる日の朝、里香は再び隊主室を訪れた。
前回は不在だったやちるも、今日は暗い表情で剣八の隣に立っている。
一晩考えた結果だ。
うじうじと引き伸ばすのは性に合わない。
全て自分自身で決めたこと、後悔するつもりはないが、やはり悲しく、そして淋しかった。

「ほんとに行っちゃうの」

今にも泣き出してしまいそうな、震えた声でやちるはそう言った。
里香は言葉が出なくなって、ただ静かに頭を下げた。

「……やっぱり、行くんだね」

隊主室の扉を開けたその先に、待ち構えていたのは恋次と弓親だった。

「いいんじゃねえか、三席。お前ならすぐにでも上に行けるだろ」

違うよ恋次、私は上を目指したい訳じゃない。
そう言いたかったのに、里香の口から出たのは音のない小さな吐息だった。



***



「なんて顔してんだ」

揃って修練上へ顔を出して、あの場にはいなかった一角から食らった本日の第一声が、それだった。

「……異動のお話、受けることにしました」
「……そうかよ」

それだけの短い会話を交わした後、一角は背を向けてもう一勝負と歩き出した。

「一角さん、そりゃ無いっスよ……」
「あ?」
「里香は護廷隊に入ってからずっと十一番隊だった仲間じゃないですか。もうちょっと何か言ってやっても」
「恋次」

彼の言葉を遮ったのは、他でもない里香自身だった。
いいんだよ、これで。
里香は笑って、そう言った。

「お世話になりました」

里香は深々と頭を下げて、それから続けた。

「これからもよろしくお願いしますね」
「……やめろ、気持ち悪ィだろうが」

背を向けたままの一角だったが、彼は多分、笑っていた。



***



「……お世話になりました」
「同じ言葉ばっかり何度も繰り返すんじゃねえ」

任官式の後、里香は剣八の元を訪れていた。
先日送別会と称して十一番隊で盛大な飲み会を開いたが、せめて隊長・副隊長にはきちんと挨拶をするべきだと思ったのだが、逆に煙たがられてしまった。

「ありがとうございました」
「よせっつってんだろ」
「済みません」

里香が苦笑いを返すと、剣八の陰からやちるがひょっこりと顔を覗かせた。

「里香ちゃん!」
「副隊長、」
「いつでも戻って来てね、待ってるからね!」

はい、とは頷けなかった。
けれどやちるは満面の笑みで。
里香はそっと頬を緩めた。

「……では、失礼します」
「待ちな」

去り際の里香を引き留めて、剣八は何か小さな物を手に取った。

「餞別だ、持ってけ」

そう言って剣八が放り投げた物は、りんと音を立てて、里香の掌に納まった。

「……鈴、ですか」
「俺の、歪んだやつだがな」

言われて手中の鈴をまじまじと眺めたが、別段大きな歪みも無い。
綺麗な球状だった。

「……これ」
「つるりんが直したんだよ」
「一角さんが……?」

その鈴が剣八の物と大きく違ったのは、ピアスの先にぶら下がっているということだった。

「一角からの伝言だ。もう挨拶には来んな、だとよ」
「……」

理由は分からない。
ただ小さく、鈴のピアスを包む手が震えた。

「……隊長」
「何だ」
「これ、一角さんに渡して頂けますか」

言いながら、今まで自身の左耳で揺れていた、輪になっただけの小さな黒いピアスを外して、剣八に渡した。

「……ったく、どいつもこいつもいい度胸してんじゃねぇか。テメェら俺を何だと思ってんだ」
「済みません」
「さっさと行け」

剣八は犬を追い払うかのように手を振って、そう言った。
閉まりゆく隊主室の扉へ、里香はまた深く深く礼をした。



***



「……ったくよォ、こんなもん俺にどうしろっつうんだよ」
「だから言ったじゃない、格好つけるの止めたらって」
「うるせえぞ弓親」

里香の小さなピアスを掌で転がしながら、一角は一つぼやく。

「いっそ、一角さんも耳空けたらどうっすか? 里香とおんなじとこに」
「ああ!? 何で俺があいつと同じ場所に穴空けなきゃなんねえんだよ。こんなもん一生封印してやる」

恋次の言葉に怒鳴りつけるように反論して、一角は袖口にそれを仕舞う。
そんな彼が可笑しくて、弓親と恋次は顔を見合わせて二人で笑った。









えばそれがもし運命ならば
(この道を歩んでいなければ、私の居場所は今どこにあるのだろうか)


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