「人探し?」
繁華街、ネオンを浴びて歩く、スーツを着た男性が振り返った。
出で立ちはサラリーマンのようで、辺りへ首を巡らせていた。この辺りの路地裏は入り組んでいて、道を知らない人には使い辛い。
大通りで路地裏の道がわからなくなり、立ち往生する人間は日常茶飯事なので、かなりの人数が行き来していたが、男を無視するように誰も声をかけなかった。
しかし、そんな中で男の背中に声がかかる。
夜の往来、そのど真ん中で声をかけられた彼は、振り返って息を飲む。
無防備な顔で振り返った顔が、わずかに強張った。
流麗な女が、そこに立っていた。
白黒と左右に色を分かたれた色の着物と、厚い革靴。一見して美しいだけの女なのに、その背中に携えた自身の背丈ほどある大きな長刀と、脱力した片手に下げた小刀を持っており、異様さがあった。
ぞっとするような無表情と、何を考えているのかわからない無機質な眼だけが男を見ていた。
真っ白なその肌に、電光掲示板の様々な色が当たって、顔色を多種多様な色に淡く染めている。
綺麗な女なのに、見ていると伽藍洞のような、暗く深い穴を覗き込んでいるようなうすら寒い恐怖を感じ、男は息を飲む。
気配が薄いのか、消しているのか、人間の往来の中でも目立った様子はない。
そればかりか、近くまで来てようやく彼女の気づいて、慌てて避けるような素振りを見せる人間も少なくなかった。
男は勘違いかと思ったが、リーベリの女は無表情なまま、足を一歩こちらに向けて踏み出した。彼女の足元、厚底の革のブーツがガツ、と重い音を立てる。
「な、なんですか」
「人探ししてる?」
「は?」
「最近職場が近くで仲良くなった子。探してるだろ?」
臆した声を男が出せば、それに答えることなく女は自分の質問を続けた。
男が食い入るように女を見る。それに、リーベリの女はゆったりとした瞬きを繰り返しながら男に説明した。
「本人が困ってるんだ。最近転職したんだけど、職場が近い男性が話しかけてくるし、言ったことないのに、家の近くの話をされて怖かったって」
ちき、と音がした。女の手元、その小刀からだった。
垂れ下がった手に握られていた小刀の鯉口が切られて、隙間が出来ている。その隙間から綺麗に砥がれた白刃が覗き、ネオンの散乱した様々な色をぼんやりと跳ね返していた。
「どうにかして、って言えばどうにかしたのに、困ったような顔をするだけでそれがずっと続いてる。さすがに見かねてね」
食い入るように男が女の手元を見る。干上がるような気持ちで小刀から女の顔に視線を移した。
女は表情を一つも変えずに、口を小さく動かす。
「『金石会』って知ってる? 私はそこに所属してるんだ」
声量はさほど大きくないのに、男のところまでよく通った。
「……何が言いたいんですか?」
「何も」
返答はすぐに返ってきた。表情は話し始めても乏しく、ひとつたりとも変化はない。
「わからなければ、それで君は終わりだからね」
終わり、が何をするかの説明を彼女はしなかったが、三本の刀を見れば簡単に分かった。
「この辺りは込み入ってるし、道を知らなければ出るにも難しい」
女が首を傾げる。ぜんまい仕掛けの人形のような動きだった。頭の飾りが揺れて、しゃらと音を立てた。
「ここらで人が行方不明になったって、誰も気づかないよ」
視線がほんの一瞬、男の背後にずれた。背後の、路地裏を見ていた。その後、男に戻ってくる。
透き通るような色素の薄い瞳は、男を興味のない絵画を眺めるように見つめていて、男に対して感情は一つもない。女にとって男は路傍の石と同じだった。
「それじゃあ」
女が踵を返し、人波に埋もれて消えていく。その時、ブーツの底が、からんころん、と涼やかな音を立てた。男が視線を向ける。
厚底だと思えた革靴の底は、下駄の形だった。
それを認識した次の瞬間には既に女の姿はなく、遠のいていた喧騒が戻ってくる。
男は途端、化かされたような気持ちになったが、握り締めた掌と背中に滲む汗が今起きたことが現実だということを告げていた。
■
寝て、寝返りをうったら、気配を感じたので目を開いた。
すると、澪が寝ていたので、横たわっているにもかかわらずひっくり返りそうになった。
「み、澪?」
綺麗な顔立ち、その陶器のように真っ白な肌が、明かりのない暗がりでもぼんやりと浮かび上がっている。
勝手に布団に入ってきたのだろう。こちらを向いて目を閉じていたが、元々静かな雰囲気、佇まいを持っている彼女だったが、そうしているともっと静かだ。
起きているときに感じる透明な壁のようなものが取り払われて、無防備だった。
彼女は寝ているときだって油断しないだろうけれど、それでも目を閉じて勝手に人の布団で寝るぐらいには気を許してくれているのが嬉しかった。
「猫みたい」
寝惚けていたせいか、思った声が勝手に漏れていた。
それに起きていたのか、瞼を閉じていた澪が目を開く。澄んだ色の瞳が眇められた。
「リーベリだよ。鳥」
「知ってる。怒った? ごめん。そういうつもりはなかった」
「怒ってない」
猫、と言われたことが不服だったのだろう。謝罪すれば、もう一度彼女は瞼を閉じた。
何故いるのだろう、とは思ったが、澪が突然やってくるのは今に始まったことではない。
家にいたら既にいることもあれば、逆に何日、何週間と来ないこともある。
何をしているのか、詳しく知らない。聞くこともなかった。
澪も言わない。それが互いの境界線であり、意図的に踏み越えないようにしているものだった。
「そういえば、もう安心して良いよ」
「何が?」
寝るか、と天井方向へ視線を向けた時、澪が徐に口を開いた。そのまま目だけで澪を見る。
彼女は目を閉じたまま、口を小さく動かして答えた。
「君の家の周りをウロウロしてた男、もう来ないよ」
「え!?」
慌てて身を起こせば「寒い」と嫌そうに眉をしかめる。そのまま手だけ伸ばされて肩を上から押され、また布団の上に体を戻された。上までずれた掛け布団をかけ直される。
ほっそりとした腕が布団の中にしまい込まれる。
「心配してくれたの?」
「最初にこの話を私にしたのは君だよ」
小声になった自分とは反対に、澪の声量は先程と変わらなかった。
澪の顔をじっと見つめる。この話をしたのは心配してもあったが、澪が来てくれる頻度が増えたからだった。申し訳ないと思ったものの、澪が家に来てくれるのは嬉しかった。
また前と同じ頻度に戻ってしまうかもしれない、そう思ったが、寝ようとしていただろう澪が仕方がなさそうに瞼を開いた。
「別に君のことを心配しなくてもここには来るよ。だからそういう顔はしなくていい」
それだけを言って、また目を閉じてしまった彼女に顔を綻ばせたが「寝なよ」とだけ言われたので、明日の朝、彼女と話そうと思い、目を閉じた。