百代の過客

ss-赤葦




【メリーゴーランド】


「赤葦くん、メリーゴーランドに乗りたい」

 寂れた遊園地の閉演ギリギリでそういった自分に、白い息を吐きながら赤葦がこちらを見た。眼鏡越しにその釣った瞳がこちらを黙って見下ろす。
 同じようにマフラーに顔が寒いので埋めて見上げれば、彼は仕方が無さそうに息を吐いた。たなびくように白い吐息が寒空に溶けてゆく。
 夜も随分と遅い。陽気な音楽と周りに人が滅多にいない遊園地にしては豪奢すぎるメリーゴーランドは寂し気に電飾を光らせながら音楽と共に回り続けている。

「いいですよ」
「いいんだ!」

 かじかむどころか指先が痛くなるような寒さの中で、星の数ほどありそうなぐらい光り輝く白い小さなライトと、信じられないぐらいの光量に照らされて橙色に染まった回るあの世界に一時的にでもいいから足を踏み入れたかった。
 赤と青でお洒落に鞍を作られた白い馬、迫力を重視して作ったであろう幻想の動物の鷲獅子、サンタクロースの赤いそりのようなものまで、様々なものが渦を巻く装飾を施された金色の棒に貫かれて上下に動き、世界ごと回転を続けている。

 それに視線を移した赤葦の、男らしい首が目に入る。外気に晒された喉仏と首筋に寒そうだな、と思って彼の首に巻かれたマフラーをちょいと上に持ち上げた。
 自分の首のマフラーをちょいちょい弄る女を気に留めることなく、彼はそのまま話し出す。

「俺は乗らないので、あなただけ乗ってください」

 下がったマフラーを上げ直して露出した首筋を隠したことに満足げな自分に赤葦がそういう。
 遅れて自分は赤葦の顔へ視線を戻したが、彼の凪いだような顔は変わらない。

「ええ?」
「ここで見てます。乗ったら帰りましょう」
「逆にいいの、私だけで?」
「構いません。見てれば充分ですよ」

 そういうのならばそうなのだろう。流れるようにこちらの荷物を預かる赤葦に笑みが零れる。

「わかった、行ってくる!」
「落ちないようにしてくださいよ」
「大丈夫!」
「どうだか……」

 呆れたような赤葦の声を後ろに、自分はメリーゴーランドに向かって駆け出した。



 寒空の中のメリーゴーランドは、まず冷たい。鷲獅子がかっこよかったので乗ったはいいものの、足で挟む金属製の胴体が人の体温を奪う。
 目の前の遊具を固定する金色に塗られた棒を掴めばそれも冷え切っていて、指先があっという間に痛くなった。痛いので腕全体で抱き着くように金の棒にしがみつく。
 安全点検が終わったのか陽気な音と共に動き出したメリーゴーランドに、心が弾むのがわかった。

 思った以上に寒いし風を切るために冷たい。びゅうと吹いた風に目を閉じる。
 また目を開いた時、鷲獅子がふわりと上に動いた。

「おお」

 感動のままに上がったり下がったりする遊具を堪能しながら、見ているであろう赤葦を探した。
 どうしているんだろう、とは思った。回り続ける黄金色の煌びやかな世界とは裏腹に、辺りは全体的に暗い。
 自発的に探すよりも先にこの世界は回っているのですぐに見つけることが出来た。

 ぽつんと片手をポケットに突っ込み、ベージュのコートを痛いぐらい寒い風に好き勝手されても、赤葦の視線はこちらから外れない。

 まるで遠い世界にいるようだった。掌の中のスノードームを外から眺めているように、赤葦がぽつんと立って、橙色と白の電飾の美しいメリーゴーランドを見ている。
 絢爛に輝く豪奢なメリーゴーランドを。

 ぐるりと回る。赤葦が遠ざかって後ろを振り向いても見えなくなる。
 鷲獅子が上下にゆっくりと動く。軽やかにまた赤葦の場所へと視点が近づいてくる。

 そのたったまま、どこかぼんやりとこちらを捉えている赤葦に、なんでそっちにいるの、と思った。なんでそんなに遠いの、とも。

「赤葦君、見てる!?」

 乗ればよかったのに、とは思わないが、どこか遠いことのようにぼんやりしている人を現実に引き戻したくて、音楽に負けぬように大きく声を出して彼を呼んだ。

 その時、赤葦が一度視線を瞬かせ、目尻を柔らかく緩めてくれたのを、ちゃんと自分は見た。

 みてますよ。

 音楽にかき消されて聞こえないけれど、彼の唇はそう言った。
 正面にいる自分に呟きを言うような軽さだった。そんな口の開き方じゃ、そんな声量じゃ、音楽にかき消されるに決まってる。



 メリーゴーランドを乗り終わって、赤葦に駆けよれば彼はこちらに鞄を差し出しながら待っていてくれた。

「赤葦君、どうだった!?」

 片手を掴む。赤葦は意味を図りかねたのか小首を傾げた。

「何がですか?」
「ぼんやりしてるんだもん、見てるだけはつまらなかったかなと思ったんだよ」
「ああ……なるほど」

 楽しかったので弾んだ声音に、赤葦が眼鏡のレンズ越しに目を細める。
 冷たい指先が頬を滑る。自分の頬も冷えているから何も問題はない。
それよりもなんだろうと思えば、走り寄ったが為に乱れて張り付いた髪を取ってくれたようだった。

「とても、」

 メリーゴーランドを見ずに、こちらを見る。鋼色の瞳が、こちらを見て緩む。
 髪を取ったであろうに頬から外れない冷たい掌。その親指がそっと目の下を撫でた。

「とても、綺麗でした」

 夢を見ているように、そして噛み締めるように言うので、自分は思わず息の仕方を忘れてしまった。




【眼鏡】

 ソファーに腰掛けている赤葦が黒縁の細い眼鏡を外したのが後ろから見えたので、一、二、と大股で弾むようにわざと音を立てずに近づいて彼の正面に立った。
 そのまま額をぶつける程近く、それでもぶつけないぐらいの距離感で彼の顔を覗き込む。

「見える? 赤葦君」

 眼鏡を拭こうとしてしていたのか下に落としていた視線が持ち上がって、こちらを見る。
 あと数センチで額がぶつかる距離で赤葦がゆっくりと瞬きした。
 赤葦の反応には驚いた様子はなく、至近距離で無関心そうな視線と機体に満ちた自分の視線が交錯する。

「このぐらいの距離で俺にそういうことを言ってくるのはあなたしかいないです」
「そう!」

 機嫌がよくなったので、鼻先でにこりと笑うと赤葦が呆れたように目を細める。
 彼は変な行動をする自分に慣れているので、かなり近い距離にいる自分に構うことなく、眼鏡に視線を戻して彼が眼鏡のレンズを布で拭いた。その下を向いた時に見える思った以上に長い睫毛を至近距離で見て、満足したので顔を覗き込むような姿勢から体を起こした。
 それとほぼ同時に赤葦が眼鏡をかけ直してこちらを見る。

「見えました」

 その時には既に自分は彼から距離を取っていたが、赤葦の手がこちらの手首を掴む。
 黒く縁取られた睫が、目の前に見えた。
 目を閉じた端正な男の顔が軽く傾けられて、視界がぼやけるほど間近にある。
 押し付けられた薄い唇から伝わる柔らかさと、その掠めるようにしてほんの一瞬で離れていった接触に、きょとんとしてしまった。

「赤葦君?」
「はい」

 聞き返せばわかっている筈なのに、彼は何事もなかったように頷く。
 手首を掴む彼の力は変わらず、そればかりかまた引かれた。

 今回のは先程の気のせいに出来るようなものとは違っていた。
 感触を確かめるようにそっと押し付けられる唇は、いつも最初は啄ばむような可愛らしいものなのに終わることはない。
 徐々に深度を増してきた口付けと、体重をかけ始められたせいで体がよろける。
 かちゃ、と眼鏡が音を鳴らしたのを契機にゆっくりと赤葦が離れた。

「邪魔だな」

 レンズ越しに酷薄に目を細めた男が、また顔を近づける。
 最初とは逆に赤葦の方からあと数センチで触れてしまうほどの距離感で、甘く誘うような声で囁いた。

「これ、外してくれますか」

 ぼやけるほど近いその瞳にはっきりと映る、少しの嗜虐を含んだ色と、何か親しく愛おしいものを見つめるような甘さに、仕方がないな、と眼鏡に向かって自分は指を伸ばした。